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「おしゃれ童子」 太宰治 感想文

自分の姿に「うっとり心酔する」という小学生、そしておしゃれの為なら、密かに嫂や女中をも巻き込んで、思うような形になるまで奔走する姿が可笑しくて、大人になった作者自身を思わせた。

おしゃれは、自分がこういう風になりたいと思うスタイルを想像して、それに近づくように、「拘る」ということであると思う。そしてその想像を膨らませ過ぎて、自分の背丈やふくらみやへっこみは考えずに作り上げてしまうのだから上手く行くはずがない。実現はかなり遠い。

おしゃれは、自分というものが
あって、気づいたら洗練されていたというような、つまりまず自分を磨くものであると、最近わかるようになった。服に着られているのではなく、服を着ている自分が魅力的でないといけない。だからまだまだ遠い。

作中のように、想像して工夫し出来上がったものが、側(はた)で見ている者に全く意外な印象を与えてしまったり、また滑稽な姿に出来上がったりと、自分ではなかなか気づけないことが始末に負えない。程度の差はあれその経験はある。


「童子」、その時期なのにかなりの自己愛と早熟であるのには驚くのだが、それは私にも覚えがあった。

遠足の度、洋裁をする母に服を作ってもらうことをねだり、細かくうるさく注文をつけていた我が身も例外ではない。母が好むピンクなど拒否して大人びた地味な色で抵抗し、生意気にもグダグダと困らせた。
小さな理想の拘りをこまごまと。

作品の中で印象的だったのは、洋服屋に何度も縫い直しをさせた外套を着て、友人に大笑いされて着るのをやめ、「乾坤一擲(けんこんいってき)」のコバルト色の胴のくびれのきゅっとしまった外套を着た時の様子である。

引用はじめ

「外套に対しては誰もなんとも言いませんでした。友人たちも笑わず、ただへんに真面目なよそよそしい顔になって、そうしてすぐに顔をそむけました。少年もその輝くほどの外套を着ながら、流石に孤独寂寥(こどくせきりょう)の感に堪えかね、泣きべそをかいてしまいました。お洒落ではあっても、心は弱い少年だったのです」新調文庫 p.86.87

引用終わり

「笑わず、だだ変によそよそしい顔」、大胆なお洒落を企てた者にとってそこが恐怖の一瞬。完璧なのか?馬鹿にされ過ぎているのか?初めて良かれと思い付いた服が失敗だったのか。その年頃であれば真っ青になる瞬間がわかる気がする。成功なのか、全く空振りなのか。顔をそむけるというのは一体なぜ?
この場合、多分、完璧すぎて、「かたわらいたし」だったのだろうと想像したのだが。あまりのセンスの良さに見ているのが恥ずかしくなったのかもしれない。やり過ぎてしまったのだ。


「瀟酒(しょうしゃ)、典雅」という美学が人生の目的であり、「おのれのロマンチックな姿態」だけを追求し、ちぐはぐな服装にやけくそになる中学時代、やがて「お洒落の暗黒時代」、洋服屋に何回も縫い直しさせていた豊な暮らしから奈落の底に落ちていくような「借衣」の時代、数奇な生涯。
つくづく散りばめられている太宰治の並外れた生き方の始まりを童子に見た気がした。

「おしゃれ」というものが、「勘違い」から始まることを、我が身のささやかなおしゃれ体験と重ねながら愉快に読み終えた。

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