子は親の鑑であることを忘れていませんか?
今日はクリスマスイブですね。
そんなことは関係無く通常営業で週一のnoteを書いていきますね。
公然で子に大声で叱りつける親
時々見かけますね、こういう親御さん。
子どもは普段どおりの動きしかできませんよ。外に出たからっていつもと違ってお利口さんになるわけではありません。
大声で叱るというのは、体力が要ります。そして、あまりいい印象を与えません。
外は家の中より刺激が多く、それに敏感に反応するのが子どもなのです。
だから、走り回るのです。そこにあるものが気になるから触ろうとするのです。
それを「ダメ!!」「なんでいつもそういうことするの?!」って叱りつけても、子どもには『なんで怒られてるんだろう?』という疑問しかないと思います。
納得しない限り、言うことを聞きません。
それより、大声で叱りつけることは普段ちゃんと大人しくするように躾けていないことを暴露しているようで格好良くないですし、印象が悪いです。
子どもは普段の躾けられ状態をブロードキャストで放送する送信機です。
その放送内容には嘘はないと思いますよ。
子どもがどんな迷惑な行為をしていても、注意しない親
これもたまに見かけます。
自分の子どもが可愛いのはわかります。
でも、可愛いからといって何をしても許されるかといえば、そんなことはない。
他人に迷惑がかかる行為については、注意しなくてはならない。
子どもが迷惑な行為をしても放っておく親って、子どもに無関心か迷惑の定義がズレているかどちらかだと思います。
本当に大事な子どもなら、ダメなことはダメと教えてあげるべきです。後で恥をかくのは子ども自身なのですから。
後で恥をかくのは子どもですが、子どもに注意しないというところで恥をかくべきなのは、それを放置している親なのです。
子は親の鑑。子は親の思想を如実に写します。
第三者から見て、子どもがしているその行為は、子どもがしている行為ではなく親が許している行為として見えています。
そうなのです。迷惑行為を無視している親は恥ずかしいのです。
大声をあげる子どもは悪くない
子どもって不意に大きな声で喋ったり、泣いたりします。
それについて、迷惑だという人もいます。
幼稚園や保育所に対して「騒音裁判」をした例もあります。つい最近原告の男性が敗訴していましたね。
でも、子どもは限度がわかりませんし、マナーやモラルもそこまで身についていません。子どもに対して、怒りを覚えるのはお門違いです。
また、そんな子どもをなんとかあやそうとあの手この手を駆使している親御さんに怒りを覚えるのもお門違いです。
子どもは泣くものだし、限度がわからず騒ぐものです。
それは当たり前です。でも、そんな子どもを大声で叱りつける(怒る)のも、知らぬ存ぜぬを貫いて無視し続けるのも違います。
最後に
私には子どもはいませんが、教育には昔から興味があって、よく子どもと教育のことを考えます。
街中で騒いでいる子どもを見かけてもイラッとしたことはありません。
前述の通り、イラっとするのはどちらかといえば、その子どもの近くにいる親です。本当に親なのかなと疑いたくなることもあります。
確かに、たまの休日に子どもを預けられたお父さんが、そんな簡単に子どもを制御できるとは思いません。でも、絶対にできないとも思いません。
まぁ、街中で子どもに怒鳴っているのはお父さんよりお母さんのほうが多い印象ですが、子育ては苦労するものなんだろうなと、できるだけ客観的に見るようにしています。
その上で、もし子どもを持つことになったら、鑑となる子どもには良いものを写して欲しいなと思います。
子どもでなくとも、人は人の悪いところも良いところも真似する生き物です。良いところは本当に良いと思うものだけを真似しますし、悪いところは、「ここまでなら許されるんだ」という線引きの参考にされるものです。つまり、ちょっとでも気を抜くことは、ボーダーラインを下げることになります。
厳しすぎるルールのボーダーラインを下げるのは悪いとは思いませんが、あまり下げすぎるのはあまり良くありません。また、良いところは、真似してもそれ以上に発展することは少ないですが、悪いところは気づいたらエスカレートして、どんどんボーダーラインが下がっていることが多いです。
子育てだけではなく、人材育成の観点でも、他人は自分の鑑だということを忘れてはならないのかもしれないですね。
読者にとって幸せな聖夜になりますように、
Merry Christmas!
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