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ぼくたちの革命

「今日は孝介君と寿子さんの結婚式にお集りいただきありがとうございます」

健介は緊張した声で司会を始めた。彼には今日、司会を頼んだ。事前に頼むと逃げられるかもしれないからだ。

「それでは、新郎新婦の入場です」

ぼくは音楽に合わせて式場に入った。健介は笑顔でこちらを見た。健介と僕との出会いは小学校時代に遡る。健介と僕は最初から仲が良いわけではなかった。

「明日もうまくいきますように」

死んでしまった犬の太郎にこうお願いするのが、夜寝る前のぼくの儀式だ。

「明日はいじめられないだろうか」と毎日不安に思う。

ぼくたち田舎の学校はクラスがひとクラスしかない。だから6年間同じメンバーで過ごさなければならない。健介は1年生の時からクラスのボスだった。

なぜ彼がボスになれたのか、未だに分からない。特に力が強かったわけでもない。頭が良かったわけでもない。でも彼は間違いなくクラスのボスだった。ぼくはそんな彼にいつもくっついていた。いわゆる子分というやつだ。

そうすればいじめられずにすむんじゃないかと考えていたからだ。
でも、いつもそんなに簡単にはいかなかった。

「お前、何やってんの」

健介が怒っていた。どうやら僕がボールをうまく捕れなかったことを怒っているらしい。

「しっかりやらないから捕れないんだよ」

「ごめん」

「あやまってすむかよ。負けちゃったじゃないか」

「ごめんよ・・・」

「お前、もういいよ。みんな帰ろうぜ」

ぼくはグラウンドに一人残され、他のみんなは帰ってしまった。太陽はもう沈みかけている。ああ、また地獄が始まるのか。ぼくはしばらくその場から動けなかった。

 次の日、ぼくの予想通りの事態が起きた。朝から誰も口を聞いてくれない。どうやら健介がみんなに命令したらしい。ぼくは一人ポツンと教室にいた。教室がいつもより広く感じる。

しばらく我慢すれば許してくれるはずさ、ぼくは心の中でつぶやきながらも不安で押しつぶされそうだった。このままみんなに無視され続けたらどうしよう。まだ6年生まで長いなあ。

しかも中学校で健介と同じクラスになるかもしれない。そうしたら中学生になっても地獄だ。こういう時どうすれば良いんだろう。普通は大人が気付いてくれるんじゃないのかなあ。金八先生は気づいてくれたぞ。でもぼくの学校の先生はダメだ。毎日、いじめはよくないとか言っているくせに実際のことは何も分かっていないんだ。

ぼくはそんな先生が腹立たしかった。だから先生に助けを求めることはしたくなかった。もちろん先生を信頼していないのもあったけど、それだけではないような気がした。

家に帰るとおばあちゃんがおやつを用意していた。ぼくはそれを食べると無言で外に出かけた。

「どこへ行くの」

何か声が聞こえたような気がしたが、そのまま外に出てきた。どこかに行きたいわけでもない。ただブラブラしたかった。ああ、今回の地獄はいつまで続くんだろう。1週間かなあ、それとも1ヵ月、それとも・・・。また同じことを考えていた。それを考えるとぞっとした。

近くの公園では幼稚園児らしき子どもたちが仲良く遊んでいた。ぼくも幼稚園の時はあんなに楽しく遊んでいたのかなあ。どう頑張ってみても思い出せない。きっとそうだたのだろう、ぼくは思い出すのをあきらめた。

再び家に帰るとお母さんがごはんを作って待っていた。ぼくはそれを食べると何も言わずにテレビを見にいった。特に何か見たいわけでもなかったが、人のしゃべり声が聞けるのがうれしかった。

「明日はうまくいきますように」

ぼくはいつもよりも長めに儀式をしてから目をつぶった。でもなかなか眠れなかった。涙が自然とこぼれてきてもふこうとはしなかった。

 次の日も事態はまったく変わらなかった。相変わらず誰も口を聞いてくれない。ああ、今日もダメか。このままずっと無視されるのかな。でもそれはそれでいいかもしれない。この方が、気が楽じゃないか。そんな風に思うことにした。

