『とある物書きの聞き耳』

「時間って逆方向に進むことができるんだって。」

若い女性の声だった。
女の子と言ったほうがいいかも知れない。

声の方向を見ると女子大生が2人でお茶をしているようだった。
女子大生を女の子と感じるような歳になったのかと軽い衝撃を受けた。いや、歳のせいではないのかも。
せめてここではお姉様方と著そうと思う。

「時間を逆にって、タイムスリップってこと?」
「厳密には違うかな。過去に干渉できるわけではないし。」

お姉様方の声は特に大きいわけではないが、閑散とした店内なら聞き取るのは容易だった。
あまり女性の話を盗み聞きするのははしたないようで憚られる。
なんてこともなく、興味の向いた話に耳を傾けるのは物書きの性であろう。

「ある時の自分に立ち返ることができるっていうのかな。」
「ん?どういうこと?」

聞き役のお姉さまは笑いながら聞き返す。急に友達が変なことを言い出したと思っているのか、それともまたいつものが始まったと思っているのか。どちらにしろ理解が追いついていないのは私と同じようだ。

「じゃあ例えば、昨日何か小さな後悔ってない?」
「コウタと別れた。」
「いやそうだろうけど、それは小さくなくない?」

なるほどそう言った理由でお姉様方は夜の喫茶店で話し込んでいるわけか。こういう時は大抵、何度話を変えても戻ってくるものだ。もう話の続きは聞けんやも知れん。

「そうじゃなくて、もっとどうでもいいのはないの?」

おっとこの女、なかなかに図太い。傷心話を聞きにきたフリをしてその実自分の話を貫くとは。しかし、その方が救われることもあるのだろう。

「んー、と。じゃあ昨日のお昼に入った定食屋でエビフライ定食を食べなかったことかな。」
「そうそう、そういうの。で、なんで選ばなかったの?」
「コウタがエビフライにしたから。」

鍔迫り合いが見える。互いの力量を認めるのはいいから早く話を進めてくれ、と思ってしまう。
いや、これはこれで面白いのだが。

「はい、メグミは定食屋でまさに注文する瞬間に戻ります。後は同じものを、って言うだけ。」
「え、そんなことができるの?じゃあコウタと別れずに済む?」
「なに?別れた理由ってエビフライなの?」
「いや、違うけどさ。」

エビフライが原因の別れ話というのも聞いてみたい。やはり女子大生ぐらいだとパートナーが尻尾の殻まで食べていたら幻滅するものだろうか。

「あくまで変えられるのは瞬間の決断だけ。それも気まぐれの範囲ね。」
「じゃあ重要な決断は変えられないんだ。」
「タイミングによる、かな?」

煮え切らない回答に苛立ちを覚えた。なかなか話の核心に近づかないのが若い人の特徴だ。おかげで私の原稿は一向に進まない。しかしここは大人らしく辛抱しよう。

「決断の大小に関わらず、それが瞬間の決断に寄るものなら変えられるよ。」
「しっかりと考えた上で出した答えは変えられないけど、直感によるものなら大丈夫ってこと?」
「そう、直感。それよそれ。」

直感での決断を、その瞬間にまで立ち戻り選び直すことができるというのか。ならば私もおかわりのできるアメリカンコーヒーにすればよかった。もうミルクティーを飲み干して時間が経つ。そうだ、戻り方を聞かなければ。
ん、あぁお水、ありがとう。すみませんそれとアメリカンを一杯。

「エビフライ美味しかった。」
「あれ、戻ったの?」

な、大事なところを聞きそびれてしまった。気を逸らした一瞬に戻り方を説明し、実行したのか。

「戻れた訳じゃないけど気分だけ味わってみようかと。」
「いいね、そういうことじゃないけど。」
「あれ、違うの?」

よかった。今に始まった事ではないが、人として大切なものをいくらか捨てて聞いているのだ。空振りは悲しい。

「多分メグミも、ってかほとんどの人が無意識にしてるんだよね。」
「私も?」

私も?っと、いかんいかん。つい声に出してしまいそうだった。急に斜向かいのおじさんと発言が揃ったら女子大生は嫌な顔をするだろうか。失礼、その仮定に女子大生であることは関係ない。誰だって嫌だろう。

「しっかりとした根拠があるわけでも、経験があるわけでも無いけど、こうしたほうがいいかもって思うことない?」
「直感ってこと?」
「というより、違和感?」

話が佳境に入ってきた。ついつい身を乗り出してしまいそうだが、バレてはいけない。読者諸兄もそろそろモノローグが挟まるのにも苛立ちを覚えている頃ではないかと思う。しかしこれだけは削れない。それが物書きの矜恃というものだろう。

「なぜか自分はこっちを選ぶべきだっていう、義務感にも似た感覚、かな。」
「そう言われると、義務感っぽいかも。で、それがどう繋がるの?」
「その義務感が起こるのは、選択をやり直すために過去へとんで来てるからなんだって。」

いまいち容量を得ない説明。簡潔に願いたいものだ。

「ふーん、なるほど。」

分かるのか?私が悪いのか?

「記憶はほとんど持って来れなくて、選択をこうしたいって意思だけを持って過去へ行くから、過去へ来たこと自体は覚えてなくて、こうしたほうがいいって勘だけが残るんだって。」
「つまり、その時は裏付けを感じなくても、ちゃんと根拠があるってことか。」
「まぁ、そういう時もあるってだけかな。」

分かるような、分からないような。あの説明でよく相槌が打てる。やはり若い人というのは頭が柔らかいのか。いや、この考え方は改めなければ。歳のせいではない。

「でもさ、それって逆じゃない?」
「逆って?」
「過去へ戻っているというよりは、未来を見てることにならない?」
「そうなの?」

そうなの?って、何だその返しは。何だかお姉様方の会話に心の中で相槌を打っていると、自分まで若返ったような気になってしまう。甘いものでも挟もうか。

「うーん、確かにそうやって言うこともできるのか。勘だけを持って過去へ戻るのと、ふんわりと未来を見るのは、区別がつかないのかも。」

だったら一度間違ってからやり直すより、先に答えが知れた方が良いな。

「でも、それだと時間に干渉してる感薄いよね。」
「分かる。気づくだけだとなんかお得感ないよね。」
「そうそう。やっぱり後悔を遡って晴らすっていう物語が良いよね。」

時空干渉にお得感とは。なかなか幸せな感性である。しかし物語が良いか。物書きとして、見習うべきやもしれん。

「まぁ、どちらにしても覚えてはないんだけどね。」

そういってお姉様方は笑っていた。話題はひと段落したようで、やはりというかコウタくんの話になった。思ったよりもエグい悪口が聞こえる。これ以上は聞かないようにしよう。
せっかく、夢のある発想をすると感心したところなのだ。それこそおじさん然としてしまうが、女子大生には夢を見ていたいものだ。
原稿は全く進んでいないが、良い話が聞けた。そろそろ自分より若い主役を置くべきやも知れん。


〜解説のようなもの〜

待ってはいないと思いますが、ショートショートシリーズ2作目を書き上げ、3作目も描き始めています。我ながら続くとは思ってなかったので、よかったです。
この物書き、若干横柄ですが仕様です。物書きってそんなもんじゃないです?
前回のここで内容の解説してないと突っ込まれました。今回も特にありません。悪しからず。

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