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ローグライク(仮)と持病について

実はぼくは双極性障害といういわゆる躁うつ病を患っているのだが、それがここ最近強い鬱に転じてしまい今日は何もやる気が起きず、昨日は朝方まで眠れなかった。ちなみに今日の進捗はトップ絵のビューワー改善。1フレームごとに分けて表示する機能と再生スピードを変化させることで編集のしやすさがうんと変わった。

病気の話になるが、初診は2011年で症状が重くなったのは遺産相続による揉め事が原因で去年の4月頃から。7月から今年の4月まで休職をしていた。復帰後はリワークという形で仕事をさせてもらっているが、仕事に行けない日も多い。

原因自体が消えたことと薬のおかげで急に泣きわめいたり手や口が震えて止まらないといった症状はなくなり波も少し落ち着いているのだが、まだまだ軽躁と鬱を行ったり来たりしていて親知らず抜歯時の炎症による入院・退院後にすぐに鬱転してから自律神経が乱れて睡眠障害や動悸息切れ、無気力などが続いている。それでもこのプロジェクトは毎日何かしらの進捗を出してきた。それには訳がある。

プロジェクトへのモチベーション

同僚からすれば、会社にも来ずに自分の趣味のプロジェクトを進めているのはけしからん事だと思われているだろう。でも怪我や高熱で仕事に行けないわけではなく無気力や睡眠障害、動悸息切れなどが理由で休んでいるのだ。家にいる時間はなにか症状を誤魔化したくなる。それが気が晴れるようなことなら尚更良い。出かける気力は無いにしろ、ゲームをプレイしたり本を読んだりネットを見たりはできる。遊んで気晴らしするのだ。これは医師からも言われており、塞ぎ込まずに散歩や運動、それができなくても布団にくるまって寝て過ごすのではなく起き上がって活動をすることを指導されている。ぼくにとっては今趣味のこのプロジェクトの作業をするのは楽しいことで、気晴らしになっているのだ。

それでもやる気が出ないときもある。作りたいものが見えないときや、病状が悪化しているとき、深刻なバグに遭遇した時、いろんなときにやる気が出なくなる。それでも続けられている理由は2つ。どちらもプロジェクト発足の理由にある。

プロジェクトの発足理由

多様な生き方
このローグライク(仮)というゲームのプロジェクトが発足したのは復職した4月から3ヶ月たった7月だ。復職したときはやる気が満ち溢れていた。病気に勝ったんだと思っていた。しかし実際の仕事は以前できていた1%以下しかできなくなっていた。だから仕事が思うようにできない自分に対して不安が芽生え、技術力や仕事の力量を高めるためにプロジェクトを発足させた。障害が理由で自立できていない自分に対しての不安を解消するためだ。そして製品として販売することを目標に設定したのは、自立のためだった。会社という温床で病気を言い訳に給料泥棒をすることが嫌だったからだ。仕事の調子が取り戻せれば会社に役立つ人材になれるし、そして1から作り上げ製品として世に出だせるゲームを作ることができれば、多くは語らないが今後の人生のリスクも大きく下がると思ったからだ。病気と一生付き合っていくかもしれないのだから多様な自分を想像し、自立できる未来を見据えたため発足した。

がむしゃらな自分
もうひとつは若い世代の同僚たちを見てだ。ぼくは32歳で業界も10年。でも10歳くらい下の人たちががむしゃらに創作活動をしていて、でも途中で投げ出さずきちんと成果を上げていて、またしっかりした考えを持っている。彼らが自分の10年前にやっていたことを思い出させてもらったからだ。10年前にぼくがやっていたのは就職した前後あたりのこと。確か初出勤の前日にプログラムを公開した。遺伝的アルゴリズムを用いた人工生命による進化で繁栄・衰退していく様子を見ることができるものだった。リチャード・ドーキンスの利己的な遺伝子という本に影響されて作ったプログラムだった。なんとなく作り始めてその日のうちにブログ記事を公開していた。これは自分が好きなことだったからできた。仕事でははじめて3Dプログラミングをやったり、Wii のゲーム開発での描画クオリティの改善、ネットワークプログラミングなどなど、仕事という環境がなければできなかったことをしただけだったが、少し前の自分が想像できなかったと思うようなことをやっていた。どんどん学習してぐんぐん成長していた。向こう見ずのがむしゃらだった。それがその時期にはピッタリの経験値稼ぎだった。
ではなぜ今32歳の自分がそれをできていないのか、ということに疑問を持った。生活の安定を求めて安牌を捨てていくだけの生き方をしようとしてはいないだろうか。最低限のお金か衣食住があれば生きていけると分かって、手を抜いてはいないだろうか。前述の発足理由ではリスクを下げるためだと語ったが、最低限の衣食住は最悪の事態でも、という修飾がつく。つまり最低限の衣食住はリスクだ。そして今その最低に向かう線路を走っているのではないかと思った。
ではどうやって最低限ではなく普通の生活に乗り換えができるのか考えた。これは前述の『仕事の調子が取り戻せる』ということに加え、初めて就職した21歳に戻ってみるのはどうだろうか、と思いついた。若い頃は何も分かってなくて、でも教えてもらえればできるようになるし、ぐんぐん成長していけた。でも今はそうではない。その違いは若さだけなのだろうか。
色々悩んだがこうじゃないかと思う答えを見つけた。それは、若い頃と同じ気持ちでがむしゃらに努力する、そして自分が自分にティーチングしもう一度成長して元に戻るのではないかとういこと。これが長く休職しリワークでもうまく成果が出せない自分への道標になった。
恥をさらけ出して分からないことは分からないと言い、できないことはできないと言う。でもそれが必要なことであれば努力して学ぶ。あとで黒歴史なんて言われるような恥ずかしい日記になってもいいからできる限り毎日更新する。大人びた態度で気取った32歳ではなく、あの頃と同じような自分になりたい。

この2つが発足の理由だ。

モチベーション

話をモチベーションに戻す。意図的にがむしゃらな自分になるのは難しい。でも自立した自分を想像するのは簡単だ。例えば以前のようにシニアプログラマとしてプロジェクトの管理ポジションで業務をしている自分や、GDC で行われる Game Developers Choice Awards で受賞しインディーゲーム開発者として活躍している自分だったり。それは難易に関係なくこれまで書いたとおりゲームを開発したりリリースすることで到達できる可能性を持っている。そして何もしないままだとお先真っ暗な人生だということも簡単に想像できる。このプロジェクトを進めている間に、これは生きていくための活動なのだと考えるようになった。暗い人生の向きを明るく変えるためなら、がむしゃらになれるのだ。

文章が長くなってしまったが、文字に起こすと考えがまとまったり矛盾が見つかったりして良いなと思った。そして今日も恥をひとつさらけ出すが、ぼくは文章を組み立てるのが下手である。この記事では『それだけ』が伝わったのかもしれない。

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