外はどんよりと曇っていて、今にも雨が降りそうだった。

それから1週間以上経っていただろうか、健介が声をかけてきた。

「今日の放課後だけどさあ、いっしょに野球やろうぜ」

「え、でも・・・」

「いいんだよ。人数がいないからさ」

単なる人数合わせだけど、ぼくはうれしかった。今回の地獄はとりあえず終わったようだ。しかし、ひとつの地獄の終わりは常にもうひとつの地獄の始まりでもあった。

「てめえ、何やってんだよ」

「ごめんね。ぼくは野球が得意じゃないんだ」

「うるせえ、そんなの関係ねえ」

洋司が健介に怒鳴られている。

「お前はもう来なくていいよ。俺に近づくな」

洋司は泣きながら帰って行った。でも誰も洋司に声をかけない。それがいつもの光景だ。

ぼくと洋司は幼稚園からの知り合いだ。家が近いこともあり、小さいころからよく遊んだ。ただ、洋司は運動が苦手なこともあって、小学校に入ってからはいっしょに遊ぶことはなくなった。たまたま今日は健介の目にとまり、野球に誘われたのである。

泣いている洋司をぼくもただ見送るだけだった。しょうがないんだ、ごめん、洋司。ぼくは心の中で何度もつぶやいた。でも、ちょっとほっとした。それが正直な気持ちだったのかもしれない。そんな自分が情けなくて、家に帰ってから泣いた。だれにも気づかれずに。

 次の日も、その次の日も洋司は一人でいた。そしてその次の日からは学校に来なくなった。先生は洋司が転校したことを伝えた。理由は先生にもよく分からないと言った。でも分からないのは先生だけだった。他のみんなはその理由が分かっていたが、誰もそれを言おうとしなかった。

「あいつ、今日、やっちまおうぜ」

健介がぼくたちに話しかけてきた。あいつとは転校生の俊太のことである。俊太は4年生の途中に転校してきた。運動も勉強もよくできて、一気に女子の人気をさらっていった。それを健介は快く思っていなかった。

「お前、放課後、残ってろよ」

「ああ、いいよ」

俊太は気持ちのいい返事をした。これからどうなるのか分かっているのかな、ぼくはちょっと不安になったが、でもそれを彼に言うことはなかった。心のどこかで喜んでいたのかもしれない。

 その日の放課後、ぼくたちはグラウンドに集まった。これから始まることを想像して、みんな緊張していた。

「お前さあ、生意気なんだよ」

「何言ってんの、お前」

「うるせえ」

「やるならやろうぜ」

俊太は近くに落ちていた棒を持った。彼は剣道の有段者だ。

「お前、卑怯だぞ」

健介の声は心なしか震えていた。

「じゃあ、野球で勝負しようぜ」

「おう、いいよ」

俊太は打席に立ち、健介はピッチャーをやることになった。ぼくたちは守備要員だ。健介は地元のリトルリーグでもピッチャーをやっていて、ピッチングには自信を持っていた。

第1球はストレート、第2球もストレート。ツーストライクになっても俊太がバットを振る気配はない。第3球も渾身のストレート。鋭い打球がぼくの頭の上を越えていった。文句なしのホームランだ。

「やるじゃん、お前」

「まあね」

俊太は笑顔で答えた。健介も笑いながら話している。ぼくはいったい何が起こったのか分からなかった。健介は負けたのか・・・。でも健介の表情からは負けたようには見えない。

「また、野球やろうぜ」

「ああ」

俊太は剣道の練習があるからと言って、足早に帰って行った。

「あいつ、なかなかやるな。まあ、おれは全力じゃなかったけどね」

残ったぼくたちに健介は笑いながら言った。少しひきつった顔にも見える。でもみんな何も言わなかった。きっとみんなぼくと同じことを考えていたはずだ。その日はみんな、無言で帰って行った。誰もいなくなったグラウンドには、カラスの鳴き声だけが響いていた。

 次の日から俊太と健介はよく遊ぶようになった。ぼくたちはオマケとして呼ばれているようだった。なんであいつは健介と対等にふるまえるんだろう。ぼくはそれがうらやましくもあり、憎らしくもあった。

