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「月と六ペンス」サマセット・モーム感想文

毎日好きなことだけ考えて生きられたらいいのに、とよく思うことがある。
日常はそれを許さない。
また、その日常を捨てることなどできない。

「つまらない男」と言われていたストリックランドが、絵画の創作への欲求を満たすため、何かに突き動かされるように全てを捨てるのだが、それは、「まるで宇宙の魂に触れ、それを表現せざるお得なくなったかのように」探し求め彷徨い生きる姿が、この世を通り過ぎてしまっているかのようで、最後まで重く心に響いた。

つまらない絵を描くが売れる画家、ストルーヴェの人の良さは、妻さえも不幸にしているのだが、彼の審美眼は本物であり、ストリックランドを終始才能があると認めている。何より自分の立場をわかっているから余計に悲しく、もし彼が「ゴッホ」をモデルとしていたとしたら、ストリックランド(ゴーギャン)を求めた姿は重なる。
「たとえマムシに噛まれても、彼は学ばない」
「彼の人生は、喜劇的に演出された悲劇だった」新潮文庫 p.109
と、この世的な人間ではなく、その徒労が気の毒でならない。

この良心の塊のような人物から、妻まで奪い、苦しめるストリックランドであるが、何だが真意を見つめているようで怖い。夫婦の状況を分かりきっていて、肉欲のためだけにブランチを奪い去るが、すでに彼女の心を見抜いて醒めた目で見つめる彼は何者であろう。

「狂信者のように一途で、使徒のように残酷だった」p.86
誰もが嫌うストリックランドだが、時々見せるその一途さ強いその個性や、わずかに核心を見抜いたような言動、「本当に思ったことしか口にしない」ということなど人を惹きつけるものがあるのが読み取れる。

そしてタヒチでの壮絶な最後に到達し、最大の作品描く。
その信念の強さと一貫性が驚異的だった。そこで掴んだ最後の何か。原始的な彼が求めたすべてだったのか。

ただ絵を描きたい、「おれは、見えるものを描きたいだけだ」p.131
絵を描く環境と画材だけを調達することに奔走して病気や食べ物には無頓着でありどうでもいい。「人がどう思おうがいい」、「何と言ってもかまわない」、誰もが関わり合いたくない人物であるが、出会う人間は彼の真実をよく見抜いているのが印象的だった。

色恋は絵を描くのに邪魔で煩わしいと思っていたのに、タヒチではアタに愛されて最後を迎える。


引用はじめ

「視力が衰えてくると、ストリックランドはあの狭い家に何時間もこもって絵を描いていたそうです。見えぬ目で絵を見ながら、おそらく、それまで見てきた以上に多くのものをみたのでしょう。アタによれば、彼は自分の運命を嘆くことも勇気を失うこともなかったそうです。最後まで平静でうろたえることはなかった」p.357


引用おわり

揺るぎなく求めた絵画への追求の、最大の答えともいえる作品を、最後に燃やしてしまう生き方を貫き通した。
生涯絵は一枚も売らなかった。
その姿をとても美しいと思った。

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