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「杯」 森鷗外 感想文

夏の朝、「清冽な泉」のそばで起こった出来事を、ちょっとだけ離れたところから、そっと語り手が眺めているというお話である。

朝靄と湧き出る泉、「万斛(ばんこく)の玉を転ばすような音」(p.8)、と谷川の豊かな水量を思わせる表現が美しく、涼やかな夏の朝の空気が伝わるようでとても気持ちがいい。

お揃いの真っ赤なリボンをした七人の娘たち。
「この七顆の珊瑚の珠を貫くのはなんの緒か」(p.9)
連なる赤い珠がどこから来たのか、文章の美しさがとても際立っていた。

澄みきった泉の水はきっと冷たく、そしてきっと呑みたくなるだろう。

「先を争うて泉の傍に寄る」、
この一文から、子供の無邪気さと何かが起こりそうな予感。

同じ年くらいの友達らしき女の子七人が同じ「大きな銀の杯」を持って、泉の水を呑みにやって来た。

競い合うのが苦手な子供の頃を思うと、きっとそのような場面を避けたであろう。
女の子が七人、その強気と勝気。
自分もそんなものを持っていたから避けたいと感じたのであろう。

自分が言ったことが一番早くて、一番正しい、ちょっとでも間違ったことを言うと大騒ぎ。
残酷な児童期である。
「わたし一番よ」
「あら。ずるいわ」
「嘘ばっかし」と、小鳥よりも厄介な可愛い小悪魔達。

お揃いの銀の杯は、それぞれの親が参加した何かのお祝い行事の返礼品なのだろうかと想像した。
彫られていた「自然」という変わった文字は、返礼品を贈った主の特別な仕事の証のような気がした。

その後只一人坂を登ってくる、「第八の娘」。
髪の色、目の色、服もリボンの色も七人の子と違っていた。
何より持っていた「杯」が七人のものと全く違う、「熔巌色の小さな陶器の杯」なのだ。

みんなと違う、「サントオレアの花のような青い目」の娘は、七人にとっては異質の美しさであり、きっと一瞬にして恐れを感じたのだと思われた。

「平和の破壊者」と今までの緩やかな時間が変化した瞬間、その時から小さな意地悪が始まった。

ここから、この時期に起こりがちな酷な「除け者」、「爪弾き」が八番目の娘に向けられた。

自分の持っているものが人と違って見栄えも悪かったのだ。
そしてそれを馬鹿にされた時、その場から去るのかとどまるのかは、その後の生き方ににも関わる大切な場面である。

「サントオレアの花のような青い目」の女の子は、はっきりと言った。

「私の杯は大きくはございません。それでもわたくしは私の杯で戴きます」 p.14)
とフランス語で。そして静かに唇を潤した。
MON」、「私の」その言葉が彼女の強い意思であった。

「最後の一句」の

「お上の事には間違いはございますまいから」と言い切った「いち」の強さと深く重なった。


ラストにぐっと心惹きつけられた幼い真の強さは、「最後の一句」と同じ感動だった。

「配られたカードで勝負するっきゃないのさ、それがどうゆう意味であれ」といったスヌーピーの言葉が頭をよぎった。

どんなに歳を重ねても、はっきりともの言える人でありたい。

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