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【短編小説】おまいう

「木口課長のパワハラとセクハラへの苦情がこんなにたくさん寄せられているのです。どう思われますか」

組合執行委員の長谷川平治は、目の前に並んでいる経営側出席者に対して被害内容が書かれている紙の束を示しながら、やや強い口調で詰め寄った。

「木口課長がそのような行為を行ったのなら極めて由々しきことですが、現時点では事実関係はわかりません。対応は持ち帰って検討しますので時間をください」

労務担当課長の吉原美由紀は、表情を変えることなく長谷川の目を見据え淀みなく答えた。

「木口課長の件は、今回の団体交渉事項としては通告していなかったのですが、経営側の誰も驚く様子がありませんね。吉原課長のお答えも、まるで事前に用意していたように感じます。木口課長のハラスメントについては経営側もすでに掴んでいて、我々への対応を決めていらしたんじゃないですか?」

長谷川が間髪を入れず言葉を返す。

「パワハラ、セクハラの訴えは、会社の相談窓口に寄せられることも多いのです。そのような訴えを受けた場合、私以下のスタッフで対応を検討します。今日出席している経営側のメンバーは経験豊富なので、ハラスメントと聞いても驚いたりしません」

吉原担当課長は長谷川の攻撃を余裕でかわした。

「そうですか。木口課長については、私自身、これまでも組合員から噂レベルの話は聞いていました。今日出席している組合側執行委員も皆そうです。会社の相談窓口にもこれまで木口課長の件は訴えがあったんじゃないですか?」

出席している執行委員達が、長谷川の言葉に頷く。

「いえ。木口課長の件は、相談窓口にはきていません」

「にわかに信じられませんね。木口課長は、複数の課でハラスメントを行い、何人もの部下を潰しているのですよ。我々は退職に追い込まれた職員を具体的に把握しています。労務担当課長はご存知でしょう」

「長谷川執行委員が今おっしゃった退職した職員の退職理由については、具体的に名前をお教えくだされば、お答えすることができますが、木口課長のハラスメント行為により退職したという事例はありません」

「木口課長は、辞めようとする職員に対して、『一身上の都合』で辞めることにしろと強要したという話も聞いています。ただ、全員がその強要に従ったわけではなく、中にはそちらの窓口に退職理由の強要を訴えたという職員がいるのですよ。団体交渉の場で虚偽の説明をするのは、不誠実な交渉態度ですし支配介入にもあたりますよ」

「緑川くん。うちの窓口に長谷川執行委員がおっしゃったような訴えがあったの?」

吉原担当課長は、経営側の末席に座っている緑川係長を見た。

「窓口への訴えはすべて記録し、内容ごとに整理していますが・・・『退職理由の強要』はないですね。ちなみにこの資料は5年前まで遡って集計しています」

緑川は、手元の資料を上から下まで指を動かしながら確認し答えた。

「え?昨年度と今年度で2名はいるはずですよ。そちらの窓口に相談したという元職員から直接話を聞いていますから。吉原担当課長、窓口の記録はどの役職まで回覧するのですか?」

「・・・。人事労務担当取締役までですが」

吉原担当課長の返事が一瞬遅れた。

「なるほど・・・」

長谷川は、微かに冷笑を浮かべながら、経営側出席者全員に視線を滑らせた。

「ところで、吉原担当課長、木口課長、いや木口涼子課長は、あなたの同期で友達ですよね。あと、人事労務担当取締役が可愛がっている部下でもある」

「ええ。それがなにか」

吉原担当課長の感情が少し動いた。

「あなたも取締役も、木口課長がお友達や子飼いの部下だから庇っているのではないですか?」

「そんなことはしません。労務担当なのですからそんなことをしてはいけないことはわかっています」

吉原担当課長の語気がやや強くなった。

「ええ。そうでしょうね。とにかく、事実関係の調査を速やかに行い、パワハラの事実が認められた場合は厳しい処分をお願いします。私たちは木口課長のパワハラの事実をかなり把握し、直接証拠も握っています。経営側が対応を検討するということなので、掴んでいる証拠は出しませんが、状況によってはマスコミに流したりすることもありえます。よろしくお願いします」

「承知しました。では、この議題は終わりとします。次に、団交前の事務折衝でも予告していました、『組合側への協力のお願い』についてですね。これは私、吉原からご説明します」

「わかりました」

長谷川が答えた。

「『組合側へのお願い』ですが、何かというと、そちらの執行委員長のことなのです」

吉原担当課長は柔和な表情で話始めた。

「うち委員長ですか?」

「先ほど話題に登ったうちの相談窓口に、古瀬執行委員長に関する相談がございまして・・・」

「どういったことですか?」

組合側の出席者は皆同様に困惑した表情になっている。

「古瀬さんが、組合費を私的に流用しているということと、執行委員長の立場を利用して組合員にセクハラを行っているということです。経営側としては、組合自治を尊重すべきことはわかっています。とはいえ、職員のことでもあるので見過ごすことはできません。現時点では、相談者の一方的な話でしかないので、組合で事実関係を調べてもらうことはできませんか?」

「え?執行委員長の件を私たちが?」

「そうです。組合側は自浄能力も高いと思いますので、ご自分達で事実関係を調査してください。経営側が前のめりになると、労使紛争になりかねません」

「ええ。それはそうなんですが・・・」

長谷川が上を向いて腕を組んだ。

「古瀬委員長がそのような行為を行ったのなら極めて由々しきことですが、現時点では事実関係はわかりません。対応は持ち帰って検討しますので時間をください」

「それ、さっき私が言った言葉とおなじじゃないですか」

吉原担当課長が苦笑した。

「え?ああそうでしたっけ?」

「そうですよ」

「いやー。古瀬委員長は、うちの組合だけじゃなくて、産業別組織やナショナルセンターでも有名な組合関係の大物ですからね。彼に世話になった人間はたくさんいます。私たちもそうです。だから、古瀬委員長がそんなことをしたとは、誰も信じられないだと思うんですよね。私もずっと世話になってきて、ここまで引き上げてもらいましたからねぇ。みんな庇うんじゃないですかね。仲間ですからね」

(終わり)

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