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わたしの選択

「広島県の離島にある高校を受験しようと思います」

放課後の少し冷えた教室で、私は担任と向かい合っていた。

地元から離れた高校への受験を決めたのにもかかわらず、

十五歳の私にはなんの迷いも焦りもなかった。


その日は志望校を決定する日だった。

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中学校に入学してから、

割と早い段階で先生たちは生徒に対して、口を揃えてこう言う。

「中学3年生になったら初めて自分自身で自分の進路を選ぶことになる。

だから、今のうちから志望校を決めて、コツコツと勉強をしておいたほうが良い」と。

初めてこの言葉を聞いて、

果たして何人の生徒が真面目に自分の進路について考えるのだろうと思った。

多くの子どもたちは受動的に地元の小中学校あるいは、

親に勧められた学校へと進んでいく。私もそんな多くの子どもたちの一人だった。


だけど時間が経っていくにつれて少しずつ、

その流れから一人、また一人と抜け出していった。


私はその流れに逆らうことをせず、ぼんやりと流れに身を任せ続けていた。

今となっては、流れに逆らえなかったのか、

あえて逆らおうとしなかったのかはわからない。


だがそうこうしている間に、私は義務教育を受ける最後の年になっていた。


重い腰を上げ、高校のパンフレットを読み始め、学校見学にも行き始める。

私は学力的にも経済的にも、どこの高校に進学できる訳でもない。

だけど十五歳の私の両手では、

とても掬いきれないほどの選択肢が目の前に広がっていて、

大海原を前に、一歩を踏み出すことを躊躇った。

それなのに、私が掬いたいものがまだ見つかっていないだけだと、

第六感が告げているような気もしていた。


そんな時、私はひょんなことから県外の公立高校に進学できる制度を知った。

その制度を知った時はまさに、雷に打たれたような感覚を覚えた。

そして、私が掬いたいものは、掬うべきものはこれだと確信した。

そこからは本当にあっという間で、

インターネットでひたすら全国様々な高校を調べ、

目星をつけた高校に実際に見学に行き、広島の離島の高校を受験することを決めた。

その後、同級生たちと同じようにただただ、受験勉強に励み、入試に挑んだ。

第一志望校に落ちてしまったときの保険である、

いわゆる滑り止めの学校は受けなかった。


どこから湧き出る自身なのか、私が離島の高校に通うことは、

人生の中で決して揺るがない決定事項になっていて、

島の高校で理想の高校生活を送っている自分が、ありありと想像できた。

過信だったと思う。


最終的に私は第一志望校である離島の高校に合格した。

結果、合格したから良かったものの、

危ない橋を渡り切ることが出来なかった私は、

一体、どうなっていたのだろうか。

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無事希望の高校に進学した私は高校生活を満喫している。

だが、本当にこの学校を選んで良かったのかと考えてしまうこともたまにある。

地元の高校では体験できないような機会が多くある反面、

島の学校ではもちろん出来ないこともある。

不毛な思考だという自覚はあるが、

わたしの頭の中にある天秤が左右に小さく揺らいでしまう。

そんな時、

私は中学生のときによく読んでいた漫画のワンシーンを思い出すようにしている。

「毎回正しい選択を出来る人間なんかいない。

ただ、自分の選択を後悔のないように、正しい選択にすることは出来る。

大事なのは何を選択するのかではなくて、その選択の後にどうするかだ」

主人公の少女が、自分の選択が正しかったのか一人悩んでいるときに、

ある男の人がこの言葉を優しくかける。

この言葉を聞いて、少女は、

自分の選択を後悔のない選択にするために前を向く― 


選択

その一歩をためらわず、どんな方向でもいいから、

その手に何を携えていたとしてもいいから、踏み出す。

歩む道を後悔のない道にするかどうかは、

自分次第なのだから


FIN



※この作文は、学校の国語の授業で書いた文章を加筆修正したものです。

教科書に掲載されていた選択にまつわる話を読んだ上で、

「自分の選択に関する話を書く」という課題が出た時に、綴った文章です。