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「泥濘」 梶井基次郎  感想文

引用はじめ

「自分はかなり根をつめて書いたものを失敗に終らしていた。失敗はとにかくとして、その失敗の変に病的だったことがその後の生活にまでよくない影響を与えていた」新潮文庫 p.62

引用終わり

朝起きて、初めに使っていたコップが割れたりした時、午前中にあと二、三回災難があるのではないかと身構えたりする。
結局その身構えが、次の災難をつくってしまっているような気もするのだが。

しかしこの作品は、少し違う。
「病的な失敗」が不可解を引き出してしまう。
自分の意思とは別の何かに魅入られ、「そんなことにかかりあっていてはよくないなと」、自分を見つめていても止められない、何者なのか、不吉に引かれて行くように。

どんよりしたものが自分を思うように動けなくし、「中途半端を並べた」と、何をやっても気持ちをちぐはぐにしてしまう。
そしてそれらが、雪解けの泥のように絡みつき、足を取られそうに潜んでいた。
「ぬかるみ」。
この作品の最後に1925年6月とあるので、作者が24歳の時の作品であるのか。梶井が結核で床につき始めたのが1918年頃であるというから、既に7年間も結核と向き合う毎日であったということである。
祖母が結核にかかっていて、その祖母が舐めていた飴を舐めた為に感染したということに、とても驚きを感じた。

「のんきな患者」にあったように、すやすや眠る母が羨ましいくらい眠りの質の悪い状態、睡眠をうまく取れない様子が、夢うつつの現象を引き起こしているのだと感じた。

夜中の鏡の中の自分の顔の変化や、頼りにしている母の顔が異うものに代わり、「不吉を司る者」が自分に呼びかけて来る。
神経が過敏になっていたのだと思う。
「冬の日」もこの作品も、このイライラやちぐはぐを解消させようと動く姿が印象的だった。

「草自身の感覚」と同じもの感じ清々しくなり、ライオンでカクテルを作っている様子を見て想像したり、やがて唐物屋で石鹸を買う、その時は、「ちぐはぐな気持ちは何時の間にか自分に帰っていた」とある。
母の声を自分の中に感じた辺りは、そのモヤモヤは治りつつあったのだ。

「影をじーっと見凝めておると、そのなかに段々生物の相があらわれてくる」という「Kの昇天」と同じような目で、月の位置から自分を眺めている不安なラスト。

梶井作品全般に漂う独特の気配を感じながら、「しみじみした自分に帰った」と、ようやくぬかるみから抜け出たような場面がある。

「動き出すことの禁ぜられた沼のように淀んだところ」から、不吉な妄想、無気力、澱んだ臭いを祓う為、「気持ちの転換」を求めていた。
檸檬、石鹸、冷たい陶器、「草自身の感覚」を内にし、自然と一体化する感性に逃れることで感覚を澄んだものにリセットし、彷徨い求め、母を想いながら、母を頼り、澄んだ水で微熱を冷ますように、また元の自分に立ち返ることを繰り返しているような、そんな切ない独行であった。

しかしどの作品にも「生きよう」というかすかな声が聞こえて来そうなのだ。
病に追い込まれながらも、折れにくいしなやかな強さがあり、自己を見つめる冷静さにいつも惹かれてしまう。
すごい作家だと思う。

「ライオン」、こんなに昔からからあったのだなあと、あのだだっ広い店内とソーセージの香りを思い出していた。


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