入力・出力の話、それと「フラグ」や伏線回収が日常語になった話、等

どうも、とったんです。

・noteに飽きた?


更新頻度が明確に下がってるけど、
別に飽きたわけじゃないよ。多分。
書き手にはインプットの時間が必要なのだ。

学生のときは、それまで生きてきた数十年の中で見てきた作品が無意識に蓄積されていて、それを引き出しにしてわりとノリで書けたり(出来がいいとは言ってない)するのだが、自身の中に蓄積されたものを書くと消費されてしまう。
消費っていうより、色あせるの方が近いかな?

・出がらしみたいな人生を生きております

お茶、あるじゃん?
急須に茶葉入れて、一回目にお湯入れたやつが一番濃くて、うまいとされてるじゃんね?
で、二回目以降は質が落ちるらしい。ぼくはわりと馬鹿舌なのでよくわからないけど。

この二回目以降を「二番煎じ」という。転じて、一度ウケたものに便乗して同じもの(似たようなものの場合もある)をやる、「二匹目のドジョウを狙う」といった意味で「二番煎じ」とも言われるんだって。
日本語は、由来を調べると面白いなぁ!

・新鮮な空気と気持ちは精神的に大事だ

「二番煎じ」のように、最初は興味関心が強い状態で書けても、二回目以降に書くとなるとどうしても興味が薄れてしまう。
新鮮な気持ちを失ってしまう。

二回目以降もそれを書ける人は、前とは違う新しい視点からそのテーマに向き合える人か、関西で言うところの「天丼」式に、様式美的な繰り返しができるってことだと思う。

脱線した話からさらに逸脱しちゃった。
いつもどおりか。
そもそも、今日日ググれば分かることをいちいち解説するのはウザい行為じゃないか。
知識自慢をしたいけど知ってることはそんなにないから、みんながわりと知ってそうなしょうもない豆知識をドヤ顔で語って顰蹙を買う、学校や職場によくいるウザい奴か。

閑話休題。
本題に入ろう。

・「それ、伏線回収してないですか!?」

カーステレオでラジオをよく聞くのだが、その中でラジオパーソナリティが「それ、○○の話の伏線回収してますね」的なことを言っていたことがあった。具体的な番組名は覚えてないから、ひょっとしたらテレビのバラエティ番組かもしれない。
話の流れ的には「前フリがあって、後の話につながる」というニュアンスで「伏線回収」が使われていた。

伏線(ふくせん)は、物語や作劇上の技術のひとつで、物語上において未来に起こる重要な出来事を、些細なかたちで前もって暗示しておく手法である。 読者や聴衆の失望を回避するため、あるいは感興を引き起こすために用いられる。 時には登場人物によるはっきりした予言といった形をとることもある。

賢い皆様には必要ない(というかググればいい)が一応Wikipediaから引用。

また、バラエティに限らず、アニメやドラマで「それ、『フラグ』だぞ」と言う場面が増えてきた、ような気がする。
作品によってはタイトルにフラグ云々が書いてあるものもある。

フラグは英語では旗を意味する単語であるが、本項で扱うフラグは映画・小説・ドラマ・漫画・アニメ・シミュレーションゲームなどのストーリーにおいて、後に特定の展開・状況を引き出す事柄を指す専門用語である。 伏線と同義であるものの、フラグは比較的単純で定型化された「お決まりのパターン」の含意があるとされる。

同じくWikipediaより引用。

ここで言いたいのは、
トークの「前フリから後の話に繋げる」行為を「伏線回収」や「フラグ」と表現したことである。

・スラングをリアルで見るとうすら寒い気持ちにならない?

「伏線回収」「フラグ」はもともと物語、アニメやマンガ、映画、ドラマを、「作品」として見たときに使う用語である。

伏線回収は序盤の一見どうでもいい場面を後半でキレイに活用できると、観た人に「あれ、伏線だったの!?」と意外性と衝撃を与えることができる、物語のギミックの一つだ。

近年、伏線回収が見事な作品が多く登場した(オタク的にはひぐらしやシュタインズ・ゲートなんかそうだよなぁ!?)ってのもあって、
俺、伏線に気づいてましたけど?
と謎のマウントをとりたいのか、日常パートのどうでもよさそうなシーンを何かの伏線だと勘繰るアニメ視聴者が増えている気がする(もちろん的中することもあるのだけど)。

日常の出来事のトークでこれらの用語が使われているのは、とどのつまり、メタ的な見方が増えはじめたからだ。

・メタ視点による攻略、すなわちワザップ

フラグというワードが使われているのが最たる証拠で、フラグはゲーム攻略時に使われていた言葉であり、アニメやドラマといった作品を視聴者は「攻略」しようとしているのだ。

…いや、別に攻略したい訳じゃないと思う。
楽しみ方の一つに「作品の示唆する謎を自分で考えて答えを見つけたい」というのが追加されただけだと思う。

謎、つまり分からないものを知りたいと思うのは自然なことである。
けものフレンズが視聴者を惹き付けた要素の一つが「やさしいせかい」の物語の裏で画面上に謎(不穏な要素)がちりばめられていた、というのがある。

フレンズたちの暖かい交流の裏で、人間の文明が滅びているのでは?と匂わせる要素(例:手入れされていないパークの施設等)が見えるのだ。

・人は余白にアートを見出す

人は見えないところに何かを見いだしたりする。
凡庸な脚本家ほど客を信用できず全部を説明しようとしてくどくなったりつまらなくしてしまう(つまりぼくのことだ)。
意図的な余白があると、見た人は想像する余地ができ、そこを補完することで作り手と共犯関係を作れるのだ。
(中には作者の考え第一主義の人がいて、作者が描かなかったことはないものと扱うこともあるが、それはまあ受け手次第ということで)

