「○○の振りをするな」極端な自己否定、すなわち悲劇のヒロイン症候群(男なのにヒロインとはこれいかに)

どうも、とったんです。

ぼくは自分が生きづらい人間だと思っている。
人間不信気味だし、ADHDグレーゾーンだと思う。自己肯定感も低い。

ところで、ぼくが言うこれらが振りだったとしたら、どう思う?

ぼくとしては「いや、振りじゃないよ!」と言いたいけど、
生憎ぼくには虚言癖がある。
息を吐くように自覚なく嘘をついているかもしれない。

内面的な問題は外側から見てすぐわかるようなものではない。
というか自覚ある欠点なら改善しようとしろよ、って話である。
「生まれ持った気質だから治しようがないし、ダメなところがあってもぼくはこういう人間なんだから受け入れてくれ~!」と相手に負担ばかり押し付けるのはさすがに甘え過ぎかもしれない。

ぼくは、自らに「生きづらい人」の烙印を押そうとしているのだろうか。

生きていくためには、基本頑張らないといけない。
金を稼ぐために働かないといけないし、飲食をしないといけないし、
人と話をしないといけない。
苦手だ苦手だといって避けることはできない。
苦手だったり困難なことも「頑張らないと」いけない。
例え潰れそうになっても「頑張らないと」いけない。
頑張らない人は社会不適合者である。
…何を頑張るのだろう?
頑張ることを頑張るのだろうか?

とここまで書いてきて思考がバグってんなと読み返して気づいた。

つい先日、友達と遊びに行ったときちょっとした失敗をしたのだけど、友達から「次はこうした方がいいんじゃない?」というアドバイスをくれているときにぼくは「ああ、なんて自分はダメなんだろう。二度と何かをしたいなんて思わない方がいいかもしれない」と自分の殻に閉じこもっていた、ということに気づいた。
これはぼくの悪い癖である。

ぼくは人から助言をもらうのが苦手である。
「「アドバイスを受ける」ということは「お前、こんなこともできねぇのかよ!」って言われているのと同義だ」と認識してしまうのである。
そのため改善のための助言をぼくへの人格批判に変換してしまっているのである。
そして、「人格批判を受けるなんてかわいそうな自分!!」と無意識に悲劇のヒロインになったことに酔っているようだ。
そして、アドバイスに対して「でもさ…」と言い訳を始める。
もしくは、「やっぱりぼくは生まれつきのどうしようもないクズだ」と見当違いの極端な自己否定をして現実に起こっている問題から目をそらしてしまう。

認知が歪み過ぎている…!!
この認識だと人が離れていくばかりである。
そして人が離れていくのを見て「なんでかぼくから人が離れていく…人間は信用できない」と人間不信を身勝手に発動してしまう。

ちょっとした失敗で陥る極端な自己否定(例:皿を割ってしまったら「自分には生きてる資格がないんだ」と思い込む)は現実逃避の一環なのかもしれない。目の前で起こったミスの問題点を明らかにして改善するという思考プロセスを放棄して、見当違いの自己批判(こんなこともできないなんて、お前はダメな奴だ)をするのは、生産性がなさすぎる。

そうだ、ぼくの一番の悪い癖はすぐ現実逃避するところだ。
もっと現実を受け入れて、少しずつ改善していかないといけない。
とりあえず、極端な発想はしばらく控えよう。
妄想は控えめにしよう。

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