見出し画像

「幇間」 谷崎潤一郎 感想文

春の川面の情景描写がすばらしくて、この序の部分の風情が、後に登場する滑稽な三平を更に際立たせた。

春のキラキラ、ほんのりあたたかい風、みな活気に満ちていて何かが起こりそうである。

「川の面は、如何にもふっくらとした鷹揚な波が、のたりのたりとだるそうに打ち、蒲団のような手触りがするかと思われる柔かい水の上に」(青空文庫)

ゆったりとした文章に目を惹かれる。

思いもよらない、蒲団のようなという表現。水にも厚みがあるようにゆっくり波立つ水面にも流れる穏やかな時間がある。
皆が望んだ平和な春だが、だるい眠気も感じてしまう。

日露戦争が終わり、民衆の安堵と喜びが生き生き伝わって来た。
お祭りのようなこの風景は、江戸時代の「元禄花見踊」という言葉を思い出させる。
皆、起こりうる時代の変化に胸躍る快活な民衆の姿がゾロゾロ目に浮かぶ。
作品の中の「粋」はいつも健在である。

人を笑わせることは、機転が利き相手への気遣いが必要であり、頭の働きがよくないと出来ない。
仲買店までやっていた三平の相場師の勘のよさが人を喜ばせる。
幇間の仕事にはうってつけであり、何より本人が一番望んで喜んでいる。
楽しければ良い無責任人生。

思い付きで三平に仕事変えをさせた榊原には、彼の将来などはどうでも良い、それがまた無責任であるのだが、
三平はその場限りの可笑しさと何より人が喜ぶ姿を彼自身が観たいのだから始末に悪い。

現代の芸人は、表の顔と裏の顔がはなはだしく違い、ふとテレビなどに映ってしまった素の顔に驚く。

三平は裏も表もない。幇間という仕事を目一杯喜び楽しんでいる姿を、人々も自分より蔑みながらも利用し、後は何も考えないのが彼の特権である。


人を喜ばせ、しかし自分が一番喜んでいて、バカにされても、蔑まれても、それすら物ともしない。
だが、生活への道のりは厳しい。


「ホメラレモセズ、クニモサレズ」を自で行く三平である。
「サウイフモノニ ワタシハナリタイ」がいつも頭に浮かぶが、到底なれない。


金さえ有ればすぐに散財、全てに欲がなく全てにだらしがない。
「道楽の真髄に徹し、快楽の権化」と思われる罪のない男である。


鈍感なのか、わかりすぎていて知らぬふりしているだけなのか、掴みどころがない。

最後の梅吉とのシーンは三平が騙したのか、梅吉が騙したのか、落語のオチのようで、終始でテンポの良さで流れて行った。

引用はじめ

「桜井さん」と呼び掛けて、自然と伴れのお客より一段低い人間のように取り扱いながら、其れを失礼だとも思わないのです。実際彼は尊敬の念とか、恋慕の情とかを、決して人に起させるような人間ではありませんでした。先天的に人から一種温かい軽蔑の心を以て、若しくは憐愍の情を以て、親しまれ可愛がられる性分なのです。

引用おわり

可愛がられる性分で、最も面倒臭くない人間である三平の遠い未来は見たくない。


読書会を終えて、谷崎先生は、三平が「幇間」という仕事に徹し、その真髄を追求したことを描きたかったのではないかという解説に大いに納得した。

私の感想文は、「粋」じゃなかった。


「幇間」とは  宴席などで遊客の機嫌をとり、滑稽な動作・言葉によって座をにぎやかにすることを職業とする男。たいこもち。男芸者。(大辞林)





この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?