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不登校先生 (48)

「ととろん先生、お加減大丈夫ですか?」

そんな連絡があったのは、退職の数日前。7年前に受け持って、

卒業して送り出した教え子のSちゃんからだった。

毎年暑中見舞いと年賀状を受け持った教え子には送らせてもらっている。

その時に、何かあった時に思い出したならと連絡先も載せているのだが、

このSちゃんは、本当に、賢く、そして前向きな子で、

卒業した後も、中学校で生徒会長をしたり、高校生になったときは、

コロナ禍でだめになったけど、自分の進路に向けての見聞を広めるべく

海外留学も挑戦する予定だったりと、しっかりと自分の生きる道を考えて

真っ直ぐに進んでいく、たくましさと真っ直ぐさの素敵な子だ。

今年の春、僕がうつになって病休になってからも、

心配して励ましのメッセージをくれていた。

そのSちゃんからの連絡。

「うん、なかなか治らんみたいでね。いったん退職することになったよ。」

「そうなん・・・・。あのね。ととろん先生は畑仕事とか好き?」

突然にSちゃんからの提案。

「畑仕事は好きだよ。黙々とした作業は苦手だけど、畑仕事は子どものころにもやっていたから。うん、長くやっていないけど。」

「そっか、じゃあよかった。あのね、ととろん先生、気晴らしもかねて畑に行ってみない?」

「畑?行けるならぜひ。」

「うん、わたしも何度か連れて行ってもらったんだけど、お母さんがシェア農場に入っていて、そこの農場は作業のお手伝いもできるのよ。でね。ととろん先生が気晴らしになるならどうかなって。」

「ありがたい。ぜひ行かせてもらいます。」

そんな感じで話がトントンと進み、Sちゃんのお母さんとも連絡が取れて、

「じゃあ、完全に無職になる8月以降でお願いします。」

と、申し出ると、お母さんが

「では8月2日に、私、畑に行きますのでご一緒に。」

退職して荷物を引き上げてきた翌日。

畑仕事にご一緒させてもらうという予定が入った。

生きるために必要最低限の外出以外で、

外に出かけるのはどれくらいぶりだろうか。

近くの日用品も揃うスーパーで、麦わら帽子を買って、

作業服になるような服を引っ張り出して、

水筒も多めに用意して。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「おはようございます。今日はありがとうございます。」

「おはようございます。お久しぶりです。行きましょうか。」

お母さんに、最寄りの駅で拾ってもらい、畑に行く。

有機栽培で、水と土からこだわる、その畑は、

先生だった頃に何度も引率した、宿泊学習に使われる公共施設のすぐ近く、

海と、緑が一面に飛び込んでくる、自然MAXの場所。

畑の管理人さんに挨拶すると、

飛び込みのボランティアも快く受け入れてくださって、

午前中、僕は、茄子の剪定に没頭した。

実をより大きくしていくために、余計なはっぱや花を切っていく。

こうした作業が収穫する茄子を、より大きく実らせるのだという。

一つ一つ、何の分野でも、理があって、適切に注力する。

学校にいるときに、2年生の受け持ちをした時、

ジャングルの様に生い茂った夏野菜を、朝から収穫して、

教室で子どもたちとつまんだ。どんだけでも大きくなる野菜たちに、

すごいなぁと、ただただ、生命力の強さに感動するばかりだったけど、

その力を、自分たちの糧としてより手間をかけて育てる工夫が、

こんなに沢山あるんだなと、改めて勉強している気分だった。


4か月ずっと引きこもっていた体に、真上から降り注ぐ夏の日差しは、

強烈に熱く、直に突き刺さる感覚だった。汗がとめどなく流れる。

そのびっしょり汗をかいて、どっと沸いてくる疲労感の心地よさ。

夏の日差しが、鬱屈した気持ちを少しだけ。

汗と一緒にデトックスしてくれたようなすっきりとした気持ちで。

家に帰りついた僕は、水のシャワーで全身の汗を流し、

そのまま布団に倒れこんで、深く深く眠ることができた。

↓次話




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