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19 窓際のマンゴー樹が育てる共感力の話

インドでは素焼きの器に油を入れて、そこに綿をよじった燈芯を立て、火をつけて神に捧げる。

よく使うのは直径3 - 4センチの小さなものだが、お寺などでは直径20センチに近いような大きいものも使っていることがある。

素焼きの器だから、何回かは繰り返し使うのだが、壊れないうちにその辺にうっちゃられていることも多い。

しばらく前にそんな器を拾ってきて、食べたあとのマンゴーの種をうちの奥さんが植えたものが、今は育って写真のような具合になっている。

表に出してよく日に当てたほうがよいのだが、朝早く猿が来ていたずらをすることがあるので、夜の間は部屋の中に入れて窓際の風通しのいいところに置いているのを、今朝写真に撮ってみた。
(写真右手をよく見ると、葉っぱがだらりと下がっているのは、ちょっと前に猿にいたずらされたせいなんです)

奥さんは動物も植物も好きで、どこに行ってもすぐ動物や子どもと仲良くなり、ちょっと時間と場所があれば植物を育て始める。

いわゆるグリーンフィンガーというやつだろう、よく観察してこまめに世話を焼くので、植物もすくすく育つのだ。

それに比べて、ぼくは生き物の世話というものができない。

相手は生きているのだから、いつでも心のどこかで気にかけておかなかったら、うっかり枯らしてしまったりということになる。

うっかりのとしべえには、植物も動物もまかせられないわけだ。

これに関連して奥さんによく文句を言われるのが、ぼくは人に対して気づかいができない、自分のことしか考えてなくて、人の気持ちを考えられないということである。

このことは言われてみると、まったくそうですね、としか言いようのない面もあって、自分は非人間的な発達障害系だなあと思ったりもするし、そこのところを共感力の欠如とか未発達というくくりで考えていたりもする。

けれども、今「生き物の世話をする」ということに関連してこれを考えていたら、一口に共感力とはいうが、少なくとも二つの軸が考えられることに気がついた。

一つは「世話をする」ということに関わる「いつでも相手のことを気に留めておく能力」である。

これについてはぼくの場合、大幅に欠如している。

もう一つはピンポイントで、自分の経験や聞いたり読んだりして知っていることから、「相手の気持ちが想像できて、自分の心も動く」という意味での共感力である。

こちらに関してはぼくも普通に持っているつもりだし、場合によっては平均より高いくらいかもしれない。

そして、この二つを分けて考えると、「世話をする能力」は女性のほうが一般的に強い気がするので、この点において世の男性諸君は、どうしても女性陣から
「男ってやつは本当に人の気持ちが分からない!」
と責められることになる運命を避けられないに違いない。
(もちろん、一部例外はあります)

「相手の気持ちを想像して、自分の気持ちが動く」ほうの共感力については、特に男女差があるというよりは、個人個人の個性と経験によるものが大きそうだ。

ぼくは母や父からあまり世話を受けず、放任的に育てられたので、その点が多数派の人たちとは感受性が異なり、共感力が発揮できる場面も異なっているようだ。そのため、どうしてこの気持ちが分からないのか、と言われて、奥さんからさらな文句を言われるの原因になってしまうのだが……。

書いている内容がやや愚痴っぽくなったが、これは決して愚痴として言っているわけではない。自分なりに事実を整理しているだけのことであって、奥さんに対する不満を述べているわけではないのだ。

女性はそういう文句を言うことで、溜まったガスを発散させたほうが楽になるということなのであって、別にぼくをいじめたくて言ってるわかではないとあうことも、ようやくこの年(あと2週ほどで57になります)になって分かってきたところなのです。

というわけで、朝起きたら窓際で風に当たっているマンゴーの木の鉢植えを、ベランダに出して朝の光に当て、植物をお世話することで共感力を養う修行中のわたくしなのでした。

てなわけで、みなさんナマステジーっ♬

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