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「千曲川のスケッチ」 島崎藤村 感想文

美しい景色を眺めたり、人の心に触れて胸打たれたりした時、誰かに伝えたくてたまらなくなる。

藤村のそんな気持ちを、兄弟のように同じ時を過ごした東京育ちの若い「吉村樹さん」に伝え残したいと書きまとめた。
その思いが、小諸を語る文章をさらにくっきり生き生き写し出していた。
小諸の生活は、藤村の見解を変化させて行ったように見えた。


「もっと自分を新鮮に、そして簡素にすることはないか」序 新潮文庫p.6

都会の空気に疲れた作者が、何とかしたいと自分の内面と葛藤していたのだと思う。

君影草との花の臥床(しとね)、躑躅(つつじ)の繁茂、花あやめ、溝萩の花。
数えきれない季節の花を丁寧に描いていて、目に写るようだった。
自然の中に身を投げ出したくなった。

風の音、季節の香り、水の流れ、土の匂い、谷底に流れ行く千曲川の風景が、疲れた身体に冷たく染み込むようだった。

「水の流れが枕に響いて眠られない」「峠に挟まれた谷間で月夜の感じを味わう」p.60.   
そんな経験をしてみたい。長い間旅行にも行ってない。
美しい文章が心に入り、そして澄み渡った気がして心地良かった。


客観的に見つめる者と現地で暮らす当事者では見る景色が違うと思う。
日常見慣れていると気付かない美しさもあり、外の人間にしかわからない良さもあると思う。
見慣れた景色は、そこで生きる者が自然に享受してしまい発見はないのかもしれない。

また語られたくないこともあるかもしれない。

序の最後の、「寂しく地方に住む人々ののためにも、この書がいくらかの慰めに成らばなぞと思う」p.7
山の中の景色はそれだけでしみじみさびしい。せめてそれをわかってくれる人間がいたということが、そしてそれが文章として残ることが尊いと思う。

語られている農民の「労苦」を思う。
養蚕の稼ぎで祭りをするという僅かな楽しみを思い浮かべてみる。
慎ましい楽しみ。
働き続ける者の手入れのない素朴な顔を浮かべてみる。頭が下がる思いである。


鉄砲虫
「小さな御百姓なんつものは、春秋働いて、冬に成ればそれを食うだけのものでごわす。まるで鉄砲虫ー食っては抜け、食っては抜けー」p.12

光岳寺の鐘がなり、田が灰色になるまで、埃まみれになり働く親子の姿を、じっと見つめる藤村の姿が見える。
働く尊さが心にしみてくる。

その現実を客観的な立場で目の当たりにしたら、自分の考える世界は変わって行くと思った。

藤村は穏やかな眼差しで、住む人々を細かく見つめ多くを学んだ。藤村の心の変化が受け取れる。彼はきっと変わったのだろう。
その素直で優しく正しい文章が、心の深い部分に入って来て大変気持ち良く読ませていただいた。

「私は信州の百姓の中へ行って種々なことを学んだ」p.6

正しいものを見つけ考え吸収し、それを残して行く藤村の姿を尊敬した。

いつも一番大変な人々に目を向ける者でありたい。

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