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シュペルターと歩む15年記 #8

コラム5:世界の中心で、お土産と叫ぶ


中国内外つつうらうら


現在の我が家のリビングには、お客さんが来ても、
そこにはまるで何も無いかの如く
全く話題に取り上げられない魔の空間”があります。

中国各地やその他の国で買ってきた、お土産物を
飾り棚ならぬ、カーテンレールの上に飾っているのです。

レジェンダリーアイテムの数々

広州は中国でも5本の指に入る大都市であり、
エッヘン!他には上海北京重慶…あとどこだろう。)
しかも他の大都市に比べると、かなり南に位置しております。

このことが広州をして中国本土のみでなく、
香港マカオ東南アジア諸国への旅行の玄関口、
いわば旅行世界の中心たらしめております。

イイ感じで中心になりました


広州滞在中
には、前回の香港、マカオ訪問以外にも
各都市、各国への旅行をしましたが、
いろいろな意味で、想い出深い
のはやはり中国国内旅行。

そこで買ってきたお土産とともに、
各地への旅行ダイジェストで振り返って行きましょう。

 



上海、蘇州、杭州、黄山

初の中国国内旅行は上海、蘇州、杭州、黄山です。
ハイライトはなんといっても、水墨画に出て来そうな山、
といわれる黄山です。

山と言えば、”日本昔話に出て来そうな山”といわれる桂林も有名ですが、
広州から比較的近いにもかかわらず、とうとう行かずじまい
やっぱり中国に来ているのに”日本昔話”という例えがいけないのだよ。

 道中は日本語がしゃべれるガイドさんを車付きフルアテンド

 上海 小籠包、上海蟹、蘇州 運河、杭州  西湖 千手観音と
只今すごいスピードでダイジェスト中

杭州 千手観音ショー

そして黄山
黄山って何?どこ?
であり、地名ですね。安徽省にあります。
加古川であり、地名であるようなものか?これは兵庫県にあります。

黄色というのは皇帝の色ということで、
エンペラー オブ マウンテンです。

有名な中国第一の山山東省の泰山も、秦の始皇帝前漢の武帝らが
天地を祀る儀式を執り行なった、荘厳で神聖な山、ということで
こちらはマウンテン オブ エンペラー。

黄山は霧がかかってよく見えないことが多いらしいのですが、本日は快晴

青いな。

 大学時代にバイクで摩周湖へいっても快晴!

カプリ島の青の洞窟へ行っても、
波が高くて洞窟に入れない確率が60%くらいあるらしいのですが…
サックリ入れました。

いやいや、青い青い!

旅行運は良いのです。

 

ここではお土産は売っていなかった。というか売店などなかった

自然保護地区だからでしょうか。

 ”持ち帰って良いのは思い出だけ、残して良いのは足跡だけ!
というアレです。

じゃあ、お土産は”思い出”だね!

どんな思い出?
景色は確かにきれいだったけど、アップダウンがきつくて!
おまけにポコぞう(娘)ずっとおんぶしてて、
ウエイトトレーニングのように重かった

思い出”ならぬ『重いで!』か。


黄山のお土産




大同


大同は有名な雲崗石窟のあるところ、
崖にへばりついたような寺、懸空寺もあります。

中国語、1年くらい勉強した成果を試す時!と
現地のホテルでタクシーを一日チャーター。

結構市街地からは遠い懸空寺雲崗石窟を回ります。

中国三大石窟は敦煌の莫高窟洛陽の龍門石窟、そしてこの雲崗石窟です。

 

大同市内はもう、道路がゴミだらけで汚いのって!

歩道に散らばるゴミ

お店は自分の店からごみを歩道まで掃き出したら掃除おしまい

 

そもそも、市内道路の中には、その道自体が工事中というか、
やばいくらい路面がぐちゃぐちゃなのにみんな平気で通行しています。

開発が目覚ましいと表現すれば済む話

 でも街頭では謎のファッションショーが行われているのです。

仕事とは、かくも厳しいものだな


そして思い出すのはホテルに到着してからの例の事件

ホテルについて、ポコぞうおむつを替えようと脱がした時に
おしりからうんちがもりもりと出てくるではないか!

脱がせたおむつは既にゴミ袋の中!新しいおむつも間に合わない!

 

その時、銭ファー(奥さん)が一言

手で受け止めて!

