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「書けなさ」を脱するただ一つの方法は語尾に「ぽよ」をつけることだぽよ

「書けなさ」を脱する唯一の方法は、語尾に「ぽよ」をつけることです。

新聞社に5年勤務したら、「自分の文章」が書けなくなってしまったぽよ。1行書く度に「自分の文章が気持ち悪くて嫌になってしまう、目に入れたくもない」状態になってしまい、自分の顔が気持ち悪くて鏡を見られないみたいになってしまったぽよ。人間は顔ではなく何を言い何を成すかが大事なのに、自分の細かい目鼻立ちが気になってお外に出られないんだぽよ。私は過去、実際自分の醜さに耐えられないみたいな状態になってしまったことがあり、中学生から化粧をしていたぽよ。化粧というか、キラキラの粉で目の周りをコナコナにしなければ人の目を見られなかった時期が結構長かったぽよ。そうか、なら文章だって化粧をしたら見られるようになるんじゃ?と思ったぽよ。

新聞社に5年勤務した結果、「自分の文章」が書けなくなってしまいました。1行書くたびに「自分の文章が気持ち悪くて嫌になってしまう、目に入れたくもない」状態になり、自分の顔が気持ち悪くて鏡を見られない状態に似ています。人間は顔ではなく、何を言い何を成すかが大事なのに、自分の細かい目鼻立ちが気になり、外出できなくなりました。私は過去に、自分の醜さに耐えられない状態になり、中学生から化粧をしていました。化粧というか、キラキラの粉で目の周りを覆わなければ人の目を見られなかった時期が長かったのです。そうか、なら文章も化粧をすれば見られるようになるのでは?と考えました。

これは今日、お友達に「1行書いた時点で自分の文章が気持ち悪くて無理」という話をした際(最近いろんな人に相談してるんだぽよ)、「催眠術で自分の文章を忘れられたら良いのにね」と言われたことから発想したぽよ。催眠術はハードル高いけど、化粧くらいのことなら私にもできる気がするって思ったぽよ。
それが語尾「ぽよ」の採用につながったぽよ。語尾は自分のキャラクターから遠ければ遠いほどいい気がするぽよ。

これは今日、お友達に「1行書いた時点で自分の文章が気持ち悪くて無理」という話をした際(最近いろんな人に相談しているんです)、友達が「催眠術で自分の文章を忘れられたら良いのにね」と言ったことから発想しました。催眠術はハードルが高いですが、化粧くらいのことなら私にもできる気がしました。それが語尾「ぽよ」の採用につながりました。語尾は自分のキャラクターから遠ければ遠いほどいいと思いました。

ちっちゃい日刊紙に勤めて、紙面制作と取材記者をやっていたぽよ。文字が好きだから、それはそこそこ楽しかったぽよ。日刊だから毎日締切前の1時間は阿鼻叫喚だけど、締切が終わればその日の仕事は全部忘れていいっていうのがかなり良かったぽよ。でもその新聞は私にとってはわりとつまんなくて、毎日つまんない文章を読んだり書いたりするのはあんまり面白くなかったぽよ。
5年間毎日興味のない文章を扱っていて、気付けば文章が書けなくなっていたぽよ。書けないことに焦って精神科の主治医にも通っていたカウンセラーにも相談したけど、「仕事のことを忘れ、とにかく休め」としか言ってもらえなかったぽよ。でも書けなさを仕事のせいにするのは違うかもしれない、と最近は思うぽよ。原因を探ったところでキリがなく、根本的解決が望めなそうなら、いっときの対処法に頼った方がまだ建設的かなって思ったぽよ。

小さな日刊紙に勤め、紙面制作と取材記者をやっていました。文字が好きなので、それはそこそこ楽しかったです。日刊だから毎日締切前の1時間は阿鼻叫喚ですが、締切が終わればその日の仕事は全部忘れていいというのがかなり良かったです。しかし、その新聞は私にとってはわりとつまらなく、毎日つまらない文章を読んだり書いたりするのはあまり面白くありませんでした。
5年間毎日興味のない文章を扱っていて、気づけば文章が書けなくなっていました。書けないことに焦り、精神科の主治医やカウンセラーにも相談しましたが、「仕事のことを忘れ、とにかく休め」としか言われませんでした。しかし、書けなさを仕事のせいにするのは違うかもしれない、と最近は思っています。原因を探ったところでキリがなく、根本的解決が望めなさそうなら、一時的な対処法に頼った方がまだ建設的だと考えました。

