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「ある崖上の感情」 梶井基次郎 感想文

生島の見えるもの、見ようとするものは、常に寡婦との関係から来る後ろめたさからの内面の景色であり、その罪悪感から石田を傀儡にして自分の分身にしようと空想の中にもがいているように感じた。

一方の石田は、崖下の窓から人びとの「もののあわれ」を感じ取る。
過去の記憶の田舎の宿の窓に見えた「諦めなければならない運命を知っているような子供」に涙し、その親子の愛を感じ取ることの出来る繊細な人間である。
一瞬にして感じ取った親子の情感を胸に刻みこむような人である。

作者はあえて、生島と石田を別な人格で描いているようだが、これは作家のひとりの内にある相対する欲情と感情であったのではないかと感じた。

「空想がたたせた人影」を崖の上に眺める生島。
「欲望はとうとう俺から分離した」と「二重人格の俺を崖の上に立たせる」そしてその部屋の「戦慄と恍惚」を。
「自分の心に企んでいる空想」に石田を分身として思い描き、暗い魅惑を感じている。
その複雑な内面の心理描写がなかなか理解出来なかったが、「自らの地獄」からの逃避であったのであろうとは感じた。

そして石田は心のどこかで秘かに欲していた情景を見つけ、鼓動を増す。

病院の窓、ベッドのぐるりに立っていた人びとがある瞬間にいっぺんに動いた。「何かが起きた!」と、そんな刹那が、「死」を直感させた。
そのザワつきが胸に迫る。
そこが産婦人科であったことが辛い余韻を残した。
そして、何も知らない別の窓は変わらない時をその死の瞬間と同じくしている。みな同時にそれぞれ別な世界を生きている。石田は別々な窓の同じ時を崖の下に見下ろしている。

引用はじめ

それは人間のそうした喜びや悲しみを絶したある厳粛な感情であった。彼が感じるだろうと思っていた「もののあわれ」というような気持を超した、ある意力ある無常感であった。p.252.253


引用おわり

情緒や哀感などを超え、起こりうる人の世の変わりやすくはかないさま。
その細やかな眼差しと表現に心が奪われた。

何度か読んでみて作品の素晴らしさがじわじわと伝わってくるのだった。
読み終えて「良かった」と思わず声が出た。

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