分からないことを調べたらやっぱり分からなかった話

 日本には空白の四世紀、と呼ばれる150年間ほどの謎の期間があるらしい。当時の日本は文字を持たなかったため、歴史書は存在しないため、中国側の記述に頼って研究を進めることになるのだが、中国が戦乱の時代となると、しばしば辺境の島の記述などやってられないらしく、資料がなくなってしまう。

 日本の資料が再び現れるのは大和朝廷や大和政権などと言われる勢力が各地の豪族を抑え統治し始めた頃らしく、それまで書かれていた卑弥呼や邪馬台国がどうなったかについてはよくわかっていないのだ。

 私は卑弥呼や邪馬台国は中学生のときに勉強したが、どうにも腑に落ちないところがあった。結局卑弥呼とはどういう立ち位置の人物なのか、ということだ。邪馬台国の女王なのは理解できたが、果たしてそれが後の大和朝廷や天皇家などと関わりがある人物なのか、全く関係ないのか理解できていなかった。

 考えてみると、中学の時に習った古代日本については疑問が多い気がする。卑弥呼がどういう人物か、邪馬台国はどうなったのか、突然大和朝廷が出現したが、勢力が拡大する前はどこでどういう風だった者たちなのか。

 そして実際調べてみると、空白の四世紀という期間があるためよくわかっていないらしい。なるほど、どうりで当時の私が今一つ理解できなかったわけだ。確かにこれらの謎はその空白の四世紀に集中しているように思える。実際によくわかっていないのなら教科書にもどうなったか記述されるわけがない。当時は歴史など情報量が多いしやってられないと思っていたのだが、今考えてみるとかなり虫食い状態というか、穴が多いように思えてくる。

 日本は度々戦乱の時代が訪れていたし、貴重な歴史書が失われてしまったり、意図的に消したりといったことがあるわけだからわからないことが多いのは仕方ないのかもしれない。なかなかもどかしいものだ。

 日本書紀のような正史にも卑弥呼という名は登場せず、大和朝廷に敵対していたからか、あるいは別の名で呼ばれていたからか……というのは実に浪漫ある話だ。

 いずれ、私たちが生きる時代も歴史の中の出来事になるのだろうか。情報が電子化されている現代の情報は、果たして後世まで残るのだろうか。もしかしたら日本での空白の四世紀と同じように空白の〇〇などと言われるような時代がやってくるのかもしれない。そして、未来の歴史学者は現代の歴史学者と同じように資料を求めて研究をするのだろう。浪漫を求めて。 

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