[断片小説] 秘密の使者

人に読んでもらうためにではなく、自らの心の深淵にいくらかでも潜ってゆくために、仮染めの言葉を並べることが、そのときの彼には必要だった。

ジグソーパズルの無数のピースを勝手気ままに並べていけば、いずれ何かの形がそこに現れてくるはずだと、そのことだけを堅く信じることにして、無意識の底から浮かび上がってくる言の葉の切れ端とともに、ただただ両の親指を動かして、シリコンの小片の上にゼロとイチの不思議の呪文の連なりを一筆一筆刻もうと、腹の底から声を絞り出して、頭頂から吹き上げる噴水を幻視しながら、全身の筋肉から余分な緊張を払い捨てて張力の動的安定を図るために、脳と脊髄の上に生化学の信号を数珠つなぎに転がして、ぬば玉の暗闇の中を突っ走った。

彼は自分ではないものが自分の身ぬちに生まれいづる瞬間を待ちかねていた。

それがいつやってくるのかは分からなかったから、ひたすら待つしかなかった。

秘密の使者は結局やってこないのかも知れぬ。

けれども彼は、待って待って待ち抜くのだ。

#小説 #茫洋流浪

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