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「白い満月」 川端康成 感想文

「黒く塗った橋板の上で揺れている円い彼女らは私の病める秋の上に落ちた赤い南天の実のようだ」
中公文庫 p.54

憂鬱な病状、孤独な療養、六部屋もある別荘を借りて一人過ごす主人公。
布団を干している二人の娘、美しく若い活気を赤い実にたとえ憧れているような、流れる文体が美しく、病の障りを更に深刻に思わせるのだった。

父から受けた悪い遺伝。
雇い入れた女中のお夏の濁った眼と、「私」の肺病が因を同じくしてお互い感ずるところがあるように思われた。
「身を捨てた気持ち」のあるお夏に、「一人の女を愛することの有難さをを空想させ、」と「私」に喜びや憧れをも感じさせてくれていた十七歳の儚さ。

主人とお夏、病や眼の妨げで、感性がさらに鋭敏になっているのかもしれない。見えなくても良いものが見えるという神秘、二人が相似しているのが読み取れた。
その苦しみまで互いに理解できる繊細な鋭さが怖かった。
以前お夏が仕えていた身動き出来ない病の坊ちゃんの、本のページをめくる瞬間の鋭い感覚は、時には苦しみとなるに違いない能力であることが悲しかった。

大きく営んでいた呉服屋を、病の為に離れて行った「私」の父。活気ある母の切り盛りで店を繁盛させるが、その母の不貞らしきことで妹二人が産まれた。父は三人かもしれない。そんな母を好きだ、と「私」は、はっきり語る。出自の秘密を知らない妹達の立場になれば、母は許せないのではないかと、娘目線でそう感じた。
そこには複雑な思いがあり父を嫌いと語り、健康ではつらつとしている母を、「私は愛している」という。妹たちの健康に対する「私」の嫉妬を、「青い焔」としているという、この「青い焔」をどのように理解したら良いのか、心の内の複雑さがわからなかった。

父の「死」を映像で見てしまうお夏が、自殺した静江に会えなかったことを語る場面は、会うことの叶わなかった芳江の、慎ましくて優しい清らかさを直感していたかのようで、白い満月の下でお夏の眼が不思議に清らかに光っていたというシーンが、彼女の本質を月が証しているようで、超自然的な幻想的な世界に、美しい文章の妙技を感ぜずにはいられなかった。

引用はじめ

「私はやはり父の子だと感じる。生活する力が欠けているように見える八重子が私たち兄妹のうちで一番多く生きる力を持っていると分かったのだが、そのことを私は不思議に嫉妬する。これは私の父が八重子の父に対する嫉妬であるのかもしれない。お夏と彼女の父とはその間のつながりを霊的な焔の形で明らかに現して見せたが、一人の母を中心とした三人の父と三人の子であるわたしたち父子は目に見えない綱つながれながら奇怪な火の車に乗って走っているのかもしれない」p.59

引用終わり

お夏と父の関係は、霊的に深く繋がっていた。

「私」の二人の妹のうち、姉の方の八重子の都合良い生き方、妹を紙屑籠にしているような無意識の狡猾さ、特に夫や恋人に対しての仕打ちが兄には恐ろしいのだ。八重子から逃げ出したくなるくらいの現実であるのに八重子を憎んでいない。しかし母への愛は汚されてしまった。

八重子の「生きる力」に嫉妬しているという、この複雑にからみあった奇怪な家族の姿を理解するのには、もう少し時間がかかりそうだ。

「この秋に死ぬ」というお夏、夢の中の「真っ赤なあやめ」がとても恐ろしかった。

「死の予感」、きっと二人が共に感じられる世界であったであろう。そこからお夏を引き戻そうと抱きしめた「私」。静けさの中の儚いラストシーンは、主人とお夏の気持ちが重なり合った瞬間であったと、切なさが高まった。

その時の「河鹿の声」は、きっと白い満月に浮いていたのだろう。


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