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奇行再発!一人箱根駅伝(復路編)

ふと気づいてしまったのだ。
「復路までやって初めて"箱根駅伝"なのではないか?」と。


あらすじ

2023年1月3日に一人箱根駅伝(往路)に挑戦し何とか完走を果たした筆者。
あまりの過酷さに直後は「もういい、二度とやらない」と思っていたのだが、1年弱の時を経て辛かった記憶は見事に浄化されキラキラした何かへと昇華していた。
喉元過ぎればなんとやら
2023年12月28日午前7時30分、反省しない男が箱根町港に降り立った。

ルートなど

箱根駅伝は基本的には往復ルートなので往路の逆をトレースすればよい。
ただ、ごく一部往路と復路で違うルートをたどるため、その部分については予習をした。
具体的には平塚中継所直前とフィニッシュ地点手前の迂回区間である。特に後者は道も複雑に入り組んでいるので、正直今回のチャレンジを実行する前まではどこを走っているのか正確には知らなかった。

また、スタート地点までの移動・フィニッシュ後の帰宅を考えると始発移動→できるだけ早めにスタートというスケジュールはほぼ固定だった。
午後4時ごろスタートする案も浮かんだが、そうすると大半の時間を暗い中過ごすことになる。見知った道を夜中に走り続けるのがどれだけ面白くないか、往路の挑戦で嫌というほど思い知っているのだ。

事前準備

シューズ

前回の反省を生かして今回はちゃんとジョグ用のシューズだ。そこそこのクッションと反発のあるアディダスのSUPERNOVA RISEを用意し、ある程度履きならしてから挑戦した。
クッション性が適切だったかについては正直分からない。あまり分厚くて柔らかいのも不安定になるし、この辺りはウルトラマラソン経験者にしっかり聞けばよかった。

バックパック

前回と同じくDeuterのAscender 7を背負ってのラン。
肩凝りが起きることはわかっていたが、これに関しては最適解を見つけ切れなかった。
100マイルのウルトラトレイルとかを走破するランナーは肩凝り問題をどうしているのだろうか。知っている人がいたらコメントで教えてほしい・・・

当日、出発まで

日の短いこの季節、スタート時間は可能な限り早くしたい。
スタート地点に一番近い「箱根町港」まで行くよりも、数百m手前の「箱根関所跡」行きのバスを使う方が15分程度早く到着できることが分かった。
ほぼ始発で小田原駅まで移動してコンビニで補給を済ませバス停に並ぶ。年末の早朝でも数人の先客がいた。

小田原駅から乗ったバスはこれから走る箱根6区のルートを綺麗に逆走して延々と走っていく。あまり見たい光景ではないので車内ではできるだけ寝ていた。
終点に着いた時には乗客は私一人。小田原よりもひと際冷たく静かな空気に包まれる。

年始のフィニッシュ、今日のスタート

午前7時40分、気温3度の芦ノ湖・箱根駅伝復路スタート地点から走り始めた。


本編

6区【芦ノ湖~小田原】

スタート直後、前回と同じ失敗をしたことに気づく。心拍計の異常だ。
寒い時期の低負荷運動に光学式心拍計を使ってはいけない、とあれほど実感したはずなのに・・・
心電式の心拍計も複数持っているのに忘れてきてしまったのだ。仕方ない、170とかありえない数字を吐き出し続ける画面を距離と時刻表示のみに切り替えた。今回も心拍数のことは考えずに走るしかないようだ。

最初の数キロは平坦区間だが、元箱根の交差点を右折するとすぐに上りが始まる。
序盤なので大した勾配には感じないが、ここで無理をすると絶対に後で響きそうだ。無理をせずスローペースで上る。
国道最高地点の手前、駒ケ岳が綺麗に見える場所がある。景色でも撮るか~とスマホを取り出そうとしていたら、歩道に迫り出したツル状の植物が足に絡んでコケた。割と派手に。

幸いスマホは落とさず済んだが、右の膝、腰、肘を地面に激しく打ち付けた
スピードは出ていなかったものの、両足を固定されたまま受け身も取れずに転んだものだから相当痛い。
周囲に人も車もいない。黙って起き上がり、骨や関節に異常がないことを確認してそっと走り出す。



怪我をしても一人


すぐに下りに入る。打った場所はそれなりにズキズキして痛いし血も出ているようだが、とりあえず続行に問題はなさそうだ。危うくたった5㎞でチャレンジ終了になるところだった。

右半身を犠牲にした割には普通の写真である


これまで以上に足元に気を付けながら長い長い下り区間をこなしていく。
途中あまりの寒さに二度公衆トイレを借りた。やはり箱根山中は下界とは寒さの質が違う気がする。

ようやく箱根湯本の駅まで下りてきた。
さっきまでとは打って変わってすごい人出だ。新宿からやってきたロマンスカーからもどんどん人が降りてくる。
ここまでくれば6区もあと少し。下り基調の道をしばらく走り、鈴廣前で一休みだ。

7区【小田原~平塚】

蒲鉾も買っていきたいが荷物を増やせないのでスルー

さて、ここの区間は復路の鬼門だと読んでいた。距離もアップダウンもさほどではないが、とにかく単調なのだ。
箱根も富士山も背中側。特に考えることもなく淡々と進む。
そこで表れる「東京 83km」の表示。
やめてくれ!気が狂う!

