大人しくしてろ


大人になって、大人しくしろと
言葉でいわれる事はほとんどない。
まぁまぁ空気も読むし、奇声を上げることも
日常で滅多にないし。
それでも、無言の"じっとしとけ"という
雰囲気を感じることってないですか?
例えば具合が悪いのに頑張っちゃう時とか
余計なお節介しちゃったりとか。
前者の場合は、ある意味心配してくれてると思うんだけれど、それが時として苦しいのよねぇ。
っていう話です。今日は。

仕事柄、病気や認知症の方との関わりが多いので、家族の事を心配するが故に、キツく当たってしまったり、お互いを思う気持ちが行き違ったり、、拗れたり。色んなご家庭をみてきました。

その中で学ばせてもらった事
"心配するのは簡単だけど、信頼は難しい"
ってこと。

なんだか抽象的だけど
つまり、心配って時に自己中心的に働いて
先回りしたり、口を出してしまう。
"心配なのよ"って相手に言ってるようで
自分の言動の理由になっている事もしばしば。

対して信頼するって
相手に委ねる。根気よく待つことも必要で
"何を言うか・手伝うか"よりも
"何を言わないか・任せる"が先に行くような。

うーん。私は心配ばかりしていないか?

信頼するって実はすごく深くて難しいなぁ。

そしてそれは家庭だけでなく
仕事や社会、人間関係において言えそう。

例えば、認知症。
昔は今ほど理解されていなかった。
席を立てば座るように言われて
外を歩けば中に居るように言われる。
(もちろん必ずしもではないが)

病気もそう。
患っていれば、どこか患者"らしい"が
つきまとう。

時が経ち、状況が変わった部分もあるけど
みんなと同じ中の"一つの個性"を信頼する
そんな雰囲気はまだ少し遠く感じる。

だからね、創りたい。
大人しくしない場所を。

そのために"信頼する"を深く深く考えて
向き合っている最中なんです。

そんな頭の中を今日も呟いてみました。

悪しからず!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?