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#7 蚕が繭を紡ぐように

新聞に小説を連載している職業作家にでもなった気分で、文章を綴ってみる。

といっても実際に小説を書くわけではなくて、こうしてただの雑文を書くのだ。

無名の人間が書いた無明の雑文にどんな意味があるのかといえば、もちろんそこにはさしたる意味はない。

そもそも人が生きるということ自体にさしたる意味などないのだから、余計なことは考えるまでもないのであって。

ではここで、職業作家になった気分とは何のことを言っているのかといえば、自分の中に書こうという気分が充実していようがいまいが、とにかく毎日それなりに読める文章を書くという、そういう気持ちの持ち方の話なのです。

どうせ生きているのだから、楽しく毎日を暮らしたいというような欲は、誰にでもあるものでしょう。

けれどもあんまり欲の皮を突っ張らせてがつがつ生きたからといって、必ずしも幸せになれるものでもないし。

そもそも人生自体が低空飛行系のぼくのような人間は、世間さまの基準には合致しなくても、とにかくささやかな満足を心にもって生きていければそれで十分なのです。

これを読んでくださっている皆さんは、密かな野望を胸に秘めたり、ほんの小さな夢を心の片隅で温めていたり、あるいはとうに希望も未来も投げ捨てて、この地球と名づけられた水球のほんの薄皮のごときぺらぺらの居住可能平面の片隅に静かに腰を下ろして、すっかり悟りを決めていらっしゃる方もいらっしゃるかもしれません。

皆さんがふと人恋しくなった折りなどに、このさらさらとただ流れていくだけの小川のような文章が、少しばかりでもあなたの心を慰める助けにでもなれば、望外の喜びというものです。

……という具合に言の葉を紡いでみる。

無理のない範囲で、楽しめる範囲で、一歩を踏み出し、さらにもう一歩を踏み出す。

緊張が強くなりすぎないように気をつけながら、けれども自分を甘やかして、ふにゃふにゃな人生になってしまわないように、そこのところは用心深く。

職業がどうこうというよりは、生き方の問題なのだ。

現実にはだらだらと生きているだけの自分に、僅かばかりでも喝を入れてやるのだ。

誰か強烈な師匠でも現れて、どがんと大きな喝を入れてもらいたいところだが、そうそううまい話もないわけで。

自分で自分を叱咤激励して、とにもかくにも日々これ実践というわけでありまして。

蚕が繭を紡ぐように、日々文章を紡ぎたいわけでありまして。

それではみなさん、オーム・ナマ・シヴァーイ♬

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#随想詩 #短編小説 #エッセイ #コラム #望洋亭日乗

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