私が両親の「所有物」だったお話。
今日は私の中でずっと抱えていた問題についてのお話しです。
ネガティブなお話しや不快な表現があります。でも、このタイミングで書いた方がいいような気がするので長くなりますが、書いていきます。
きっかけは、おうち仕事をしながら聞いていた2chのまとめ動画でした。(耳は暇な仕事です)
ある時オススメに出てきて、嫁姑、家族、夫婦、ご近所、恋愛。いろんなお話しがあって。
一度は一生をともにしようと誓った夫婦であろうとお互いの尊厳が守られなければ戦って離婚する世界もあるだな。と、なんとなく考えていました。
そして、当たり前のことかもしれないのですが、色んな修羅場を聞いているうちに、一人一人が自分のために戦って生きていくことって本来の人間としての強さなんだなって思いました。
そんな動画をなんとなく見ていた矢先、クリスマスの日に我が家で問題が起きました。
問題といっても、私としては「またかー」という内容。
本題にはいる前に、まずはうちの両親について話します。
両親は、昔からお金の喧嘩が絶えませんでした。物心ついたときにはもう始まっていて、幼いながら「私のせいで喧嘩しているに違いない」と何度も泣きながら仲裁した記憶があります。
色んな勉強をしていくうちに「お金」の喧嘩は、コミュニケーション不足の最終形態だと知りました。
本来ならば、お互いの心のうちを話し合う場面で意地をはって素直になれないから、目に見える「お金」を使って喧嘩する。
うちの両親はその典型でした。
お金に限らず、私の躾がなってないと思えばお前のせいだ!あなたの態度が悪い!
とにかく、気に入らないことがあれば、なにかを使って喧嘩している夫婦でした。
そして、私はことあるごとに八つ当たりの的となっていました。
母は不満を我慢して、父にイライラをぶつける。
それに文句をいいつつ勝てない父は、私にいちゃもんつけて傷つくことをいってくる、怒鳴ってくる、私がいかにしょうもなくて、ちっぽけな存在かを伝える。
だいたいは母の八つ当たりから、父→私。または、母のイライラ→何か気にくわないところや目についたところを突然私にちゃんとしろと注意してくる。
何か事情をいおうものなら「親に口答えするな」「なんでハイっていえないの?」で突き返されていました。
もちろん、私は性格が不器用なので、理不尽なことには傷ついても立ち向かって母とは口論、父とは大喧嘩になることもしばしば。
空手家である父は蹴る、殴る動作の寸止めで強さを誇示してくる人で「お前なんてどうせ俺に勝てない」と言われ、もちろん力では勝てないので部屋で悔し泣き。
逆に私に言い負けそうモノなら「俺の家だ!出ていけ!」「お前の話なんて聞きたくない!」の一点張り。
なんで私はあんなひどいことを親にいわれなければならないのだろう。俺(私)の言うことを聞け!ハイっていいなさい!とモノのように理不尽に扱われるのだろう。
と、中学生~20代前半まで泣いて過ごしていました。
中学生の時に、喧嘩で家を飛び出て、行く宛がなく雨の中2時間30分歩いて親戚の家に行ったこともあります。
一瞬、父に恥をかかせたくて交番に行ってやろうと思いましたが、その時は思い止まりました。(父は世間体をとても気にする人です)
とにかく、いつもどことなくピリピリした父、母に監視されているような気分で過ごしていた記憶が強い思春期です。
20代中盤からは、心やスピリチュアルな勉強をしていく中で親も1人の人間であること。
また、「自分達を必死に守らないと生きていけなかった人たちなんだな」、「私よりも遥かに視野が狭いたちなんだな」ということが分かり、子どもの立場ながら見守る気持ちで努めていました。
その間にもちろん両親との喧嘩は何度かありましたが、母とは少しずつ仲良くやっており、あんな父でも親子なんだし仲良くやっていけたらいいなって思いました。
ということで、本題に移ると今回のクリスマスの喧嘩も、お察しながら2人のコミュニケーション不足で起きていました。
母はクリスマスの日に結婚式に送ってもらいたいと話、父は約束したかと思えば破り、やっぱり送る、やっぱり用事があるとはっきりせず。
これにイライラした母がクリスマスの日に父に前に貸していた金を返せ!と喧嘩になったわけです。
そして、先日の私の部屋の断捨離途中のゴミを業者がくるのでまとめていたものがあったらしく、母が、父についでのように怒鳴る。
ゴミがあるだろう!捨てろ!あなたはほんとに気が効かない!
