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「同調」しないで「共感」しよう。

友達が憤慨していました。

「あの人が、あーでこーで、こんなこと言われたの。すっごい腹立った。普通そんなこと言わないよね、おかしいよ!」

友達はプリプリ怒ってます。普通そんなこと言わないよね?あの人おかしいわよね??と言ってます。

「だよね、普通言わないよね、あの人おかしいね。」

でも、だからと言って一緒にあの人を非難するのも違うと思うし、いつも他人が言ってることに「全くその通りだ、同感!」ってわけじゃない。

私、こういう時、困ってました。嘘つけないし~。何も言わずに変な笑いでごまかすとかしてました。

これ「同調」です。同調とは自分の意見や行動を他人に合わせて変えることを言います。同調できる時は「そうだ、そうだ!」で盛り上がり、同調できないときは黙ってる。で、うまい言葉を探すけれども見つからず、結局黙ってる。(シラ~っとしてる(;^ω^)) (→ あんまり受け答えがうまくないのです)

これに対して「共感する」のはあなたが言ってることは分かりました。そう思ってるのは分かりました。ということです。

「そうなんだ~。そんなこと言われたんだね。」「そうなんだ~。そう思ったんだね。」

これだと他人の意見や行動に合わせなくて自分は自分、あなたはあなた、でいられます。「そう思ったのはどうして?」とか「どこに一番腹が立ったの?」など会話を続けられます。

なぜこんなことを丁寧に書いているかと言うと、実は子供との会話でこれが多かったからです。

「勉強したくねー」「あいつにこんな事された。許さん!もう絶交だ」「先生、こんなこと言ってた。くだらねー」

そう言われると思わず「勉強しないとダメでしょう」「あの子はこうだったんじゃないかなあ、そんなきつい言葉は言わない方が良いよ」「先生が言ってるのはね、こうで、ああで」と反論したくなって、つい子供を正そうとしてしまいました。「話を聴く=同調する」だと思ってましたね。そうすると、子供の話がちょっと同調できないような内容だと「それはどうかと思うよ」と正したい気持ちがむくむくとでてきてしまうのです。

遠い関係の人だと「あ、そうなんですかー」と大人の対応をして穏やかに話が進むこともあると思いますが、家族などの近しい関係だと「同調できない → 相手を正したい。」と自分の考えをぐっと押し付けたくなったりします。大事な人だから余計にね。

でも、人の話を聴く時は「共感」のマインドで。大丈夫、「あれ?何か違うかな?」と気付く時はあるし、単に愚痴を言いたいだけの時もあります。だいたい、私が正しくて相手が間違ってる、なんてこともないですしね。

相手に「共感」して行きましょう。人はそれぞれ世界観があります。人それぞれの世界を持っていますから。そこに土足で踏み込まない。お互い「あなたはね。(あなたはそう思うのね)」で楽しく会話していきましょう。

読んでいただきありがとうございます。



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