はい。私の手の上にホカホカの塊が

銭ファー咄嗟に言った!という割には指示が的確でしたね。

『受け止めて!』ではなく、『”手で”受け止めて』と
手段・方法まで、具体的に指定されてしまいました。

 

夜になりポコぞうが少し熱っぽい

でもそんなに苦しそうではないので大丈夫かなぁ?心配

と言っていると、なんか寒気がしない? 
私も!

トトム銭ファーそろってベッドの中で夜通しガクガク、ブルブル
謎の症状に襲われる。

 なぜ!みんな同時に? お腹はこわしていないので食あたりでもなく、

まさか高山病?と思って標高をしらべるが、べつに高地でもなく

結局今でも原因は不明

 

翌朝フラフラしながら、ホテルのフロントへ行き
怪しげな中国語でなんとかタクシーチャーターの日程を変更、
翌日にずらして体調の回復を待つ。

翌日の朝も銭ファーは体調万全ではなく、
午前中は結局私だけが懸空寺を見て、
午後にはなんとか回復基調に入った(景気のような言い草)
銭ファーといっしょに雲崗石窟

写真を見た銭ファーは、「確かに壮観だけど、『壮観』って書いているところがイヤ!
雲崗って”うんこう”と読むんだよ。ん!うんこ?

お土産は真っ黒な黒鉛石仏レリーフです。

あの日の掌の温かみさえ、あの日の苦しみさえ、
凝縮されたような真っ黒な仏様

飾っている間に埃をかぶっているがそれも歳月の証ということで。

(ところで、これプラスチックじゃないよね?)

 



西安


大同旅行で中国の偉大なる文明に目覚めたのか⁉
それからたった1か月後に今度は西安

観光というよりも、もう兵馬俑を見に来たようなもの
兵馬俑ご存じですよね。

兵馬俑案内のガイドさんのみお願いしています。

兵馬俑って何もない荒地を、なんとなく掘ったら、
たまたま見つかったらしい。

そりゃーまー埋まっていれば、いつかは出てくるでしょ。
と思うでしょうが

いやいや中国は国土が広く、比較的大都市の西安だけでも、
目の前に全然手付かずの荒地がたくさん残っています。

 

見つかったの、奇跡ですね。

街中は大同よりもきれいです。

素敵な服屋さんもあります。

兵馬俑さんたち、服屋さんでバイト中

 

兵馬俑は保護のために大きな建物で覆われ、
掘り出された兵士の像がならべられている

その様はまるで体育館に整列させられた男子中学生のよう。

いきなり呼び出しやがって!体育の中西の野郎がよぅ!

 

兵馬俑にあるお土産物ショップで探すのは、当然兵士のミニチュア像
小さいものから大きめのものまで各種あり、値段も30元~150元くらい。

うーん、どれにしようかな?と迷っていると。銭ファーが、

『どれにしたって、いらない感じじゃない?マジで買う気?』

買います。

 

すると博物館のキュレーターらしき人(中国で何と呼ぶかわかりませんが)が現れ、話かけてくる。

ガイドさんに通訳してもらうと
『これは、発掘中に出た像が崩れて出た土を使って作ったものです。
すなわち本物と言える一品です。この通り証明書もあります。』

おー、すばらしい口上。かーおっと。

ちょっとこれ、インチキじゃないの?と銭ファー

ガイドさんは、”私は詐欺には加担していません”とばかりに無表情 

『買うにしてもまず値切らないと!』
既に広州での買い物で、“便宜一点儿”という言葉で値切る”すべ”を身に着けた、銭ファー再び

 

『いいや、値切らん!今回はな!』

 私は像ではなく、レジェンドを買いたいのです。

だまされた!という逸話も含めてレジェンド

値切って、自らその価値を下げることはないのです。

 

『ふーん、男の人って基本、値切らないよね。恥ずかしいん?』

 

いやレジェンドがね…

証明書は絶賛失踪中

 



香港、青島、北京

相次ぐレジェンドゲットで中国旅行に勢いが着きました。

同年8月、まだ海外に行ける元気があるうちに、と
トトム両親を中国に招く。

パパトトムの幼い頃(戦争前)に育った青島の地をもう一度見せてあげたい

家の住所が“奉天路“だったと聞き、
中国の旅行会社に、奉天路が現在の住所でどこにあたるのか探してもらう。

『もう70年近く前なので、調べられるかどうかわかりませんが』
といいつつも面倒なリクエストに応えてくれる。
良い意味でサービスのマニュアル化が徹底されていない中国が好き。

