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「文鳥」 夏目漱石 感想文

「その日は一日淋しいペンの音を聞いて暮した」(青空文庫)

部屋の中に音がない、読みながら所々に淋しげな悲しさを感じたのは何故だろう。

小説家とは、日がな一日書き続けなければならないという苦しくも孤独な労の上に成り立っているのだと思った。

「伽藍のような書斎 」という響きが寒寒としていて、ひっそり広々と何もなさそうなその部屋に、いつか文鳥がやってきた。

最初に、「鳥を御飼いなさい」という三重吉に渡した五円札は、きっとその時、三重吉が気になっていた文鳥のような女への一時凌ぎに貢いだお金だったのだろうと想像した。
季節をいくつか跨ぎ、初冬に三重吉がやっと連れてきた文鳥。

「伽藍」という部屋の様子と文鳥への「気の毒になった」という言葉が何度か出てきて、その響きが何とも物悲しく淋しく伝わってきたのだった。

今回改めて「文鳥」の写真を見てみると、儚い乙女を思わせるように美しくて壊れそうな見目をしていた。

しかし驚いたのは、それ以上に、漱石の初恋の女性の美しい写真だった。(後でわかりましたが、その写真はイメージでしたが)

この小説は、明治四十一年六月十三日から二十一日に大阪朝日新聞に掲載されたものであるという。
その約十日前に、漱石の幼馴染で初恋の人、「日根野れん」という女性が四十一歳で亡くなっていたのだ。その後にこの小説は書かれたものだということを知った。

「日根野れん」は、漱石の養父の後妻の連れ子で、漱石が小さい頃から同じ家に住み一緒に小学校に通ったそうだ。
妹のような存在を愛するということへのジレンマが大人になっていった漱石を苦しめたのかもしれないと想像した。
叶わなかった思いをずっと引きずっていたように感じた。きっと美しい女性だったのは間違いなかったと思う。

餌が足らなかったことで、死なせてしまった文鳥への申し訳なさと「気の毒」さが、その時のれんの死を遠くに思った切ない気持ちと重なったのかもしれない。

何ともいえず小説全体が寒々しく淋しく感ぜられたのは、そういう思いがあったからなのだとしみじみ納得した。

「世の中には満足しながら不幸に陥って行く者がたくさんある」(青空文庫)
普通に結婚した「れん」もその一人のような気がした。

引用はじめ

昔し美しい女を知っていた。この女が机に凭れて何か考えているところを、後から、そっと行って、紫の帯上げの房になった先を、長く垂らして、頸筋の細いあたりを、上から撫で廻したら、女はものう気に後を向いた。その時女の眉は心持八の字に寄っていた。それで眼尻と口元には笑が萌していた。同時に恰好の好い頸を肩まですくめていた。文鳥が自分を見た時、自分はふとこの女の事を思い出した。この女は今嫁に行った。自分が紫の帯上でいたずらをしたのは縁談のきまった二三日後である。(青空文庫)

その日は一日淋しいペンの音を聞いて暮した。その間には折々千代千代と云う声も聞えた。文鳥も淋しいから鳴くのではなかろうかと考えた。起きて籠から出してやろうと思いながら、口から出る煙の行方を見つめていた。するとこの煙の中に、首をすくめた、眼を細くした、しかも心持眉を寄せた昔の女の顔がちょっと見えた。(青空文庫)

引用終わり

文鳥は求愛の為に鳴く、そして雌はそれに応えるために「千代、千代」と鳴くのだ。

片方が鳴く時には、片方は鳴かない、そんな時のすれ違いが大切なものを結びつけなかったのかもしれないと、漱石の儚い恋を想像した。

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