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「佐々木の場合」 志賀直哉 感想文

志賀作品は、時として自己本位な男性が浮き彫りされるが、その向こうの細やかなひたむきな女性も描き出されている。

佐々木は書生でありながら、その家のお嬢様の守役の富と関係を持つ。
いずれ士官になるという驕りからか、富を支配したり、富になつくお嬢さんに嫉妬したり怒ったりする。二人の秘めやかな関係に罪悪感を持つ富を佐々木は「弱虫」で困ると感じながらも好いていた。
富の意気地なさをあげつらう佐々木が、肝心な時には「弱虫」であったようだ。そちらの方が余程歯痒いのだ。

「合いびき」の最中(さなか)、お嬢さんが焚火で大火傷を負ってしまう。
肩の火傷の損傷、肉の上がる見込みがない。
唯一他人の肉を切り取って、その部分を補わなければ治らない。

富がその事故の責任を償うために下した自分の肉を取るという決断。
後にそのことが、ずっと先の将来に、その揺るぎのない決断が富に「幸福」の実感をもたらしたのだと思われた。
自分に対して嘘をつかず、貫いた強い心は山田の両親とお嬢さんの親愛を生んでいったのだ。何より自分に嘘をつかなかったことが富の本当の幸せに繋がったのだろう。
恋愛はもちろん心奪われるが、「逢引き」罪悪感は富の性に合わない、そんな女性もいるのだと思う。

「古臭い型にはまった女」、佐々木はそう言う。然しそこに居心地の良さを感じる女もいると思うのだ。

佐々木はお嬢さんが大火傷を負った後、富が責任を負うという決断が覆らないことを感じ、山田の家から逃げ出した。

引用はじめ

「こうなると恥ずかしいが僕の心では急にイゴイステックな方面が眼を覚した。それが事件の中に没頭していた自分を広い野原に連れ出すようなことをした。僕はこの事件を大きいものの一部分として見るような気持ちになった。—— 中略——もし肉の窪みの出来ることが体格試験に影響しないものならそれは恐ろしいことでも何でもなかった。然しこの事件の為に生涯の目的を変える事は恐ろしかった」(p.17)

引用終わり

逃げ出した佐々木に富は悲しみを感じていた。既に結婚などは御免である。私もそう思う。御免だ。
お嬢さんへ我が身の肉片を分ける事より、その時にそこに二人がいることがどれほど大切であったことか。
佐々木の思慮に欠けた行為はもう引き返せない。

佐々木は、三十路辺りまで、その事への悔いと不確かな富との結婚への願望を引きずって生きなければならなかった。富の心の安定とは大きな差異を感じた。

自分の予定した出世を遂げた佐々木、「幸福な者が不幸な境遇の者を救おうとしている」(p.21)佐々木の富への感情の思い違い、幸福感に充ちたりている富はもうびくともしなかった。

「自分は尼のような気持ちでいる」(p.22 ) 心も身体も傷ついたお嬢さんを最後まで見届けるという富の決心に揺るぎはない。それを幸いと思う人は強いのだと感じた。

「佐々木も可哀想だが、自分には少し同情できなかった。自分もそれらをそう高く価づけはしない。然し佐々木はそれを余りに低く見ていると思った」(p.24)

ラストの友人の言葉に全く同感だった。

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