 

今は遼寧路という名前になっているようで、この住所ならこのあたりです。と地図も送ってくれました。

ヨシ!作戦決行。

フライトチケットを手配し、両親にはパスポートを取ってもらう。

準備は整った

 

合流地点は香港
(広州から青島直行がなかったので、香港の観光も兼ねたルート設定)

香港空港で、お年寄りとしては大冒険をしてきた両親を出迎える。

一歳で中国に行ったポコぞうとも久しぶり、楽しい再会

 

今回は両親もいるし、訪れるのは観光地だけではないので
青島北京ともそれぞれの地で、車付きでガイドさんを手配している。

 青島のガイドさんの案内で、まずはパパトトム育った家跡地を訪問。

さすがに変わりすぎていて面影もないらしいが、
周囲の家や通ったと思われる学校などを見て回る。

パパトトムは中国にいた頃の自分の写真を持って来ていて、
ガイドさんに見せたり、
近隣の民家からわざわざ地元のおじいさんに出てきてもらって、
”近くに日本人が住んでいたのを覚えていますか?”
とガイドさんを通じて話をしたりと取材活動に熱心

65歳くらいの地元のおじいさん。70年前の事は小さくて覚えていないでしょう。

 
本日は青島のクラウンホテルで宿泊

ホテルのレストランでも服務員さん例の写真を見せ、
これ👉写真のかわいい子、これ👉おじいさん(自分)
交互に指さして話しかける。

 食事中はガイドさん席を外しているので、
僭越ながら通訳を務めるトトム

写真の中の『小さいおじいさん』を見て、
『かわいいわねー、ちょっと見て見て!』と、同僚を呼び、
仕事そこのけわらわらと集まってくる服務員のお姉さんたち

 こういう時は、うまくお客さんをあしらってまじめに仕事を続けるよりも、
仕事をさぼる口実かもしれないが、
ワイワイと一緒に話をしてくれるのが真の接客。(そうかな?そう思おう)

 その後は折角中国に来てもらったので、北京へ移動
The・中国万里の長城を目指す。

中国では単に長城(チャンチャン)と呼ばれている。

 

北京市内から延々と移動して長城の見どころの一つ八達嶺に到着

えーっつと、疲れる前にお土産買っとこ。

かなりつまらない置物ですが、こんなものくらいしかなし。(長城から取れた石で作った長城のジオラマがあったら喉から手が出るほど欲しいのだが)


この置物は市内の土産物屋で見たのとほぼ同じだが、
そこでは25元くらいだったのが、40元になっている。

店員に『北京市内では25元だったよ』と言ってみると

『いや、ここで売るといろいろと費用もかかるし』と慌てて言い訳、
レジェンド好きとしては助け船を出したくなる。

『確かにね。ここまで車で来るの大変だったから、
運ぶだけでもお金かかりますよね』

そうなんですよ

すごいですよね!買います

(えっ、買うの?)と店員さんが思ったかどうかはわかりませんが、
40元を35元に値切って買うよりも、自分でレジェンドを付けて
そのままの値段で気持ち良く買うのが西安で学んだ兵馬俑方式

 ちなみに夏の長城は石造りが直射日光で焼けることもあって、
ただただ酷暑(よく高齢のパパトトムは耐えたなぁ)、

人込みの中を登っていくのだが、
おそらくエアコン慣れなどしていないであろう中国人ご一行でも
暑さで気分が悪くなって、道端ならぬ長城端で吐いている人がいる。

 

ところどころには防御拠点のような部屋があり、
ここは日陰があるので、『ママトトムはここで休んでいてください。』

ポコぞうを抱っこした銭ファーも、『わたしもここまででいいや』
ママトトムと日陰に残る。

パパトトムはまだ若い者には負けられんと頑張る。

もうすぐ長城の頂上に着くというところが最後の難所急こう配

ここでパパトトムどう見ても限界そうだったので、

おしいさん、ここで待っててくだちいな。』
『私が上まで行って写真を撮ってきます。』

名言中の名言 ”くだちいな。”

とトトム最後のひと踏ん張り

やったー。
、そこに見えたのは遥か彼方まで続きまだまだ登っていく長城でした。

さすがに万里の頂上とはよく言ったものだ。

 

うん!人生こんなものだ!