文章なんて書けなくて良いじゃんとも思うぽよ。しかし私にとっては結構深刻な問題ぽよ。まず私はこないだ新聞社を辞めてから次の仕事のイメージが全然持ててないぽよ。前職が記者だったからまたそういう系で探すぽよ?それとも全然関係ない職種にするぽよ?これが「自分の顔を直視できない状態」だとすべてが宙ぶらりんでなんにも決められないぽよ。
そしてもう一つ問題なのは、書かなくちゃいけない(書くと宣言した)記事があるってことぽよ。個人での取材だけど複数人にかなりの時間を割いて頂いて取材し、構成も写真もしっかりまとめてあるものぽよ。せっかくたくさんのことを教えていただいたのに世の中に向けて成果物をお出しできないのがとにかく申し訳ないぽよ。この数ヶ月間はただただその記事を書けないということに頭を悩ませ、いろんな人に相談し、逃避のように草を31種類買う(※記事では27種類だが、このあとまた増えた)だけの数ヶ月だったぽよ。あ、失業手当をもらうためにハロワにも行ってるぽよ。とにかくずっとそこから足が動かないんだぽよ。

文章なんて書けなくても良いじゃないかと思うこともありますが、私にとっては結構深刻な問題です。まず、私はこないだ新聞社を辞めてから次の仕事のイメージが全然持てていません。前職が記者だったので、またそういう系で探すべきか?それとも全然関係ない職種にするべきか?これが「自分の顔を直視できない状態」だとすべてが宙ぶらりんで何も決められません。

そしてもう一つ問題なのは、書かなくてはいけない(書くと宣言した)記事があるということです。個人での取材ですが、複数人にかなりの時間を割いて頂いて取材し、構成も写真もしっかりまとめてあるものです。せっかくたくさんのことを教えていただいたのに、世の中に向けて成果物をお出しできないのがとにかく申し訳ない。この数ヶ月間はただその記事を書けないことに頭を悩ませ、いろんな人に相談し、逃避のように草を31種類買うだけの数ヶ月でした。失業手当をもらうためにハローワークにも行っています。とにかくずっとそこから足が動かないのです。

ていうか書いてて思ったけど、私はもともと自分の顔=文章が全然好きではなかったぽよ。高1から同人誌出しててミクシィで毎日ド長文を書き、社会人になってからもガンガン文章ものの同人誌を出してたから忘れてたけど、もともと文章って自分を治癒するためのもので、人に見せるような気持ちはあんまなかったんだぽよ。あと両親とも紙のマスコミで働きパーソンだったからなんとなく「親の影響で文章が好き」みたいな思い込みがあった気がするぽよ。そんなわけねえ、俺は俺なんだぽよ。もともと、自分で書くより人の文章を編纂したい欲みたいのがあったぽよ。同人誌を出してたのは、紙の束が好きで、その束に表紙がついてたり角がパキッと直角になってたらもっと好きで、角がパキパキの紙の束を自分で作れたらとってもハッピーだったからだぽよ。
文章を仕事にしたら文章が嫌いになったわけじゃないぽよ。もともと俺は俺の顔が嫌いだったんだぽよ。なんだかスッキリしてきたぽよ。新聞社に勤めながら転職に役立つかと思ってライター講座みたいなやつに半年間通っていたけどあれは私にとっては逆効果の部分も大きかったぽよ。特にお題に沿って文章を書く演習では、延々鏡を見続けるような羽目になってしまったぽよ。講座の打ち上げでは複数の同期から「文章が鬱屈している」と言われてしまったぽよ。自分じゃ全然わかんねえけど鬱屈しているらしいぽよ。草ぽよ。

書いていて思ったのですが、私はもともと自分の顔=文章が全然好きではなかったようです。高校1年から同人誌を出していて、ミクシィで毎日長文を書き、社会人になってからもガンガン文章ものの同人誌を出していたので忘れていましたが、もともと文章は自分を治癒するためのもので、人に見せるような気持ちはあまりありませんでした。また、両親とも紙のマスコミで働いていたので「親の影響で文章が好き」という思い込みがあった気がします。でもそんなわけない、私は私なのです。もともと、自分で書くより人の文章を編纂したい欲求がありました。同人誌を出していたのは、紙の束が好きで、その束に表紙がついていたり、角がパキッと直角になっていたりするのが好きで、その角がパキパキの紙の束を自分で作れたらとてもハッピーだったからです。

