5/3 日記というか雑感というか#12

 私は恋愛もののアニメを見てから数日は恋愛というものに憧れを抱くようになる。それは、私が恋愛の経験をあまりしてこなかったからなのだろう。

 私自身、あまりモテなかったというのは事実だし否定することができないのだ。だが私は女子との関わりが無かったわけではなく、むしろ結構あった方ではないかと思う。だが私はとても良き友達や友達以上にはなれても決して恋人にはなれない人種だった。
 モテる人というのはモテるための努力をしており、私は努力をしていなかったという事実も認識してはいるのだが、それでもこの世の中にはモテる人と良き友人にしかなれない人がいると思う。この二つのタイプには隔絶した差があるが、私にはいったいどこが違うせいで差が生まれるのかがよくわからない。
 私が中学生の時には同級生に決してイケメンだとは言えない顔だったがモテる奴がいた。そいつはモテる男だったのだ。当時、女子にその男の魅力について聞いてみたところ、面白いという回答が返ってきた。だが、面白い男ならその男以外にもいたし、面白い他の男の中にはモテない男達はたくさんいた。つまりそいつがモテる男たる所以は面白さではないということになる。この出来事によって私は終わりのない迷宮に足を踏み入れたと思った。実際、私は未だにこの問題について悩んでいるし、答えは見いだせていない。

 だが、もしかしたらモテるというのは付き合ったという結果によって評価されがちなために自分から告白した絶対数が多く、そのため付き合った回数が多い人をモテると評価しているところもあるのかもしれない。
 となると、そもそもモテる、というのをどのように評価するかという問題になる。相手から告白された回数だろうか?しかし萎縮してしまって告白できないという人も大勢いるのに、告白した回数で定義してしまうとその大勢の人を無視することになる。

 なんだが、恋愛というよりも範囲の設定の難しさについての話になってきた。政治家もこのようなことを考え、頭を悩ませているのだろうか。よく政治家というのはメディアで叩かれ、政策を打ち出してはまた叩かれ、という繰り返しになっているが、政治というのは複雑だから仕方ないと今なら思える気がする。
 実際、政治家という生き物は大半が有名大学の法学部あたりを卒業しているわけであり、国民の大半よりも頭がいい生物である。そんな生物でもなかなかうまくいかないくらい、政治というのは難題なのだろう。

 さて、話が散らばったが、結局私は迷宮の中にいる、それしか言えなそうだ。

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