写真よりも長城の構造がわかりやすい

(おまけ)
次の日は北京動物園の予定ですが、ガイドさんから一つ注意が!
『明日は雨が降るかもしれません、傘もってますか?』

『いいえ!だって雨は降らないと思ってましたので。』
根拠のない自信を見せる日本人(私と銭ファー)に
当惑気味のガイドさん。

『なぜ雨が降らないと思うのですか?…』
と至極まっとうな疑問はぶつけてくるが、
傘の準備をしてくれる気配はない。

ただやっぱり次の日、雨は降りませんでした




台湾

一連の中国国内旅行の後は、
東南アジアとか中国国外への旅行へ行っていましたが、
2012年6月台湾へ。

台湾は中国だという中国と、台湾こそ中国だという台湾とで
意見が対立していますが、
広州からも直通便は出ており、人の往来はあります。

中国に来て3年半
中国語圏もそろそろガイドなしで行く自信がついてきました。

台北にホテルだけ予約して行ってみます。

おなじみ広州白雲空港発ですが、
天候が悪いのか、
空港設備の問題なのか、
その日は空港から全然飛行機が離陸する気配なし
表示はdelay delay delay の大フィーバー

待つこと2,3時間、順次飛び始めるが、
台湾行きのフライトは、後発便に次々と抜かされて、
結局4時間くらい遅れて出発。

中国-台湾問題の影響があるのかと勘ぐってしまう


なんとか台北に到着し、ホテルにチェックイン

フロントの人がわざわざ英語で話してくれているのに、
办理入住』と中国語で答える。

台湾は香港と違い標準語なので、
中国語を使ってみたい年頃(中国語年齢3歳半)です。

 

当然予想出来た事ですが、
中国語すごい速さでのチェックイン手続きの説明になり、
聞き取れません。

不明白(わかりません)、听不懂(ききとれません)、不好意思(すみません)の3連発

まぁ英語で説明されても似たようなものですが。

 

外国語コミュニケーションの『マッチポンプ』ですが、
失礼のない程度ちょこちょことやらかしている。

マッチポンプとは、自らマッチで火をつけておいて、それを自らポンプで水を掛けて消すと言う意味で、偽善的な自作自演の手法・行為を意味する和製外来語である。

Wikipedeaより

 

後年ギリシアに旅行に行ったとき、
やはりギリシア語を少しは勉強しておかなくては!
と本を買って勉強するが、そう簡単に話せるようになるものではない。
簡単な挨拶くらいはできるようになろう。が目標

ミコノス島のビーチで泳いでいるときに、
ポコぞうおそらくギリシア人のちっちゃい女の子とがちょっと接近。
私はその女の子のお父さんと目が合ったので、
さっそくギリシア語マッチポンプGo

『Ποσων χρονων ειναι;』(娘さんは何歳ですか?)

『§※∈∮☆』(何だかさっぱりわからないギリシア語)

『Δεν καταλαβαινω』(わかりません!)

お父さん、その節はどうもです。 §※∈∮☆。 デンカタラベノ。

ギリシア語はアルファベットの読み方さえ覚えれば発音は簡単

だからといって会話が出来るわけではない

 
『何歳ですか?』は”ポソン フロノン イネ”と読みますが、
基本、彼or彼女は何歳ですか?のみ覚えておけば使えるギリシア語です。

主語と動詞を変化させて、あなたは何歳ですか
と言う事はまずないそうです。
ギリシアでは大人に向かって、特に女性には年齢は聞かないそうなので。

 

心は台湾に戻り、台北で故宮博物館とかの観光をした後にバスで九份へ。

言わずと知れた台湾の観光名所
巷では千と千尋の神隠しのモデルとなった街並みと言われています。

台北で九份行バスには無事乗れました。
が!車内には、次に止まる停留所の名前が表示される電光掲示板
のようなものが一切なく
中国語のアナウンスのみ。おいおい大丈夫か⁉

こういうときはみんなが降りるところで一緒に降りれば良いのだ

 

ハイ!無事到着

ここは観光地として超有名なので、九份の紹介は省略

 

雑踏を避けて、茶房でゆっくりと過ごす。

中国語が話せると、地元チックなお店にも入りやすい。



千と千尋の雰囲気は、やはりになってからだよね。

こんな写真撮ってたんだ!と今更発見!千と千尋の神様みたい!