現実をぶん投げてくる青看板

一つ誤算だったのが、下りで速いリズムに乗ってしまった脚をうまく抑えられなかったことだ。
何も考えずにいたところ、国府津ぐらいまでをキロ5分半ぐらいのペースでしばらく走り続けてしまう。
これが大磯あたりから脚へのダメージとして顕著に出てきた。
序盤に打った腰や肘の痛みは気にならなくなってきた。ほかの部分がそれ以上に痛くなってきたからだ。

大磯の松並木を抜けた先で、ずっと付き従ってきた国道一号から左に逸れる。
海側、国道134号へと向かう高架だ。歩道がないのでもしかしたら歩行者通行禁止なのでは?と思っていたが、特にそんなこともなくおばあちゃんも普通に散歩していた

8区【平塚~戸塚】

中継所になるのはただの道路

復路の平塚中継所には”らしい”ものはないのでよくわからない写真を一枚撮ってそのまま進む。
ここから茅ヶ崎・浜須賀交差点まではひたすら海沿いを走るのだ。

三週間ほど前に湘南国際マラソンで走った区間、交差点ごとに精神的な区切りがつけられるためそこまで長くは感じない。
あの時は3'50"/kmぐらいで走っていたが、その倍近い時間をかけてゆっくりゆっくり進んでいく。すでに脚全体が痛むようになってきており、信号だ階段だと何かしら理由をつけては休憩しようとする。

湘南大橋から先は海側の歩道を走ることにした。こちら側には浜須賀交差点までサザンビーチ付近を除けば信号がほとんど無いので止まる理由もない。ほら、意志が弱い人間は仕組みで解決しろって言うよね?

浜須賀で海岸線を離れ、最初の難関が東海道線を超える高架橋だ。
車道は歩行者進入禁止のため平行する結構急な階段を使う必要がある。
とはいえ30段程度なのだが・・・これが50㎞以上走ってきた脚には響く。特に下りがきつい。近くの踏切に迂回すればよかった。

間髪入れずやってくるのが、箱根駅伝では勝負どころとなる遊行寺の坂だ。

ゆぎょうじ、と読みます

ただ、ここは傾斜こそ急だが距離は短い。ストライドを狭めてゆっくり登れば意外とすぐに頂上までたどり着いた。

あとは藤沢バイパスと合流し幾度かのアップダウンを凌げば戸塚中継所である。

9区【戸塚~鶴見】

復路の戸塚中継所はトヨタのディーラーさんだ。

店名は戸塚中継店というなかなか大胆なネーミングだし、看板には肩から何かを掛けて急いでいる風の人々が描かれている。このギリギリを狙う姿勢、嫌いじゃない。

しばらく往路で使ったのと同じ戸塚道路沿いの歩道を進み、住宅街から柏尾川に抜けて不動坂からまたコースに復帰する。
ヤマザキパンの工場あたりで反対車線側を10人くらいで走っている方々とすれ違った。もしや大手町から箱根を目指す同志だろうか?
残念ながら大通りの反対側ということで声を掛けることはかなわなかった。

さあ、復路最大の難所である権太坂がやってきた。
上りはいい。ゆっくり進めばそのうち頂上に着くからだ。問題は衝撃に耐えなければならない下りだ。
案の定、下りに入った瞬間下半身全体が猛烈な痛みを訴え始めた
足裏のアーチも膝のクッションも亡き今、着地衝撃はそのまま鞭のように全身を叩くのだ。
下りきってしばらく、保土ヶ谷のコンビニで休憩しながら葛藤していた。
進むのか、やめるのか。

足腰はすでに限界を訴えている。脚全体が痛すぎて、朝方転んでケガした部分の痛みなどとっくに忘れていた。
時刻は午後4時を過ぎ、傾く夕日も気持ちをネガティブな方向へ引っ張る。駅は目の前で、今来た電車に乗ってしまえば自宅の最寄駅まではあっという間だ。
こういう時どうするかは年始に学んだ。何も考えずに進むのだ。
夕刻の横浜に向け、ただ心を無にして進み始めた。

横浜駅周辺は一人箱根駅伝にとってのある種鬼門だ。
横断歩道のない交差点が多く、急な階段を使って歩道橋を渡らねばならないこともある。
階段の一段一段に寿命を削られつつ、何とか鶴見にたどり着いた。

数々のドラマを生んできたこの直線

これが正真正銘最後の中継所だ!

10区【鶴見~大手町】

いよいよアンカー、有終の美を飾る重要な区間だ。
すでに日はすっかり落ち辺りは真っ暗、体力も限界に近い。
この状態から果たしてあと23㎞を踏破できるのだろうか?