そして、ぶちギレる父。
おい!!
いまの!!お前の部屋のゴミだろう!!なんで捨ててないんだ!!ふざけるな!!
そう、なぜか私に。
アパートに帰る前にトイレに入ったのが運のつきでした。
最近は怒鳴る父に内心震えながら、仲良くしたいしヘラヘラして場を落ち着かせることを優先していました。
私が我慢すれば丸く収まる。だって、彼らは私より心がか弱いのだから、と。
でも、今回は私もとあることでイライラがたまっていたのと、なんで私が毎回顔色伺って生きないといけないの?という素朴な疑問が爆発し。
気づいたら、
もーーーーーー!!!
うるっせんだよーー!!!毎回毎回こっちに八つ当たりしてくんな!!クソがぁあーーーーーー!!!💢
と、トイレから出ると同時に、大声で怒鳴り返していました。怒鳴るというか、叫んでた。
そこからはもう怒鳴り合い。
母に怒鳴られ、私に口答えされたことが気に入らない父
VS
夫婦のコミュニケーション不足で八つ当たりされることに我慢の限界の私
ディズニーランドのお菓子の缶がたくさん入ったゴミ袋が飛んできたので、勢いに任せ投げ返し。
それに更に腹を立てた父が、私を殴ろうとしてきたので
やってみろやぁーーーー!!!八つ当たりしてんじゃねぇーーよー!!バーーーーーーカ!!!
と、もう自分でも意味わからないくらい叫んでました。
父がそれでも可愛い娘の私を殴れないこと。
父自身が、いかに自分を情けなく思って怒鳴っているのか。
頭の片隅でそんなことを考えながら、でも、もう、私も我慢の限界だったんです。
そのまま、ちゃっかり母が玄関に置いておいてくれたクリスマスケーキを掴んで。
バーーーーーーカ!!!!
と2人に叫んで家を飛び出しました。
家を出た瞬間、叫んだらスッキリしたのか、ひどいことしたな手伝おうかな。と思いましたが、心を鬼にしてアパートに帰りました。
私はほんとに優しい子なんだなと、斜め上なことを考えながら、泣きながら父と母に「離婚したいならすればいいけど、こっちに八つ当たりしてくるのは我慢できん。頭使って行動しろ。」
と偉そうな文章を送りつけ。
「私は、父(母)のことは好きだし愛している」とだけ送りました。
嫌いなわけではないけれど、30年近く生きててもう八つ当たりに巻き込まれるのは限界でした。
父とは、こちらが仲良くしたいと接しても、あちらから八つ当たりされ何度もその健気な気持ちが挫かれてきました。
母には、ほんとうに自分の限界を知って感情をコントロールする訓練をしてほしい。無理をしないでほしい。
そんなことをいっても、そもそも自分の状態に向き合えない彼らに、私が何をいってもナンセンスなのは知っていました。
そもそも私がなぜ、この日イライラしてたかというと。
親戚の家業の手伝いで、年の近い跡取り息子である従兄弟の自慢話、武勇伝みたいな興味のないを延々と聞かされたからです。
あとは、ことあるごとに私に対して気持ち悪いとか言う失礼な奴で。小さい頃からでしたが、我慢の限界だったので無視してました。
とにかく興味ないし、くだらん。消えろって念じてました。(私がアルバイトの立場ですw)
そして、その従兄弟には息子がいるのですが「言うことを聞かないならクリスマスプレゼントやらないから」と、何かに嫌がる息子をことあるごとにモノで吊って従わせている。
お嫁さんもちょっと病んでる人で、息子が楽しそうな時に限って「それ、やめなさい」「ママの言うことが聞けないなら知らない」と始まる人で。
息子は親から捨てられないよう、必死で言うことを聞いているのです。
あー、この子は昔の私なんだな。って見ていて悲しくて。