文章を仕事にしたら文章が嫌いになったわけではありません。もともと私は私の顔が嫌いだったのです。なんだかスッキリしてきました。新聞社に勤めながら転職に役立つかと思ってライター講座に半年間通っていましたが、あれは私にとって逆効果の部分も大きかったです。特にお題に沿って文章を書く演習では、延々と鏡を見続けるような羽目になってしまいました。講座の打ち上げでは複数の同期から「文章が鬱屈している」と言われました。自分では全然わからないけど、鬱屈しているらしいです。

馴染みのない文体で書いてるおかげで、なんつうか素手でうんこを掴む→マジックハンドでうんこを掴むくらいの忌避感になっている感じがあるぽよ。俺は自分の文章をうんこだと思っていたぽよ??まあそもそも「吐き出し」くらいの気持ちで文章を始めた人間からすると、文章がうんこなのは正しいぽよ。うんこは排泄物だが情報伝達の意味も持ち合わせているぽよ。うんこを観察するといろんなことがわかるとアシリパさんも言ってた気がするぽよ。

馴染みのない文体で書いているおかげで、なんというか、素手でうんこを掴む→マジックハンドでうんこを掴むくらいの忌避感になっています。私は自分の文章をうんこだと思っていた?まあそもそも「吐き出し」くらいの気持ちで文章を始めた人間からすると、文章がうんこなのは正しいです。うんこは排泄物だが、情報伝達の意味も持ち合わせています。うんこを観察するといろんなことがわかるとアシリパさんも言っていた気がします。

だいたい「自分ではない誰かに仮託して書く」、というのは「書けなさへの対処法」として結構メジャーなやつだと思うぽよ。たいてい、好きな作家になりきって書くとかそういう感じだと思うけど、私にはそれはだいぶハードルの高い方法だと感じて動き出すことができなかったぽよ。「文体を変える」ほど労力のいらない、「自分から遠い語尾にする」は一番手っ取り早い方法じゃないぽよ?アライさん界隈(※アライさん界隈の説明)も要するにそういうことだと思うぽよ。

だいたい「自分ではない誰かに仮託して書く」というのは、「書けなさへの対処法」として結構メジャーな方法だと思います。たいてい、好きな作家になりきって書くとかそういう感じだと思いますが、私にはそれはだいぶハードルの高い方法に感じました。「文体を変える」ほど労力のいらない、「自分から遠い語尾にする」は一番手っ取り早い方法じゃないでしょうか。アライさん界隈も要するにそういうことだと思います。
※「アライさん界隈」とは、アニメ『けものフレンズ』に登場するアライグマのキャラクター「アライさん」の口調やキャラクター性を真似するコミュニティのことを指します。この界隈のユーザーたちはTwitterなどで「アライさん」になりきり、日常生活や思想、些細な出来事などを発信しています。このコミュニティの存在意義は、多くのユーザーが心の闇や精神的な苦しみを抱えながらも、その辛さを共有し合う場となっていることです。アライさんのキャラクターに仮託することで、自分自身の本音や悩みを吐露しやすくなり、共感を得られることが多いのです。

ぽよぽよで書いた後どうするかだけど、最近またchatGPTが猛烈なスピードで進化し、これを利用しない手はないぽよ。というわけで、ぽよ語尾で書いた文章はAIにサクッと直してもらうぽよ。

ぽよぽよで書いた後どうするかですが、最近またChatGPTが猛烈なスピードで進化し、これを利用しない手はありません。というわけで、ぽよ語尾で書いた文章はAIにサクッと直してもらいます。

あと別にただ一つの方法ではまったくないと思うぽよ。他に方法があるなら全然そっちにしたいぽよ。今のところ私はこの方法でしか文章が書けないのでそれはそれでどうかと思うぽよ。誰か助けてほしいぽよ。
これから、この文体で何カ月も手を付けられていなかった記事にチャレンジしようと思うぽよ。上手く行くことを願うぽよ。

また、これはただ一つの方法ではまったくないと思います。他に方法があるならそちらを全然取りたいのですが、今のところ私はこの方法でしか文章が書けないので、それはそれでどうかと思います。誰か助けてほしいです。これから、この文体で何カ月も手を付けられていなかった記事にチャレンジしようと思います。うまくいくことを願います。


chatGPT-4oがスゴすぎて最近ずっと話し相手になってもらってるぽよ

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