お前に「お前」って言われたくないんだけど?
わたしは、性教育をライフワークにしている。
ある中学校に授業をしに行ったときのこと。
授業のテーマは「よりよいコミュニケーション」について。
デートDVや性的同意、そして対等な人間関係の構築について
話をして、子どもたちは興味深げに聞いてくれていた。
だがしかし、講師紹介をしてくれたある男性教員の言動に
残念な方で驚いた。なぜなら、子どもたちを「お前たち」呼ばわりして、
とても威圧的だったからだ。
とても違和感を感じたことを別の先生に伝えると、
「あの先生は昔からあのスタンスで、言っても伝わらないので
子どもたちも黙ってやり過ごしていますが、内心はいろいろ思っています。」とのこと。
学校に必ずいる、威圧的な態度や言葉、怒号で子どもを管理するタイプ。
それが教育の正義だと思っているタイプ。
『対等な人間関係』の話をしているのに、先生が一番対等じゃないじゃん。子どもたちもそんなところは鋭く見抜いている。
わたしは友だちやパートナーから「お前」と言われるとカチンと来る。
わたしが「お前」という言葉にカチンとくるのは、やっぱりその言葉に込められた関係性や態度に違和感を覚えるからだと思う。「お前」と呼ぶ側が、相手を対等に見ていない、その前提が透けて見える瞬間、どうしても引っかかるのだ。
その男性教員も、きっと子どもたちに「指導する側」として上に立っているつもりなのだろう。でも、本当に大切なのは、威圧ではなく、相手を尊重することのはずだ。せっかく「対等な人間関係」について話しているのに、その現場でそれを体現できない大人がいることに、やっぱり残念さを感じてしまう。
そもそも、「お前」ってどういう意味なの?と思ってググってみたら、
もともと、江戸時代初期までは「御前」で、神仏や目上の人を敬って使う言葉だったらしい。
それが、時が流れ、同等または自分よりも下位の者に使うようになったそうだ。
中学生の娘に「どう思う?」と尋ねたら、親しみのある「お前」はいいらしい。
要は、やっぱりその人間関係の対等性や信頼にあるということだ。どんな言葉も、使う人の心次第で毒にも薬にもなるんだな、と改めて感じる。
次回、その教員に「お前って、もともとは敬語だったんですよ」と話してみようか。きっと、「お前にそんなこと言われる筋合いはない!」と返されるだろうけど。