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胎児と鼓動を合わせる~絶対安静の二日間~

2016年12月18日

ずっと寝ていました。

17日深夜に多量に出血して、翌朝、救急車で大学病院に移送され、診察やら一通りの入院準備が整うと、夫は一度自宅に帰っていきました。

「疲れただろうから、寝なよ」

と言われたけど、目が冴えて眠れそうにありませんでした。でも夫がいなくなると一気に眠気がきて、その日はほとんど寝て過ごしました。


思えばこの日は、結婚6周年の記念日でした。


2016年12月19日

病院のベッドに横たわっていました。

救急車に同乗してくれた大学病院のМ先生は、赤ちゃんに一日でも長くお腹にいてもらいたいから、とにかく安静でお願いね、と言われたけど、本当にその言葉どおり、身体を斜め40度以上上げることすら許されませんでした。

横になりながら、いじいじと携帯を構うことくらい。

それも目が疲れるので、あまり長くはせず、ただただぼんやりと、病室の天井や壁を見つめていました。

大学病院の個室は、こども病院に比べると狭く、古く、寂しい感じがしました。

壁に穴が開いているのを、かわいいシールで隠してありました。

ベットの横の棚には、先日、義理の姉が家族ディズニーランドに行った時にお土産でくれた、プーさんの置物を飾りました。

それを見ると、今の自分が置かれた状況から、普段の変わり映えのない、物につまずいて文句を言えるくらい、平穏な日常にいるような気分になれました。

トイレにも行けないことが分かると、愕然としました。

食事もほとんど喉を通りませんでした。

また多量に出血してしまうのではないかと思うと、とにかく体を動かすことが不安で、食べたり飲んだりして、体に影響を与えるのも不安でした。

それでもお腹がすいてきた夕食時、看護師さんが

「お昼もほとんど食べてないから、少しでも食べて」

と持ってきてくれた夕飯は、、、カレーライス。

体を起こせないのに、カレーって。。。

こぼさないようにゆっくりスプーンですくって持ち上げたけど、、、

ダメだ。食べられない。。。

泣く泣く断念しました。

そして日曜日だったこの日も、主人がお見舞いに来てくれました。


娘が生まれる前日でした。

これまでの経過はこちらです。




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