おうちにいく度、微力ながらその子をフォローしてました。
愛はあるかもしれないが、私が見ている限り従兄弟夫婦は健気な息子を顧みようともせず、自分達の自尊心を守ることしか考えていない。
そして、うちの両親もよく私に同じこいとを言っていた。
きっと、従兄弟の息子が、従兄弟夫婦に喜んでもらいたいからと何か行動を起こしても、きっと「そんなのいいから」「今は忙しいからあとでにして」と喜びもせずいうでしょう。
人は違えど、この従兄弟夫婦とうちの両親の心の在り方はどこか似ているのかもしれない。
親子だし家族だからと顔色を伺って頑張ってきたましたが、私の両親も、2人の望む形以外のものを受け取らないし認めないところがあります。
次の日、今回の喧嘩を通して、父のこれまでの私への扱いや言動をおうち仕事の中ぼーっと考えてみました。
もちろん、母が発端だったり、仕事で疲れていたのかもしれません。でも私が傷ついてきたことも事実。
そんな記憶を辿っていった結果、私が出した結論は。
「このようなことが続くなら親と縁を切る選択肢も視野にいれる」です。
いかに大切にしたい親であろうと、私のことを大切に扱わない人といることは苦しいし辛い。
これまでは、家族だからと我慢してきました。
でも、家族だからと私が今目標にしている「人の顔色を伺わない」を素で強要してくる人たちとはこれ以上付き合いきれないと感じました。
私は親が雑に扱っていいモノではないし、サンドバックでもありません。
これは2ch動画をみていたからこそ出た結果でもあると思います。
家族でも嫌だったら伝える努力をする、それがダメなら行動を起こして自分を守る。これでいいんだなって思わせてくれました。
同時に、私はこれまで大切に守ろうとしていた家族から攻撃されていたのだな、となんか見えていたようで見えてなかったことにも気がつけました。
今の両親でなければ心の勉強をしようとは思わなかったかもしれませんし、育ててくれたことも、お金を出して専門学校に通わせてくれたことも感謝しています。
しかし、感謝する部分はあれど、人として線引きも必要な時もあるのだな、と気がつけた出来事でした。
まだ具体的なことは考えていませんし、なるべくなら、仲良くしたいという気持ちも変わりません。
けれど、私を傷つけてくるならば容赦はしない。
そんな気持ちが固まりました。
ということで。
私なりに一人の人間として親からの扱われ方に対しての長年の疑問、その結論がここにきてようやく出せたお話しでした。
来年でめでたく30代突入。これに気がつくまで長かった。数ヵ月前からサターンリターン真っ只中で見事に人生の節目がたくさん降っています。
今回の結論は、これまで必死に心のことや、意識のこと、スピリチュアルなことを自分なりに学んできて。
人生は自分で選べることに気づけてきたからこそ受け取れた答えだと思います。
そして、今日はきっと誰かに、私の成長を知っててほしくて書いたんだと思います。
不快な表現やあまり気持ちのよくないお話しもあったかと思いますが、ご容赦下さい。
とにかく今いえるのは、叫んだお陰でカラオケに行く手間が省けたなーってことくらいです。
「声を出すことはお払いになる」と聞いたことことがあるので、よい厄払いになったかもしれません(笑)年末と言うことで、ここに納めます。
明日からは、また日常編でまったり書いていきます。
今日はこのへんで。
また、明日😁
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