幸せの泉
ある町に貧しい花売りの娘が住んでいました。
毎日市場で自分の家の庭で育てた花を売っているのですが、あまり売れず、病気の母親の薬もなかなか買えないほどでした。
(私はなんて不幸なのかしら。手はこんなにあれて、新しい服も買えず、ほかの娘のように音楽会やお芝居にいくこともできない…)
いつも娘はそう思って、涙を流しながら眠りにつくのでした。
(父さんが生きていたらこうではなかった)
と死んだ父親をうらみますが、病気で亡くなった父親は戻ってくるはずもありません。
(ああ、幸せになりたい。せめて母さんの病気がなおって、花が売れて、お金がもう少し手に入ったら)
娘は思いました。
そんなある日、市場であるうわさを耳にしました。
森のずっと奥に泉があって、その水を不幸な善人が三日続けて飲むと運が開けるというのです。しかし善人でない人はその水が飲めないというのです。
娘はぜひその水をくんで来たいと思いました。娘は今まで悪いことをした記憶がありませんでしたし、じゅうぶん自分は不幸なので資格があると思ったのです。
市場が休みの日、娘はパンを一つ持ち、黒いマントをはおって、朝早く森の泉へと向かいました。もちろん水を汲むための大きな水筒も忘れませんでした。
泉は森の一本道を奥へ奥へと進み、半日ほど歩いたところにあると聞いていました。
街を抜けて、川にかかる大きな橋をわたって、野原を少し進むと森の入口です。春にはまだ遠かったので木々の芽も固く閉ざしたままでした。
小鳥のさえずりさえ聞こえない静かな葉をつけていない木々の中の道を娘は急ぎ足で歩きます。娘が歩くたびに道の枯葉がサクサク音をたてました。
キラキラしたお日様の光があたり一面に降りそそいでいました。
(世界はこんなに美しいのにどうして私には何もいいことがないのだろう)
いつものように娘は自分の身の上を悲しく思いながらもくもくと歩きました。
しばらく行くと切り株の上に老婆が腰を下ろしているのが目に入りました。草木がまだ芽ぶいていないというのに、なぜか老婆は白くて薄い服を着ているだけでした。
軽くおじぎをして娘が通り過ぎようとすると老婆は言いました。
「そこの娘さん、暖かそうなマントを着ているね。よかったら私にくれないか?あわてて家を出たのでつい上着を忘れてしまったんだよ」
娘はこまりました。
このマントは帰りに日が暮れたら寒く思って着てきたのです。
今は脱いでも大丈夫そうですが、あげたくはありませんでした。何より娘はとても貧しいので、また新しいマントを買うこともできません。
「でも…」
娘は口ごもりました。
「暖かそうなマントだ。それなら風邪をひかなくてすみそうだ」
そう言われると娘はあげないわけにはいかなくなりました。相手はお年寄りだし、もともと娘は頼まれると断ることができない性格だったのです。
「はいどうぞ」
娘はマントを脱いで老婆に渡しました。
「ああ暖かいありがとう。それから何か食べるものを持っていないかい。とてもお腹がすいているんだよ」
老婆はかさねて娘に頼みました。
娘はかごの中のパンを思い出しました。ひとつしかないのでもちろんあげたくはありません。ところが老婆はとても鼻がいいらしく
「ああシナモンのいい臭いがする。これはきっと今朝焼いたばかりのシナモンロールだね」
と娘がパンを持っていることを見抜いたのです。もちろんパンもあげたくはありませんでしたが、相手はお年寄りです。娘は仕方なくパンも老婆にあげました。
老婆と別れた娘はとても暗い気持ちになりました。
(大事なマントをあげてしまった。寒い日にはどうしよう。それに帰り道にパンも食べることもできなくなってしまった。お腹を空かせて長い道のりを歩かなければいけないわ)
しかしもうどうすることもできません。娘はあしどりも重くトボトボと歩いて行きました。
森の真ん中辺りを過ぎた頃でしょうか。娘はいいことを思いつきました。
(そうだ。善人だけが泉の水を飲めるんだったわ。大事なマントとパンをおばあさんにあげたのだから、私は確実に飲めるはず)
そう思うと娘は急に気持ちが明るくなり、森の奥の泉へと急ぎました。
道の正面に大きくゴツゴツした岩が見えてきました。あそこに泉があるに違いありません。まずはそこで思い切り水をのんだらどんなに美味しいでしょう。娘は長いこと歩いて来たので疲れてのどもかわいていました。
いよいよ水筒で三日分の水を持ち帰ることができるのです。最後は小走りになって、娘は泉のところまで行きました。
ところがどうしたことでしょう。泉の水は枯れていて水が一滴もありません。
娘は泉の水を飲めることを信じて疑わなかったので、深く落ち込みました。
(私は善人にちがいないのに水を飲むことができないなんて信じられない。どうして…)娘は頭が真っ白になって立ち尽くすしかありませんでした。
どのくらい時間がたったことでしょう。
「おまえは泉の水を飲むことができない」
娘の背中で声がしました。振り返ると道の途中で会ったおばあさんが立っていました。
「どうしてなの?私は善人よ。それはおばあさんもよく知っているじゃありませんか」
「マントとパンをくれたから善人だというのかい?」
「そうよ。貧しい私にとってマントもパンもとても大事なものだったの。それをおばあさんにあげたのに」
娘はいつになく怒りながら言いました。
「しかし心の中では二つとも私にくれたくはなかった。頼まれてしぶしぶそうすると顔に書いてあったさ」
娘は確かにそうだったと思いました。しかし、内心はどうでも、結果として自分の大事なものを人にあげたのです。それはいいことなのではないでしょうか。
「本当に必要だったらそういえばいいのに、言えずにマントとパンを私に渡した。おまけにそれをよいこととして水が飲める手段として考えた。そんな人間に泉の水を飲む資格はない」
老婆はきっぱりと言いました、
娘は言いたいことがたくさんあるような気もしましたが、枯れた泉の前で何を言っても仕方ありません。
老婆と別れ、絶望した気持ちをかかえたまま娘は家路につきました。
森から帰った娘は(幸せになることなんて私には無理なんだ)とあきらめました。そして、以前のように病気のお母さんの世話と市場での花売りの仕事をして日々を過ごしました。
しかし、森の老婆の「仕方なく」という言葉が頭から離れることはありませんでした。
そしてある日、娘は自分は何をするにも心がこもっていなかったということ気がつきました。
(病気のお母さんの世話も花売りの仕事もやらなければいけないから仕方なくやっていた。それがわかるから母さんもいつもさびしそうだし、花も売れないんだわ)
と思いました。
それから娘は少しずつ変わっていきました。
この世に一人ぼっちではなく、お母さんがいてくれることに感謝して世話をし、きれいな花や親切な市場の人たちに囲まれて仕事ができることをありがたいと思って働きました。
すると娘の顔には笑顔が多く浮かぶようになり、お母さんも明るくなって体調も少しずつよくなっていきました。
花もよく売れるようになり、娘の家は少しですが豊かになりました。同じ市場で働く女の子と友達にもなりました。
そしていつしか娘は森の泉のことを思い出さなくなりました。
何年か経った後、娘は市場の人混みの中に黒いマントを着たおばあさんを遠くに見た気がしました。
(私のことが気になって見守っていてくれていたのかもしれない)と思うと暖かい気持ちになりました。
「ありがとう」
娘は声に出して言いました
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