北浜の夜

大学1年の秋。

オーストラリアから帰国する前、"日本に帰ったら会いたい人"をノートに書き出していた。

2番目に浮かんだのはバイト先の常連客だった。

彼が働くドコモ関西支社の地下にその店はあった。
昼間は蕎麦屋、夜は居酒屋で、
オフィス階から降りて来るサラリーマンで毎夜にぎわった。

店長が客に気に入られるようにと書いた名札のせいで、常連客は皆、私のことをあだ名で呼んだ。

彼だけはあだ名どころか私の名前を呼んだことがない。
常連客の中では目立って格好が良かったため、来店時いつも女性スタッフの心を躍らせていた。

バイト終わり、今度飲もうよ、と言って名刺に番号を書いて渡してきた。

常連も常連だったし、お局の気に障らないかと思ったが、2人で会うようになるのに時間はかからなかった。

「うちにもな、派遣社員が沢山おるんやけどな、
やっぱり社員の女子とその派遣の女子は日々睨み合っとるで。
社員は派遣に対して、男性社員を奪おうとしてると睨んでるし、派遣社員は逃げ切ろうとしてる。
合コンもな、行くけどこのくらいの歳になると質問がやらしいのよ。
社名、年収、乗ってる車…
まぁ大学生にしたら考えられんやろうけどな」

シルバーのBMWはスポーツタイプで彼によく似合っていた。
笑いながら話す彼の横顔を覗きこむようにして助手席から頷いた。

梅田から車を15分ほど走らせて着いたのはオシャレなフレンチレストランだった。
席に通され、椅子をひかれる。
真っ白なクロスに眩しく輝くナイフとフォーク。

彼はとても慣れていた。

シュッとしたスーツ姿に高そうな時計。
清潔感がにじみ出たシャツに整った髪型。
きっといい家柄で育ったんだろうな…とぼうっと彼の全体を見ていた。

不思議なことに、ナイフを全く使わない人だった。

育ちの良い風貌とは裏腹に、フォークだけで食べる姿が野生を感じさせた。

会社ではよく上司にかみつくと話していた。中流大学からドコモに入社したという経緯、間違ったことを鵜呑みにできないまっすぐな性格。

そんな熱い一面とフォークしか使わない不器用な様が妙にリンクし納得できた。

愛車は近くのコインパーキングに停めていた。

「俺、小銭使わんのよな。やから、めっちゃ増えるねん」そういいながらジャリジャリと何枚か出し、笑って見せた。

10近くも年上なのに無邪気な笑顔がずるい。

堀江にあるカフェに移動した。

カフェの机には、
ファッション誌が置かれていて、そこには自分の財布と似たデザインのものが載っていた。

「この財布、オーストラリアで買った」

GUCCIの革財布を見せると

「この雑誌のよりそっちのがいいやん」と真面目な顔で言った。

きっとこの人は私を子どもと思っているから、こんな財布持ってるんや、って驚くのだろうと思っていた。

彼はその後すぐ結婚した。

「今の奥さんは生まれ変わってもまたおんなじ人がいいって思うわ」

色んなことが解らなかった。
色んなことが難しくて色んなことが切なかった。

スーツのデート。
社内の恋模様。
ビジネス街夜のドライブ。
高級車の助手席。
フレンチレストラン。
好きな人への想いを素直に言える男(ひと)。

ハタチで知った大人の世界。

その7年後、彼に似た人を好きになった。

私の名前を呼ばない、上司につっかかる熱い人。

それでいてゆっくりと間を置いて話すセクシーな人。

その人の財布は、偶然にも当時私が持っていたものと同じGUCCIの男物だった。

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