最高の喜び 37 双子のこだわり
3才の頃の双子駿しゅんと環かん
新年は、新居で迎えた。
年末に引っ越したので、まだまだダンボールが積まれてるけど、まぁ、ぼちぼちやるしかないな。
旦那のげんちゃんは、正月三ヶ日で、また、単身赴任地の東京へと戻って行っちゃった。
まだ、1才の双子と、小学生1年の、長男康輔こうすけと、また、4人のドタバタ毎日。
猫の額ほどの土地に建ってる三階建の我が家は、階段が結構急で、まだ、幼い双子を、抱いて上り下りが必要。
階段にフェンスを付けて、
2人を両手に抱いて上り下り!!
1人づつは、ダメ‼️
どちらかを選んで先に上がる?下がる?
とんでもない!
待つ事を最初、仕方のない事としていたんですが、もう、待てない!んですよね。
何故自分ではないのだと、拗ねる拗ねる!
もうすぐ、2才近い2人は、イヤイヤ期で、
先に駿を抱いて上がると、環が下から、
チュン(正式にはしゅん)の方が、好きやねんな…と、拗ねる。
環を先に抱いて下りると、駿が
環がええねんな!と、これまた、上で拗ねる。
最初は違うよ、ただ順番なだけやから、待っててな!と説明してたけど、これが毎回はじまるので、もう!!!!あかん!!!わ
って事で、同時に2人を抱いて上り下りしかない!
これで、あたしに抱かれてる二人は
ご機嫌さんやんか!笑
しかも、彼らはあたしの首にちゃんと手を回して、3人一体となってくれるので、思うより重くない!わかっとるな、この双子!
これで、全て一件落着や!
お陰で、あたしの腕はどんどん逞しく、なんでも、ドーーンと来い‼️や
あたしも双子。
産んだ子も双子。
双子の気持ちは、よーーく、わかってんで、母ちゃんは。
康輔は、新しい学校に転校しても、この小学校には、赤ちゃんの頃から、兄弟のように仲良くしてる、従兄弟が、同じ学年で居てるから、すっと馴染んでいってくれた。
ランドセル放り出して、遊ぶのに夢中!
良かった。
虫大好きやから、まだ、この辺は原っぱが多かったから、まだ帰ってけーへんなと、心配するくらい楽しそうな、様子。
遊ぶのが仕事。
この時期の仲間との遊びは、宝物。
そう信じてる。
そうこうしてる夜明けに、あの、阪神淡路大震災がやってきた。
3階で一部屋に4人で寝てた。
2才間近にしてた双子は、夜泣きが酷く、今迄、この2年間、夜から朝まで寝てくれた事は、10日もなかったくらい。
これは辛かったな。
で、この夜も泣いていて、やっと寝てくれたと思ったら、あの、ゴーーッと地響きがしたと思ったら、3階でいてたからかもしれんけど、縦揺れの凄い地震!!
初めて、死の恐怖を感じた。
双子の駿が、目が覚めて、お母ちゃん!!
ってしがみついたてきた。
大丈夫、大丈夫!!!
と言いながら、あたしは、横の大きなクローゼットが倒れそうで、必死で、立ち上がって支えてた。多分、もっと揺れたら、あたしの力では支えきれんかったやろな。
そしたら、と考えたら、ゾッとした。
何故か、康輔と、環は、スヤスヤ。
駿だけを2階に抱いて降りてみると、電子レンジは落ちてるし、かけてあった絵も落ちて、ガラスが割れて。
これで済んでよかった。
でも、余震も来てるしなー?
朝になって、ラジオから来る情報を聞いて、とりあえず康輔は、学校へ行かせたけど、すぐ帰ってきた。
また、こんな地震やってきた時、あたしは、果たしてこの子供達を守れるだろうか?
ものすごく悩んで、近くに妹の家があったので、そこには旦那さんも居てる!
いざとなったら、助けになってもらえる!
旦那げんちゃんから、電話もない。携帯がない頃で、なんでくれへんねんやろ?
ニュースで知ってるはずやのに。
ええいい!と、車に布団を積んで、妹の家に避難した。
後で聞くと、やはり、電話は繋がらず、東京で、物凄く心配してたげんちゃんやった。
どんどん広がる犠牲者の数に、ニュースを通して、愕然としてた。
でもいつまでも妹の所に甘える事も出来ずに、2〜3日で、ドキドキしながら、家に帰ってきた。
その時、親戚の叔母から電話
大丈夫やった?
はい、ありがとうございます。なんとか大丈夫でした。怖くて妹の家に避難してました。
すると
げんちゃんが居てない以上、あなたが頑張らな、どうするの!!人を頼ってたらあかん!!
ショックやった。
その時は、なんでこんなん言われなあかん?
とも思ったけど、バーーンって叩かれた気分やった。
母を亡くし、旦那もおらん、そして、あたしは3人の母や。
常に誰かに頼ってきたよなーー、って。
その日から、やっとあたしは、3人の母になれた気がした。
遅っ!
でも、自覚できた。
やっと!
遅っ!!
でも、母として、自覚した。
この手で守る!!!
#阪神淡路大震災 #エッセイ #自覚 #双子 #育児 #階段 #虫
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?