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結局空を飛べるのはいつだって子どもを続けた人だけなのかもしれない。1巻こばなし#03「エア・ギア」

このnoteでは
色んなマンガの単行本1巻だけの感想を書いていく。
すでに連載終了した作品でも、まだ1巻しかでていない作品でも1巻は誰にでもやってくる。
「このマンガは3巻から面白くなっていくんだよね」「最終巻まで一気に読むといいよ」
そんなことはご存じない。だって、ボクらはいつだって1巻から読み始めるんだから

賭けろよ
族章(エンブレム)を!!

エア・ギア01より イッキ

はじめのこばなし

空を自由に飛びたいなと猫型ロボットでは歌うが、自分はどちらかというと新幹線移動の方が好きだったりする。
実家の九州に帰るときも東京博多間の新幹線で帰るし、極力陸移動が好きなタイプだ。
それは別に飛行機が嫌だというよりも、「飛行機を使って移動するまでが非常に不自由だ」と感じているからだ。

最寄りの駅や都心からものすごく離れた所にある空港。福岡空港みたいに都心からすぐじゃないのがストレスでしかない。なんでえっちらおっちら移動せにゃならんのだ。
そして、意味はあるのだろうけどとにかく面倒くさい検査。手荷物検査やら機内持ち運びサイズやら、預け荷物重量やら……。
おまけに電車と違って乗り遅れが一切許されないシステム。自由席ないんかい。いや、ないんだけどさ。そのため、1時間以上も前から待機しなくてはいけない。
ぶっちゃけ、飛行機乗っている時間よりも空港へ向かって、手続きをする時間の方が長かったりするかもしれない。
だから、正直国内移動なら多少時間はかかっても割と融通の効く陸移動を私は好む。

LCCやら何やらが増えて利便性はましたのだろうけど、あの時夢見た「自由な空の移動」へはまだまだ遠い気がする。
それもそうだろう。なんたって宇宙旅行なんてのもお金配りおじさんができるぐらいの財力が無いとできないことなのだ。

やはり人類が空を望むことへの難易度は未だに高いままだ。

話変わって、運転免許が取れない中高生時代の移動手段といえば自転車だ。
長崎県の中央の市出身の私ももれなく、中高とチャリ通をしていたし、小学生の時も自転車で市内を駆け巡った記憶がある。
あの頃の最高の移動手段は、自転車だった。疲れるし、田舎道は夕方羽虫の大群が目の前に迫るしでキツかったが、車通りも少ないこともあって自由自在に走り回っていた。

それが仕事のために上京すると移動は電車。コロナ禍の今では外出もろくにしないので、月一の出社の時以外はほとんど移動さえもしなくなった。
長崎の頃は毎週末当時付き合っていた彼女と遊ぶために、父親の車を借りて県内を走り回るほどにドライブが好きだったが、それさえもご無沙汰だ。
いい加減、車かバイクに乗りたいものだなと思いつつ、今日も自動車にかかる諸経費を調べては諦める。

今日の1巻

今回紹介するのは大暮維人著「エア・ギア」だ。
コンピュータ制御で4kWの出力が出せる超小型モーターを搭載した架空のインラインスケート、エア・トレックを使ったアクションマンガだ。

まず、エア・ギアを読んで驚くのは、大暮維人先生による細かい描写だろう。機械をちゃんと機械らしく書き、どこかオーバーに表現をすることで嘘っぽいマシンなのに、まるで本当に存在しているかのような錯覚を覚える。
ここら辺は、私の生涯マンガランキングの第2位の「よろしくメカドック」の描写とは違うアプローチだと思っている。
向こうは、現実のものを現実のように書き、ほぼほぼリアルに書くことで、現実への再現を可能にしているのだ。

あとは擬音の描写だろう。
ジャカーという駆動音をやじるしをモチーフにして描いたり、ギュギュギュギュワという擬音と共にコマの右上奥から左下手前へ移動するキャラの動きに合わせて、大きさを変えるなどしている。
これは今となったらちょっとクドいのかもしくは厨二っぽいのかわからないが、当時の私からすると一言「かっけええええ!」だった。