 

景色を楽しみながら食事をして、そろそろ台北のホテルに帰ろうと、
急な階段を下りて広場のようなところへ行く。

 

なんだ、なんだ?やたらと人が集まっている

もうこの時間には台北に向かうバスは出ていない

 

バス以外の公共交通機関はありません

夜景が売りなのに台北に帰れないでどうする!


 

こうなるとタクシーの出番です。

がっ!帰る観光客の数に対して全然タクシーの数が足らなさそう
こりゃー長い列で順番待ちかな?と思っていると、
どこにも順番を待つ列がなく、
そこかしこタクシー運転手とたくさんいる日本人観光客とが
中国語と英語でかみ合わない会話をしている。

 

なになに?”行先が同じ人は相乗りでお願いします。”と言っていますよ。

どちらに帰られるのですか?』 と日本人カップルに聞く。

 『…? 台北の方なんですけど』

 

突然入ってきた中国語を話す謎の日本人(?)を
多少警戒しつつ答えるカップル
何かの詐欺サクラなのでは、と思われたに違いありません。)

ちなみに私は、広州へ来て間もない頃、
中国人に、『トトムさん、あなたは中国人にしか見えません
と言われたことがあり、心外だなぁとは思ったのですが
中国人に”中国人に似ている”と言われて、”失礼だ”というのも失礼だ、
と思ったので、そのままその言葉を吞み込んだものです。

 

『いや~広州で働いていて、もう3年以上中国で生活しているので
片言なら、中国語を話せます。』

と答え、安心されたのかどうかわかりませんが、
帰る手段はこれしかないので、
じゃあ、一緒に行きましょう。と
さっさと話しをまとめてタクシーに乗り込む。
全然列で待たなくて済みました。

 私は3列シートの2列目に座って運転手さんにホテルの位置を説明したり、
ちょっとは世間話に興じたり。

カップルは”もう大丈夫”と安心して3列目で二人の世界に入っております。

台北です。はい、ちゃんとホテルに着きました

運転手よりも怪しまれた私!
ねっ!詐欺でも不審者でもなかったでしょ。

一路平安(イールーピンアン:道中お気をつけて)

真偽のほどはわかりませんが、ネットでこんな情報がありました。 

Q:台湾は凶悪犯罪が多いと聞きますが、旅行する上で気をつけることはなにかありますか?
A:台湾はタクシー運転手による犯罪が多発して言います。台湾のタクシー運転手の27%には犯罪歴があることと関係があるようです

YAHOO JAPAN 知恵袋

土産は土産でも『冥途の土産に…』などと言われなくてよかった。

九份のお土産は、お茶『東方美人』
でも本当のお土産は”命”だったのかもしれません。ゾゾゾー




麗江(リージャン)

秘境 雲南省の都市です。直通便はなく昆明で乗り継ぎして到着。

目的はここに民族色あふれるバニヤンツリーのリゾートホテルがあったので
たまには観光はそこそこにして、ゆっくり泊まりに来たのです。

ジャジャーン!リージャンリゾート

ただし、ここまで来たのだからと足を伸ばして麗江古城へ行きます。

ここも世界遺産ではありますが、かなり観光地化されております。
言い忘れておりましたが、
黄山雲崗石窟、兵馬俑、万里の長城いずれも世界遺産です。


麗江古城の街並み(ただし屋根の下はほとんどがお店)



本当に昔ながらの街並みを見るにはさらに12㎞離れた白沙という村に
行くのが良いのです。
ここは本当に少数民族ナシ族の昔のままの暮らしが残っており、
牛車が通る村の目抜き通りは、石畳に牛のフンがたくさん落ちているので、足元から目が離せません。

 麗江古城はその点、歩きやすい道路で両側にはお土産物屋さんがずらり。

白沙もよかったですが、やはりお土産物好きとしては
ここで何かパンチの効いたものを探しましょう。

いろいろ見て回るのですが、今一つグッと来るものがない

麗江のお土産物が悪いということではなく、
さすがにこれまでお土産物遍歴の旅を続けてきたので
レリーフとかとかいったものでは食指が動かず、
他では見たことのない物めぐり逢いたいということなのです。

いろいろ見ていると時々、四面喜怒哀楽の表情をした仏さま(?)の
顔の置物が80元くらいで売っている。

次の店にも、いいのあるかなぁと思っていろいろ目移りしていると、
意外と四面仏を置いていない店もあり、買うタイミングを逃してしまった。

 

しばらく歩くと目抜き通りから少し外れた店に四面仏が!