「お前さあ、なんでそんなにペコペコしてんの」

突然、俊太が話しかけてきたのはそれから何日か経ってからだった。

「別に理由はないけど」

ぼくは強がって見せた。

「そうなの。それなら良いけど」

俊太は真面目に答えた。

「お前も健介がいやなら仲間に入れようと思ったんだけどね」

「なに仲間って?」

「おれたちで健介をボスの座から引きずり降ろすのさ。こういうのを難しい言葉で革命って言うんだぜ」

「革命?そんなことできるの?」

「できるさ。クラスの男子、ほとんどが賛成してるんだぜ。なあ、辰夫」

「ああ、そうだよ」

辰夫がニヤニヤしながら近づいてきた。いつも健介の前では小さくしているのに、今は何でこんなに堂々としているのだろう。

「ぼくも・・・・、革命の仲間に入れてくれるかなあ」

「何だ、お前もほんとはそう思っていたんじゃないか。入れてやっても良いけど、条件があるんだぜ」

「なに?」

突然、俊太と辰夫は真面目な顔になった。

「一回で良いから健介に話しかけられても無視するんだ」

「そんなの無理だよ」

「じゃあ、この話はなしだ」

俊太と辰夫はその場から立ち去ろうとした。

「分かった。やってみる」

ぼくはあわてて言った。彼らはニヤッと笑っただけだった。

「なあ、今日、野球やろうぜ。おい、聞いてるのか」

健介が怒鳴りながら近づいてきた。

「いや・・・。今日はちょっと・・・」

「はああ、お前断るの?まあ、いいや、他のやつを探すから」

健介はイライラしながら他の人を誘いに行った。ほっと安心していると、俊太が近づいてきた。

「お前、やるじゃん」

「まあね・・・。ぼくだってやるときはやるんだ」

「おお、その意気だ」

俊太がびっくりしたように答えた。

「でも、あの条件はうそだぜ」

辰夫が言った。

「え?何でだましたの?」

「まあ、ちょっとためしてみたのさ」

「ためすなんてずるいよ」

「じゃあ、このまま一生健介の子分でいろよな」

辰夫はぼくをにらみつけた。

「そういう意味じゃないよ。ただちょっと言ってみただけだよ」

ぼくはあわてて答えた。

「まあ、どっちでもいいけどさ、お前に少しは勇気があることが分かったよ。これで革命ができるかもな」

俊介はぼくの肩に手を置いた。その手はズシリと重かった。

 次の日からぼくは俊介たちと遊ぶようになった。なぜか健介も話しかけてこない。ぼくは解放されたんだ。もう地獄とはおさらばさ。ぼくは毎日の儀式をいつの間にかしなくなっていた。

「あいつさあ、いい気味だよな」

「ほんとだよな。今までさんざんいじめてきたから、ざまあみろだよ」

いつからかそんな声がよく聞かれるようになった。健介は教室の隅にいつも座っていた。誰も健介の存在に気付いていないようにふるまった。これまでの仕返しをするかのように。

「今から、二人ペアになってダンスの練習をします」

9月にある運動会に向けて練習が始まった。ペアを組むのは誰とでも良いとのことだった。誰にしよう、ぼくが迷っている時だった。

「あのさあ、俺と組んでくれない?」

突然の声にびっくりした。声の主は健介だった。今までの力強かった声と全く違って、弱々しく何かを恐れているような声だった。

「ぼくは、その・・・」

「おい、孝介。何やってんだよ。こっち来いよ」

俊太が僕の名前を叫んでいた。

「ごめん・・・」

ぼくはその場から急いで逃げた。でもその足取りは重かった。

「健介君はペアになる人がいないの?」

「誰か健介君も入れてくれる?」

「・・・」

「ぼくはいいです。見学しています」

「ちょっと待って。そんなの許されるわけがないじゃない」

「もう一度聞くわよ。誰か健介君を仲間に入れてあげて」

「・・・」

「分かったわ。今日の練習は中止します。教室に戻りなさい」

先生は大声で叫んだ。その声は震えていた。ぼくたちは黙って教室に戻った。

「先生は君たちに言ったわよねえ、いじめはダメだって。いったい誰が言い出したの?」

「・・・」

「黙ってないで、正直に言いなさい」

「・・・」

「なんで何も言わないの。君たちひきょうだわ・・・。もう今日は帰っていいわ」

ぼくたちは先生に言われたとおり教室から出た。誰もその場に残ろうとしない。教室からは教室に残った先生のすすり泣く声が聞こえたような気がした。

 次の日は朝から学級会だった。クラス担任の先生だけではなく校長先生や教頭先生まできていた。

「昨日、佐藤先生から聞きました。みんなで健介君を仲間外れにしているようですね。なんでそうなったのか、今日はみんなで話し合いましょう。問題が解決するまで授業はやりません。給食もなしです」