とまあ、視聴者はメタ視点に立って作品を見ることがわりとスタンダードになっているのかもしれない。だからこそ作中でツッコまないことで視聴者にツッコませるネタを仕込むこともある。それはちがうか。

・ハッキング・トゥー・ザ・リアル

そういう意味で、今どきの人は現実の日常もメタ視しようとしてるのかもしれない。
ぼくたちが生きているこの「日常」は、
意外と謎が隠れていたりする。
大方の現象は科学や研究によって証明されている。
一方でいまだに科学をもってしても分からないことや現象も存在している。
人体も実はよく分からない器官や機能があったりする。

リアリティという基軸がある。
現実的に考えて、リアル(現実)が、というより整合性の話である。
ぼくらが生きる「日常」は「リアリティ」的に考えると混沌としている。
物語的に見ると「現実」は伏線も何もなく、事態・事象は唐突に起こる。
そこに因果関係はあまり関係ない。現状がそうだ。
藤子・F・不二雄の短編「ある日……」みたいだ。

・複雑なものを単純にすることは、含まれる要素をそぎ落とすことでもある

話があっちこっちに飛ぶけれど(いつものことだけど)、
ここ数年、複雑なことをシンプルに説明するテレビ番組が増えた気がする。
本当かどうかわからないけど、放送・広告業界には「作品を作るときは小学生にもわかるような内容にしろ」という格言があるんだとか。
テレビ番組などはいろいろな人が見ることが想定されるので、
見た人に差しさわりのないように内容を調整するらしい。

でも、バラエティー番組特有の「ここ笑いどころですよ!」みたいな演出はちょっと思うところがある。個人の感想だけど。
あまりにも説明的な笑いはなんだか好きじゃない。マジに好みの話だ。

・客観視で、切り離せ

長々と伏線がフラグが、という話をしてきて何が言いたいかというと、こういうことになる。
人々はメタ視点に立つことで理不尽な「現実」から乖離しようとしているのではないだろうか。(相変わらず日本語が不自由で済まないと思う。)
メタ視点に立つ、ということは自分の行動を客観視するということである。

感情に振り回されることなく冷静に物事を判断するうえで大事なのは、
目の前で起こった自他の行動・現象を客観的に分析することで
問題の本質・原因を見極めることである。

最近の主流(?)な考え方として、
負の感情の原因は「思い込み」が起点だとされている。
バイアスや偏見、間違った情報によって「思い込み」が発生し、
不要なトラブルを招いたりするのだ。

そこで認知行動療法といって、自分のした行動、事実、そのときに思ったことなどを書き起こして、第三者から助言を受けつつ理解していくやり方を用いて客観視したりするのである。
自分の行動と感情を切り離すことで一段階冷静に物事を見ることができるのである。

冷静に判断するために感情を切り離すことは責められたことではない。
逆に感情論で何でも決められたらほとんどの人は断罪されてしまうだろう。
無意味に感情に振り回されないためには、
自分と強い感情を切り離すことも大事である。

・一億総物語化社会

話を戻すと、伏線回収だとかフラグだといった言葉で自分を振り返る話術は、感情を動かされた自身の経験を客観的にみるための要素である。
話し手のなかでその話を「物語化」することでそのときの感情に振り回されないで客観視するための処世術なのかもしれない。

相変わらず雑な結論だなぁ。

まあ、ぼくもこうしてnoteに文章を書くことで自分の気持ちを整理することができるなぁ、と思ってみたり。
本来、こういうことは大学ノートや、それこそチラシの裏にでも書いとけって話だが、そこは言いっこなしで。
ぼくとて現代っ子、承認欲求が強いのだ。


・おまけ

すごくどうでもいいけど、最近放送部のラノベを書こうかな、などと考えている。オタク界隈だと体育祭の実況役的イメージが強い放送部の、大会、活動にフォーカスした方向の。

ちなみに先駆者はいるようである。が、マイナーだし、そもそも読んだことがない。「オタクな放送部員が~」という点がありきたりだったり、放送部である必然性があまり感じられないのかもしれない。それを言っちゃおしまいだろうけど。
カナタに届け 沢金高校放送部 (一迅社文庫) 西村 悠 https://www.amazon.co.jp/dp/4758042039/ref=cm_sw_r_tw_dp_x_iNETFb30CQCZQ @amazonJPより

レビューはよさそうである。知らんけど。

まっすぐ息をすって。~朝霞北高校放送部~ (1) (裏少年サンデーコミックス) 竹内 じゅんや https://www.amazon.co.jp/dp/409127594X/ref=cm_sw_r_tw_dp_x_2SETFbNXM0Y5J @amazonJPより

こちらは漫画でがっつりNコンを目指す話。二つレビューがあって星5と星1と両極端である。信用できる(謎理論)。

ちなみに放送部ものだと一般文芸では『告白』『白雪姫殺人事件』で有名な作家湊かなえが書いた『ブロードキャスト』という小説がある。
こちらはオススメ。(個人的な感想だが上級生と下級生の対立シーンは、どちらかというと吹奏楽部っぽいな、と思ったり)

ブロードキャスト 湊 かなえ https://www.amazon.co.jp/dp/4041054907/ref=cm_sw_r_tw_dp_x_CZETFbM09GYG8 @amazonJPより

ラノベ、と書いたがWEB小説でいいかな、という気がする。
それこそカクヨムかnoteか。

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