値段を見ると100元になっている。

理屈からいうと目抜き通りから外れると安くなるはずだが!

さすがに値引き交渉をしない派の私をして
もう少し安くならない?”と聞いてみました。

『うちのは、ほかの店と違って特別な物で、
そうそうあるものではありません。』

だそうで、もうその素晴らしい商魂に拍手~~

買いました。

1+1は?2~! 2×2は?4面仏

 




つーふーりえちゃ

痛風理恵ちゃん?

帰任間近の2013年3月 仕事で無錫にある日系の会社へ

広州旅情』ならぬ、『無錫旅情』の歌で有名なところです。

 

広州空港から上海空港へ飛び、
その会社の車に空港でピックアップしてもらいます。
(無錫付近にも空港はあるのはありますが、便数が少ないのです)

 

はい、仕事終わりました
(仕事というよりもこの会社の工場の竣工式に参加しただけだったので)

 帰りも『上海空港までお送りします。』と車を用意してくれるが、

そこでかねてからの計画を社長さんに打ち明ける。

無錫駅までお願いします』

えっ⁉駅ですか?まだ広州まで高速鉄道は開通していませんよ。

 

『いえ、上海市街まで高速鉄道でいって、
そこから上海浦東空港までリニアモーターカーで行くつもりです。』

だってまだ日本では実験線しかないのに、
中国では区間32㎞を7分余りの旅とはいえ、
都市と空港を結んで営業運転で
時速400㎞を超える
速度!
を出しているんですよ。

日本に帰任する前に絶対に乗っておかないと

 

なぜリニアがこの区間を走っているのか?

そこから上海空港まで超高速で移動するニーズが強いのかどうかも
わかりませんし。
そもそもリニア駅が上海市街のどこに位置するのかも知らないのですが、
わざわざリニアに乗るため高速鉄道を途中下車するというのも
確かに移動行程としてはおかしな話。

先方様にリニアロマンをご理解いただけると夢々思いません。

 ただ送っていただくにしても、100㎞くらい離れた上海空港に較べれば、
無錫駅は郊外までほんの少しの距離。
ご迷惑はおかけいたしません。

 先方の社長さんがお見送りしてくれる際、
担当の人から中国人の運転手さんに行先を指示してもらい、
『えっ、トトム様は無錫駅まででよろしいのですか?』と絶句

 そこで社長はとっさに
リニアモーターカーに乗りたいんだってよ!』(お気をつけて)

おーい、社交辞令心の中の本音と入れ替わってますよ~。

 
高速鉄道の駅はなかなかカオスな状態ですが、
もう中国に駐在して4年、
交通機関に乗る為の中国語程度では特に困ることもありません、
切符を買って、乗り場を見つけて、乗り込む。

簡単なことである。

到着したのは上海のどこかの駅
(リニア駅が近くにあればどこでも良いので覚えていない)
改札を出ると、迷路のような地下道でしたが、リニアの匂いを嗅ぎつけ、
行く方向を定めて進む(あれっ?方向音痴ではなかったのだろうか?)

まったく迷わない


そうそう一つだけ制約がある。
16時までにリニアモーターカーに乗らなければ、
騒音の関係から最高時速400㎞を出してくれないのだそうだ。
地球の歩き方では17時30分までと載っていたが、変わったらしい)


かなりギリギリのスケジュールであったが、
見事リニア駅で切符も買い、感無量リニアのホームに立つ。


ちなみにリニア駅の看板は“磁浮列車
つーふーりえちゃ”と読みます。

磁石で浮く列車!なんとわかりやすい表現だろうか?

一方でリニアモーターカーと言う名前は

モーターが回転する円運動の輪っかを、1か所でチョキンと切って
広げてまっすぐにし、それを延々と引き延ばした
という作動原理を表したもの

すなわち直線運動をするモーターということなのですが、
動く原理など乗る人にとってはどうでも良いことで、
なんとなく技術者の自己満足的な名前に感じられます。

そもそも電車という言葉自体、電気モーター駆動化された車両ということで
これも作動原理、
よく考えれば、鉄道車両の歴史が蒸気機関車という呼ばれ方から
始まっており、綿々と作動原理で名を名乗るのが定め
となっているのでしょうか。


中国語ではおそらく
英語の magnetid levitation train(略してmaglev train)
訳して磁浮列車となっていて、わかりやすい。

鉄道ファンのとってはロマンがないのかもしれませんが、
私は鉄道ファンではないので、そこのところはわかりません。


ホームで待つことしばし、あまり乗客は多くありません。

車両が入ってきました。

思ったより未来感がない。

開通したころは車両ごとに
飛行機のフライトアテンダントさんみたいな女性がいたようですが、
中には誰もいません

いよいよ乗りました。広々としていい感じですね。

6人の向かい合わせ席って7分でどんだけトランプできるの?