前はOta Kuだった気がする

多摩川を越えて、東京都に入る。この橋の上り下りすら涙が出そうなほど辛い。
止まるともう進めなくなるという恐怖から、補給はほぼ歩きながら摂っていた。救いだったのは、並行している京急には頻繁に駅があるので進捗が確認しやすかったことだ。

六郷土手、雑色、蒲田、、、歩いたり走ったりを繰り返しているので一駅一駅が果てしなく遠いが、それでも着実に進んでいく。
北品川まで来るとそこは新八ッ山橋。上ったところからは品川、そして目指す都心の景色が見える。
ついに来たぞ!東京だ!

やる気と裏腹に足は進まない。
品川駅前ではまた歩道橋に行く手を阻まれ、一段一段呻きながら階段を上り下りする。膝関節が曲がらないのだ。

これは移動制約者に対する無理解と怠慢であり自動車交通優先社会がもたらした弊害で(ry

運動能力を失うことでハンディキャップを抱えた人が何に困っているのかが見えてくる。
中学校の社会の授業でおなじみ、視界や動作を制限する装具を付けたお年寄り体験の超拡大版だ。
勝手なチャレンジで苦しんでおきながら、バリアフリーを軽視した自動車中心の道路行政に怒りを露わにしていた。一周回って迷惑な奴だ。

三田で国道15号を離れ芝公園方面へ。東京タワーがビルに反射して美しい。
さすがに年末の夜ということもありこの辺りはだいぶ静かだ。
ただ、左ひざの外側に今までとは違う種類の痛みが出てきてしまった。
ただ我慢すればいい痛みとは違う、反射的に足を引っ込めてしまうような激痛だ。

日比谷に到達するころには痛みの出る頻度が上がり、ほとんど走れなくなってしまった。
往路コースをトレースするならもうあと1㎞程度だが、復路コースはこの後銀座方面までぐるっと迂回して3㎞も掛かってしまう。
最後を歩いて終えることになるのは不本意ではあるが仕方ない。

午後9時過ぎ、銀座の街も人通りがずいぶん少ない。
この街を短パンリュックの男がヨロヨロ歩いている理由がわかる人など一人もいないであろう。むしろお巡りさんに何をしているか聞かれなくて良かった。何かしらのお薬を疑われかねない説明をするハメになってしまう。

昼間とはまた違う銀座の姿

日本橋を渡り、最後のカーブを曲がる。あと1㎞だ。
(通称)寺田交差点を渡る・・・見えた!



午後9時44分、109.3km地点、読売新聞社前到着。

https://x.com/Tossy_CB/status/1740353490252333226?t=BtW7K6lyD3fZvmbBsFyVYA&s=19

当然ながら誰もいない、あっけないフィニッシュだった。
芦ノ湖の箱根駅伝ミュージアムは一つの観光地だが、この場所は1月2・3日以外はただのビルの脇。
モニュメントこそあれ誰かが気に留めるような場所ではない。
ただ、ここに自分の足だけでたどり着いたことで、私の一人箱根駅伝は確かに終わったのだ。


エピローグ

写真を撮りSNS上に報告を上げ、ビルの脇で防寒具を着込む。

達成感!

まずは無事に家に帰らなければいけない。歩く速度は常人の半分、階段下降不可、座ったらまず立てないという縛り付きだ。それでも何とか自宅にはたどり着いた。立ったままシャワーを浴びて最低限の用事を終え、布団に倒れこむとすぐに意識を失った。

翌日

身体のダメージは深刻だった。
左膝は酷い腸脛靭帯炎を起こしており、歩くことにも支障が出ていた。
転倒で打った場所も結構出血し腫れているが、そんなことは問題にならないぐらいにほかの場所が痛い。
往路よりも更に身体のダメージが大きいのは、間違いなく最初に6区の山下りがあったせいだろう。
長いダウンヒルの衝撃で消耗した状態で90㎞も走り続ければ、そんな訓練をしていない身体は当然壊れてしまう。
膝が完全に治るまでには3か月以上を要した。
一人箱根駅伝面白そう!やってみよっかな?と考える諸兄諸姉においては、まずは往路での挑戦を強くお勧めする。

まとめ

往路107.5㎞、復路109.6㎞の箱根駅伝コースをすべて一人で走破するという、一人箱根駅伝というチャレンジ。とても過酷でとても馬鹿らしく、とても面白かった。
「道は繋がっている」という当たり前のことを自らの脚で再認識できた。
本物の箱根駅伝を中継で見ても、コースを自分で踏破しているだけに辛いポイントがよく分かるし、謎の感情移入が生まれるようになった。

誰にでも勧められるチャレンジでは当然ないが、ウルトラマラソンに興味のある各位はぜひ、そうでなくてもある程度ランニングに馴染みのある方は一区間だけでも、何なら自転車でもいいから人力で走ってみるといい。
お正月の楽しみがまた一つ増えると思う。

ここまで長文を読んでいただいた皆様、ありがとうございました。
さあ、次は何をしようかな?

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