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ナラヤン・パレスの庭園にて。あるいは、ささやかな復活の日│詩小説

さほど手入れのされていない
雑然とした内庭には
自発的に伸びる緑の命が
熱帯の陽光を謳歌していた

それでぼくは。

言葉を使って
言葉では届かないところへ
ひっそりとしっかりと
ひそめた眉の憂いが
まずはおおきく息をはくことによって
つぎにからだじゅうのよぶんなちからをぬくことによって
そしてあたまのてっぺんからししのゆびさきにいたるまで
いしきのしっとりとしたうるおいのこまやかなさざなみによって
ひたひたとおおしおのみちてゆくそのおさえようもないちからで
いつしかあらいきよめられ煤をはらわれ何処へともなく流され忘却の彼方へと置き忘れさられて

するときみはおわりのないなつやすみのけだるさのなかで
いくせんまんおくのたいようの焦がすほど焦がされるほどの冷酷さで刻印を押しつけてくるじりじりとした熱さに灼かれ恋い焦がれ身も心も焦げ果てた挙げ句に
うまれてはしにしんではうまれ生まれた瞬間に死んだかと思うと死んだ端からこの世に生まれ直した
数えようもなければおもいだしようもない初夏のあの日のウスバカゲロウのあまたの羽ばたきが天の竪琴を鳴らして
その繰り返しくりかえし繰り返してはただまた繰り返すだけのいのちのたびじの果ての果てのその先までも
またやってきてしまったのだ
これが連続活劇の最終回なのだ
いつかこの日が来ることを夢見ていたはずなのに
無限の未来が輝いていた子どもの時間も
狂おしい情念の奔流に苦しめられた青春という名を持つ時代も
世間に背を向けて孤高を気取った無頼徒食の歳月(としつき)も
今はもう幻灯機の映し出す閉じ込められた記憶の檻の金網の向こう側の手の届かない場所で
色褪せて形も溶けて電車に轢かれてぺっしゃんこ

にもかかわらず

ぴぴちぅいーぴぴちぅいー ちちちゅつつつち ほーお ほーお ほーお と鳥たちは鳴いて
暑い陽射しのトタン屋根のした上半身裸で屋外用のプラスチック椅子の上にしゃがみ込んだぼくに嘆きを捨ててこの世の秘密を綴れと密かな暗号でうながした

ああその秘密のことならね、ぼくも子どもの頃から気にかかっていたんですよ。
つまりね確かに秘密があるに違いないってぼくはずっと思っていたんです
きみにも分かるでしょう魂の居場所を見失っちゃった可哀想な人々は、この見せかけの世界の裏側に必ずあるはずの本当の世界へと通じる秘密の扉をいつだって探してるんですよ
そんな秘密の扉なんてあるわけないじゃないかって?
まあそうですね、これさえ知ってればきみも大金持ちになれるとかこうすればあなたも彼氏彼女がどんどんできるみたいな話とおんなじことで、誰でもいつでもどこででもこの呪文さえ唱えれば最高の幸せが実現するなんていうわけには残念ながらいきませんからね。
そうですその意味では秘密の扉なんてありゃあしないんだ。
ところがです、ここがおもしろいとこなんですが「どこにもない」という真実こそが月面宙返りでひっくり返っちまったならば「秘密の扉は至るところにある」という素晴らしき究極の真実が現れるって寸法なんですよ。
何を蒟蒻(こんにゃく)問答を言ってやがるんだとお思いでしょうがまさにそれです、この形を定められない蒟蒻問答こそが大乗仏教の禅味の粋(すい)なんですからまったくもってだいじょうぶ、常人には近寄りがたい数寄者の世界へと一つご一緒に入り込んでずずずいと歌舞いてみようじゃございませんか。

そしてきみは見るのだ。ほらまっすぐ10メートルほど先の、隣のお寺との境の壁際に草が生えている。何も知らない人にとってはただの雑草だ。でもあの葉っぱの形が遠目にもぼくには分かるよ。素晴らしい薬草なんだ。

でもその効能を聞いて知ったとしても、先入観に毒された人には麻薬にしか思えないんだから不思議なものだ。

酒だって煙草だって似たような薬物で使い方次第ではいい気晴らしにもなるけど、使いすぎれば体に毒だ。酒で身を滅ぼした先人は数しれず、煙草で命を落とした哀れな魂も草場の陰にごろごろ転がっているだろう。

そういうことを冷静に捉えられる人にとっては、このカンナビス・サッティバというインド原産の雑草もとても有用な薬用植物ということになる。

さあ、ここできみは見るのだ。

それが毒草なのか、薬草なのか、それともただの雑草でしかないのか、きみが智慧の眼を開いて、自分自身の叡智によって、ということはつまり常識という名の雑音、外側からいつの間にか取り込んでしまった外野の思考の枠組みを一旦取り払って、白紙に戻した意識にだけ訪れる神々の声を聴く空無の認識状態で、それを見なさい、森羅万象に現れる神々の姿を見るのです。

夕方の5時が近づき、陽射しはまだ暑いけれど、ほんのわずかだけれど橙色を帯びてきた。

暑い日に照らされてハイビスカスの葉が白く輝きそよ風に優しく枝を揺らしている。濃い緑の茂みに一つ、二つ、三つ四つ、八重で大振りの紅蓮の花が燃えている。

今では自然法則と呼ばれることになった神の息吹きが、きみにも見えることでしょう。

そして先ほどやってきた母猫が、初め人肌恋しくてぼくの膝の上に乗ったのですが、さすがに暑くて今は足元のタイル張りの床に体を伸ばして寝そべって、夕涼みを楽しみながらぼくたちにこの世の幸せを教えてくれているのです。

[2021-06-27 西インド・プシュカル]

※誤入力・誤校正は陳謝いたします。

☆あとがき

ようやく新しいsimを手に入れて、久しぶりの投稿です。

ちなみにナラヤン・パレスというのは今いる宿の名前で「ヴィシュヌ神の宮殿」くらいの意味です。

この続きはおまけということで、よろしければ投げ銭がてらお楽しみください。

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