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不登校先生(26)

船長と、姐さんからの、励ましの連絡があった次の日。

4月も末になると、心配してくれる方には何かしらの形で

自分の現状は明るみになっていく。

『先生お元気ですか?先日先生が移動された学校に行ったのですが、

 お休みされているということでいらっしゃらなかったので、お体の具合が

 よくないのかと心配しています。大丈夫ですか?』

4年前に受け持たせてもらったお子さんのお母さんからの連絡だった。

僕は、受け持った子どもに、学級っ最後の日や卒業後のホームルームで

「みんなと先生の出会いは一期一会だけど、先生は出会えた縁は一生と

 思っているから。暑中見舞いや、今年のお正月に出した年賀状はこれから

 も送るからね。『あーまた先生からきてるわ』くらいの気持ちで、

 受け取ってもらえたら嬉しいし、先生の電話番号や住所やメアドは

 書いているので、何か悩んだり、相談したいときに、この顔が浮かんだら

 いつでも連絡してね。」

そういって、子どもとの一年を終えてきていた。

ほとんどの年賀状や暑中見舞いの返事は来ないけど、

筆まめの子や、近況報告を送ってくれる子もいて、

また、やはり年に、二・三回は、「こんなことで悩んでいる。」と

メールが着たり手紙が届いたりすることもあって。

『つながる』を大事にできるのはこの仕事の良さだなと感じている。

それは時として受け持たせてもらった子どもや、ご家族の方も同じように

僕を見てくださることもあって。

その子とそのお母さん、おばあちゃんも、通勤中に僕を見かけたら

声をかけてくれたり、その子が活躍している近況をお知らせしてくれたり、

僕もそれにいつも元気をもらっているご家族で。

そのお母さんとその子が、

習い事の帰りに異動先に会いに来てくれたのだった。

ところが僕が休んでいるということで、連絡をくださったのだった。

「わざわざありがとうございます。実は、心の方を病みまして、

 今月半ばから病休で休んでいます。

 せっかく来てくださったのに、申し訳ないです。」

返事を送ると、

「まだきついでしょうにお返事もらってすみません。

 ととろん先生は、いつも全力ですので、疲れていたのだと思います。

 先生の状態が心配です。どうぞお大事に。」

というような内容で、お見舞いの言葉を送ってくださった。

そして一週間ほどたった日、郵便が届く。

先日のそのお母さんからだ。

『先日先生のご様子を知り、やはり心配になりましたので、

 何かできないかと思い、隣県にある自分も良く心を整えるために出向く

 お寺さんに行って、お祈りをあげてきました。

 なんでもよくわかるご住職は先生が、腰回りと内臓が今一番疲れている

 とおっしゃっていましたので、どうぞお気を付けください。』

同梱されていた、お札と千枚札も手に取る。。

わざわざ、自分のために足を運んでくださったのか。

自分が思うよりも、自分のことを励ましてもらえることに、

ありがたく、申し訳なく、でもやっぱりありがたく。

こうして、いつだって誰かのために動ける方は、

本当に優しさのある方だなと、改めて頂いた荷物をに目を落とす。

涙粒の落ちた千枚札が、スーッと半透明になるのを見ながら、

「いつか、恩返ししないと。」

今それができない事への歯がゆさでいっぱいになりながら、

それでも、こうした励ましの一つ一言が、

空っぽに砕けた心の中に、そっと積みあがって行くのを感じた。

↓次話



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