教室がざわざわとし始めた。

「革命ですよ、先生」

俊太が大声で叫んだ。みんな一斉に俊太を見た。

「どういうことですか、俊太君。説明して下さい」

「健介はずっとみんなをいじめてたんです。このクラスのボスだったんですよ、なあ、孝介」

「そうです・・・。俊太君の言う通りです・・・。」

突然、僕は話を振られて戸惑ったが、思ったことを答えた。先生たちがザワザワし始めた。佐藤先生は悲しそうな目でこっちを見ていた。

「なんで君たちはその時に言わなかったのですか」

その言葉にぼくは怒りが込み上げてきた。言えるわけがないじゃないか。先生たちは何も分かっていない。

「言えるわけがないじゃないですか。そんなことしたらみんなに無視されますよ。だから革命を実行したんです」

俊太はみんなの意見を代表した口ぶりで答えた。

「革命?そんなの革命じゃない。それじゃあ、君たちも同じことをしてるだけじゃないか」

いつも笑顔の校長先生が怒鳴った。ぼくたちはみんなびくっとした。確かにそうかもしれない。でも、ぼくは大変だったんだ。毎日儀式までしたんだ。先生はその時気づいてもくれなかったじゃないか。健介が無視された時だけ気づいてずるい。結局、ぼくは校長先生の言葉をそのまま受け入れることはできなかった。

「あいつら、何にも分かってないよな」

「ほんとだよ。おれたち結構大変だったよなあ」

学級会が終わった後も生徒だけの議論は続いていた。

「なあ、これからどうするよ」

「どうするって言われてもなあ。このままでいいんじゃない」

「でも・・・。かわいそうじゃない?」

洋子が言った。

「はああ、だったら昔に戻ってもいいのかよ」

俊太の言葉にみんな黙ってしまった。昔になんか絶対戻りたくない。この革命は成功したんだ。ぼくたちは正し事をしたんだ。

「あのさあ、もういいんじゃないかなあ、俺は明日、健介と話してみるよ」

新太郎が沈黙を破った。

「まあ、勝手にしなよ。帰ろうぜ、孝介」

「うん・・・」

ぼくたちはみんなを残して教室を出た。

「孝介は、どう思うんだよ」

「どうって別に」

「何だよ、はっきり言えよ」

「いや・・・。なんかその・・・。ちょっとかわそうかなと・・・」

「なんだよ、お前もかよ。俺がお前を救ってやったんだぜ。お前も逆らうのかよ。この革命はまちがいだって言うのかよ」

「そういうじゃなくて・・・」

「じゃあなんだよ」

「俊太君、同じだよ、これじゃあ」

「どういうことだよ」

「健介君と同じ」

「何だと!てめえふざけるな!」

ぼくと俊太君ははじめてけんかをした。それからぼくは俊太君と話をしなくなった。ぼくはまたひとりぼっちになってしまった。涙があふれてきた。何で俊太君にあんなこと言ったんだろう。ずっと健介にいじめられてきたのに・・・。それを俊太君が救ってくれたのに・・・。ぼくにはもう何が何だか分からなかった。

 次の日、健介の近くには新太郎がいた。いっしょに楽しく話しているようだ。俊太はあいかわらずそこから離れている。先生は心なしか元気がないようだ。ぼくはどちらとも溶け込めずにひとりぼっちだった。

「あのさあ、今日、いっしょに遊ばない?」

その声は健介の声だった。

「もし時間があればでいいんだけどさ」

「うん、大丈夫だよ」

「よかった。また断られるかと思ったよ」

健介は少し照れながら答えた。

「あのさあ、ごめん」

「いや、俺のほうこそ」

ぼくたちはそれ以上、そのことについて話さなかった。話さなくてもお互い言いたいことは分かっていた。

 その日の放課後、久しぶりに健介の家に行った。

「あらあ、久しぶり。元気だった」

健介のお母さんが笑顔で僕に話しかけた。

「はい、元気です。おじゃまします」

「はい、どうぞ」

健介のお母さんの声は泣いているような声だった。健介のお母さんは自分の息子が無視されているのに気づいていたのかもしれない。

「なあ、何して遊ぶ?」

「ゲームしようよ」

「オッケー。野球のゲームで勝負しようぜ」

それから僕たちはまた以前のように遊ぶようになった。違うのは子分ではなく友達になったこと。いつの間にか俊太たちもいっしょに遊ぶようになった。もうだれも以前のことにはふれなくなっていた。

「おう、たくさん飲んでよ」

健介がビールを持ってやって来た。

「当たり前だろ。とことん飲むよ」

「ほんとにうれしいよ、自分のことのようにさ」

「お前も早く結婚しろよ。その時は俺が司会してやるよ」

ぼくたちは今でも親友である。この友情は永遠に変わらないだろう。ぼくたちの革命は成功だったのだ。

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