7分20秒の旅スタート。


磁浮列車はぐんぐんスピードを上げ、あっと言う間に時速300㎞を突破
いよいよ400㎞へ向けて加速

しませんね。

その前に世界中を騒がせた高速鉄道の事故の影響なのか、
超安全運転で上海空港まで到着してしまいました。

乗れたからヨシとしよう。と思いつつ
上海空港で1人ハーゲンダッツカフェで残念会をするのでありました。



帰任

あっと言う間4年3か月が過ぎ、とうとう帰任することに。

会社にいる中国人の皆さんからは、

トトム部長(小さい会社なので部長として出向していたのです)、
みんなで記念の品を買って贈りたいのですが、何がいいですか?』

『いやいや、そんなに気を遣わなくてもいいよ』

『いえ、贈らせてください!欲しい物があれば、なんでも言ってください

欲しい物!と言われれば中芸で買えなかった水晶の置物であるが、
さすがに給料が4000元(5万円ですが物価を考えると日本の20万円くらいに相当)前後の子達に”なんでも!”という訳にはいかない。

さりとて、本当に欲しくはないものをリクエストするのも失礼だし、
うむむと思っていると、ありました!欲しい物
この前、市内の地下鉄で乗客がやっていたルービックキューブです。

普通のルービックキューブではないですよ。

ルービックキューブは一つの面が3×3で9分割されています。

発展型のルービックリベンジ4×4で16分割ですが、

地下鉄の中で見かけたのは冗談のような分割数
少なくとも10×10以上だったように見えました。

その時ネットでちょっと調べたのですが見つからず
日本で売っている様子もなかったので、

”めっちゃ分割の多いルービックキューブが欲しい”とリクエスト。
(さすがに千元もしないだろうし)


そして送別会の日

トトムさんご希望の品です。とルービックキューブを見せてくれる。

(中国では、きれいにプレゼント包装をするということはあまりないので、買ってきたままの箱からサッと出して見せてくれます。)

究極の証


『これが売られている物のうち、最大の分割数である11×11のものです。』

おー、さすがにスゴイです。


そして中国人代表の子は続けて説明してくれる。

『試験的には13×13のものもありますが、強度的に実用に耐えうる究極が11×11なのです。』

『私達もトトムさんに教えてもらったことを糧に、究極を目指して仕事を頑張ります。』


4年前にこの会社に赴任してきた時には、あまり仕事も多くはなく、
工場の現場はヒマなのが当たり前。
たまに少し困難なことがあったら“出来ません”ということが多かった彼ら。

日本と中国の文化の差はあったけれど、
中国の工場管理“や”中国人との付き合い方”などといった本は一切読まず、ただ人としての礼儀を持って接して、
自分に恥じないように、出来ることをしっかりやろう”と
言い続けただけなのですが、
4年間の間に新しい製品も軌道に乗り
かなり忙しく活気のある会社になりました。

そのなかで立派に成長してくれた彼らから、
更に『究極を目指す』という言葉が聞けるとは

本当にホロリとしました。

『じゃあ、トトムさんご挨拶お願いします』
(こんなことをしゃべったと思います)
中国に来て4年間あっという間でした。
大変なこともありましたが、(あったかな?)
いろいろなことを経験して、文字通り世界を広げてくれました。
私が皆さんに教えたことよりも、みなさんから教えてもらったことの方が
多いので、私にとっては中国の皆さんが先生です。
最後になりましたが、この広州の地に初めて降り立った日の
あの明るい陽射しとともに
広州のことを忘れることはありません。

今でもこのルービックキューブは中芸の水晶以上の宝物です。


(やーい、トトム泣いてやがるな!)

『シュペルター!顔も作られてないくせに何見てるんだ!』

(じゃあ、早く作ってくれよ。)

『わかった、わかった。
日本に帰ってからな! でも顔は最後だぞ』



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