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昨日、寄り添うってどうやってやったらええの?という話を書きました。

相手に「オールOK出す」のが必要だと思うよ、って話でした。

そうしたら、次にどうやってオールOK出したらいいのよ?という壁にぶち当たったのです。

そもそも「母に寄り添う私でいよう」などとちょっとえらそーにもそう考えた私。(まあ、純粋にそうしたいと思ったのよ。)

でもね、母はぐちぐちぐちぐち・・・そして噂話…(誰なん?って知らない人のうわさ話)が続いて腹が立ってきました。その時ふと思ったのです。

私、なんでこんなに腹立ててるの?

もしかしたら、母は愚痴とうわさ話を「私だから」してるかもしれないのです。(ほかの人にはできないだろうしさ)そして、私にだけ言ってるかもしれないのです。(知らない人だからこそ言いやすいかもだよ)だったら、私、大いに役にたってるのです。

でも、そんなことよりも

「せっかく帰省したのだから、私だからできる話をしてほしい」

と思った私。

・・・そう。私の方がこんな風に話したい、があったのよね。

「娘にはこうあってほしい」という母。「母にはこうあってほしい」という私。

これが全然他人のママ友や会社の同僚ならば普通に距離があるのだから、私は私、あなたはあなた、になるのでしょうが、家族だからこそ、お互いに距離が近すぎたり「もういや!」になったり。片方が追いかけたり追われたり。

これね、こういうことだと思うのです。

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私と母は別人。境界線を引こう

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母が何と言おうが私は私。私が何と言おうが母は母。まあ、当たり前っちゃそうなんですけど、ついつい私が母の領域に踏み込んだり、母が私の領域に踏み込んだり。そしてそのたびに「腹立つ!」とかなってたんだなあ、と思います。

だから、ん?ややこしくなってない??と思ったときに私はここを考えています。

「それって誰の問題?」

・私がいなきゃ母はやっていけない。

・こういえば娘はいうことを聞く。

こういうの全部人の問題に踏み込んでる。

だって、私がいなきゃやっていけないなんてないし(大人だし)、もし、やたらと頼られるのなら今までそうしてきたってこと。

こういえば娘は言うことを聞くだろう、って娘をコントロールできる、って思ってるってことよね。他人はコントロールできないのにさ。つまり、娘を別の人間だとは思ってないってこと。

その一方で、そう言われて、(つまり母に踏み込まれて)オロオロしたり、もういや!!ってなるのは私も母との間に境界線がビシッと引けてないから、ってこと。私も母を同じ人間のように思ってるところがあるのよね。

ほれ、大門先生なんて(「私、失敗しなので」のお医者さんね)、「いたしません」で涼しい顔してるじゃないですか。「いたしません」って言った後に「あいつとは話しない」なんてせずに、その後もいつも通りににこやかに話をしている。


そこで、私と母は別人だと境界線をしっかり引く。そのためには「それだれの問題?」を考えて、相手の問題には口を出さない。私の問題に口を出されても、「それ私の問題なんで。」と相手の言葉をただ聞いておく。(あなたはそう思うんですねー、でも私は私の考えがあるよ、のスタンスで)

そうするとだんだんと

「へー、そうなんだ」「あなたはそう思うんですね」

と母の言ってることを「ふんふん」と聞けるようになってきました。

同時に自分が思うことも「そっかー、私、そう思ってるよね」と自分に対して「ふんふん」と聞けるようになってきました。自分にもオールOKが出せるようになってきました。


お読みいただきありがとうございます。


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