とったん、『トカトントン』を、語った。(前編)

こんとん!
唐突だけど、ぼくは、太宰治の『トカトントン』という、短編小説が、好きだ。好きすぎて、大学の卒論の題材にしたくらいだ。
太宰好きを公言して憚らないぼく(ただし、主要作品の半分も読めてない。まだまだにわかである)が、『人間失格』『斜陽』を差し置いて、なぜ、比較的、マイナー寄りな、『トカトントン』、とかいう作品を、推すのか?
今日は、そんな『トカトントン』の、みりょくを、一ミリでも理解してもらえるよう、書き綴ります。
ところで、聡明な読者諸君の中には、すでに気づいているものもいると思うが、句読点を多めに使って、書いている。これは、太宰治の文体をリスペクトし、意図的に、多用したのだが、これこそ、太宰の文章が、世間一般に受け入れがたい要因、句読点の多い文章は、語りとして正確であっても、本を読む、という行為において、苦痛でしかないのだ。
よってこれ以降は、通常の頻度で句読点を、つけます。

『トカトントン』についてとやかく言う前に、そもそも『トカトントン』とはなんぞや?という方のためにさらっと作品について説明しておこう。
『トカトントン』は1947年に発表された太宰治の短編小説である。書簡体形式、つまり手紙のやりとりを小説にしたものだ。執筆の経緯は後ほどしっかりと書く予定なので、今は省略しておこう。
あらすじはこうである。一人の青年が、あるときを境に何かに熱中して最高潮に達する度に「トカトントン」という幻聴が聞こえ、その途端にやる気をなくしてしまう、という話である。

こうしてかいつまんで説明してみると「なんだ、ただの中二病か」と済ませてしまえそうな話である。かつてのぼくも、どちらかというとそのようなニュアンスで『トカトントン』を解釈し、そのあるある要素に共感していた。だが、『トカトントン』が書かれた当時の社会的背景、若者の苦悩、太宰の思想を知った上で『トカトントン』を再読すると、この作品は一気に奥行きが広がる。『トカトントン』は、若い人に、生き方を問うているのだ。

ではまず社会的背景から。『トカトントン』の執筆が完了したのは1946年11月ごろだと言われている。
近い出来事、かなり重要な出来事としてあげられるのは、1945年8月、ポツダム宣言。終戦である。日本は降伏し、一時的にGHQの占領下に置かれることとなる。ここからが大事なのだが、当時の日本は軍国主義、お国のために国民が総動員して戦う、「欲しがりません、勝つまでは」の時代だった。

ところが、戦争に負けた日本はGHQの指導のもと、民主主義の思想を身につけるよう指示された。少し語弊があるように思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、作品理解の為の簡略化しての説明なので、正しい訂正はコメントにてお願いします。
で、これが太宰的には不満爆発。戦時中は芸術に耽溺して現実から離れていた(新潮文庫、太宰治『お伽草子』の裏表紙参照。しかしまあ、これも語弊があるかもしれぬ)太宰にとって、思想は死活問題だった。太宰は『トカトントン』とほぼ同時期に『男女同権』『親友交歓』という作品を書いている。二作とも、民主主義の欺瞞(『男女同権』)、GHQと日本の関係の揶揄(『親友交歓』)と、文脈の中に社会情勢への不満を匂わせている。
社会的背景をまとめると、終戦後、降伏した日本は、それまでの軍国主義(思想)を捨て、民主主義という新しい思想を身につけることになった、という訳である。

ところで、太宰が不満を抱えていたのはこの点だけではない、と思う。(というのも、これは想像だが)「革命」が起きなかったことにも怒っていたのではないだろうか。太宰には左翼的活動に参加していた過去がある。詳細は省くが、左翼運動は志半ばで途絶えている。『トカトントン』本文中にも青年が左翼運動のアナウンスを聞いて感動するくだりがあった。それに、「革命」というキーワードは後に『斜陽』の中で用いられている。民主主義という新しい概念によって何かが変わることを期待した太宰。しかし、実際はそんなに変わらなかった。だから、怒りというより失望というべきだろうか。

このような社会的背景、文脈があるなかで、太宰の元にとある青年が手紙を送ったのである。この手紙こそ『トカトントン』のベースになった手紙である。手紙の内容は太宰治全集に掲載されているので、そちらをどうぞ。さて、かいつまんで手紙の内容を説明すると、「この頃、どうもやる気がでない。金槌を叩いたような音が聞こえる。どうすればよいか」という感じだ。手紙の時点ではまだ「トカトントン」というキーワードは出てきていない。その後何回かの文通を経て、太宰は「金槌の音」という題材を借りて「若い人の、げんざいの苦悩」を書くことを決意する。

こうして、『トカトントン』という作品は成立したのである。概要から『トカトントン』の成立まで長々と述べてきたが、ここからは考察に移っていく。のだが、ここらへんで一旦一区切りにして、前後編の前編を終えようと思う。考察を楽しみにしてたのに!という方は後編の更新をお待ちくださいな。
ではまた次回!

(つづく)

更新頻度は低いですが、サポートしていただけると生活が少しばかり潤いますので、更新頻度も上がるでしょう。