そう、かっこいいのだ。
機械はいくつになってもかっこいい。
エアトレックによるアクロバティックな動きとそれを際立たせる効果演出。キャラクターの個性。様々な要素が、当時中学生だった自分の心をくすぐってくれるのだ。

よく、昔はよかったということに対して「それは思い出補正だ」と一蹴されることがある。
確かにそれはそうかもしれないが、個人的には何年先も思い出補正がくっついても面白いと言えるものが真に面白いものではなかろうかとも考える。

なんたって、当時は思い出補正がなくとも面白かったのに、そこに補正が加わったら余計に面白く感じるのは当たり前な気がする。

閑話休題

さてそんなエア・ギアの第1巻(今回は新装版の第1巻を対象)では、イッキのエアトレックとの出会いから犬のおっさんこと犬山のチーム「レザ・ボア・ドッグス」との勝負が描かれている。

主人公イッキは初めからエアトレックに乗っているわけではない。初めは東中のベビーフェイスと言われているやんちゃ(いわゆる不良)な中学生だ。
縄張り争いによって、エアトレックのチームにぼこぼこにされてクラスメイト達からもちょっとしたいじめを受ける(一応、そのチームを倒すことはできたが、イッキがエアトレックに乗って倒したわけではないので、1巻時点ではまだハブられているが……)。

高い描写から繰り広げられるエッチな絵とかっこよさと躍動感に溢れるアクション描写のギャップがよく。
思春期の僕らの心にカチッとハマったのだ。

エアトレックというものは架空のものだが、その描写のリアリティから、「もしかして作れるのでは?」なんて錯覚して、友達と設計図を作って理科の先生に話したことはよく覚えている。
その時の先生はそれらを子どもの笑い話にせずに、真剣に聞いてくれて、どうすればいいのか、なにが足りないのかを教えてくれた。

中学校の教師陣には一通り感謝をしていない私だが、そんな中でも数少ないいわゆるところの「恩師」とも言える人だろう。

今、改めて読んでいくとやっぱりかっこいい。だが、それとは別にあの頃から結局エアトレックは開発されていないことに若干のショックも覚える。
法律やら何やらは置いておいて、実現しなかったのか。結局、まだ人に翼は生えていなかったのかと落胆する。

大人になるというのは子どものころの憧れや夢を捨ててその中で「大人らしい」選択肢をとっていき無難を進むものだと思う。
しかし、その中で夢を叶える人らはいる。
彼らは成長の過程で自身の才能を発揮する場所や機会に恵まれ、「大人らしい」選択肢をとる必要がなかったのだろう。
子どもの頃は許されていたことを、大人になっても許されている人らが栄光をつかめるのだ。

やっかみのようにも聞こえるかもしれないが、果たしてそうなのだ。
宇宙に行ったあの人も、スポーツで大きな栄誉を手に入れた人も、テレビで楽しそうに笑うあの人も、大人のように振る舞いながらも、「大人らしい選択肢」を取らなくて済んだ、もしくはあえて取らなかった人達だと思う。

いつだって空を飛べるのはそういう「大人」を選ばなかった人たちだ。
「大人」を選んだ私たちが空を目指す方法は最寄り駅から1時間近くかけて空港へ向かい、面倒くさい手続きを得て、窮屈な椅子に座るしかない。

空を自由に飛べるようになったとき、それはきっと大人が「大人」を選びつつも「子ども」でいられるようになったときかもしれない。


ということで

なんかそれっぽい感じに終わったけど、要するにエアギアは派手でかっこいいマンガだし、テンポもいいから読んでくれよ!
ってこと。
1巻時点で割と伏線も張ってあったりするので、2巻以降への期待をもって読み進めて貰っても構わない作品だ。

大暮維人先生は現在、化物語のコミカライズもしているが、こちらも負けず劣らずの描写の暴力で殴りかかってくるのでおすすめだ。

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