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10 山内我乱洞とは誰か。あるいは、辻潤から坂口安吾、太宰治へと迷い道を往く。

おとといは辻潤のことを簡単に書きました。

翻訳者にして売文業、天狗になって仙人に成りそこねた辻は、敗戦の前年に新宿のアパートの一室で孤独死したのですが、それはむしろ即身成仏だったのだと考えたほうがいい、というような話です。

辻潤は尺八を吹きながらあちこちを放浪しては、友人知人の家に居候をしていたのですが、そのうちの一人に小田原の山内我乱洞がいます。

我乱洞は職業は看板屋なのですが、風流人でしたので、文人などとの交流も多く、無頼派の文士、坂口安吾もその一人です。

坂口は戦後に「堕落論」を書いて。日本に新しい秩序を生むためには、倫理的に堕落した、現実の自分を直視するところから始める必要がある由を述べました。

偏見を捨てて現実を直視するという点2おいて、これは辻とも重なる生き方だと思います。

小田原の我乱洞氏の家で、辻と坂口が出会ったかどうかもはっきりとはしないのですが、日本社会の多数派が作っていた主流の社会の端っこで、対抗文化的姿勢を持った人々がこうしてゆるくつながる関係性のあり方には、どうしても風通しが悪くなりがちで、淀んで濁りやすい最近の世相の空気をも一新してくれるような、清涼な一筋の小川のごとき貴重さを感じます。

というわけで、辻潤と坂口安吾の間にも接点が合ったのかなかったのか、本当のところは分からないのですから、そこからさらに太宰にまで線を伸ばそうとするのは、かなりの無理すじになります。

そこを強引につなぐための補助線が、辻と太宰の両方に見られる女性への渇望です。

厳しい世相のもと、しんどい生活の中で文章を書き続け、一方の辻は、大して人に知られることもなく終戦を待たずにこの世を去りました。

かたや太宰は、戦後になって「斜陽」というヒット作を物にして、作家としてはいよいよ脂の乗ってきた時期に、女性関係に絡め取られて、自死の憂き目に自らを落とし込んだのです。

老荘や仏教、ショーペンハウエルやシュティルナーの思想に親しみ、世俗と自我の超越を目指すように生きた辻と、自己の功名を第一とし、文学者としての大成のみを願ったかのような太宰は、それぞれの求める価値観としては180度反対を向いているとも言えましょうが、その目指すところに到達できない苦しみを、女性とのつき合いを通して解消しようとしてうまくいかなかったところは、二人の共通点と考えられます。

もちろん女性問題についても、淡々と多数の女性に関係を求め続けた辻と、数人の女性との間に確かなつながりを作ろうと足掻いた太宰では、その態度において大きな違いがあります。

けれども、成長過程で母親から十分な慈愛を受けられなかったであろう二人が、母性を投影する形で、女性関係に救いを求めざるを得なかったことは、この二人のみの問題ではなく、自己受容に失敗した多くの文学者、表現者、そして巷の我々のごとき一般人にとっても同様の、極めて普遍的な問題でありますから、山内我乱洞という市井の看板屋かつ風流人を接続点として、辻と太宰の生き方死に方を、陰陽絡み合う曼荼羅模様として書き記す試みには、読むに値するいくらかの趣きが生じるのではないかと想うのです。

こんなことを真面目くさった調子で書いていると辻潤からは、
「よくもまあながながと
ことや細かくつまんねえ屁理屈や
つまらん男と女がどうしたとかこうしたとか、
すべったとかひっくりかえったとか
凡そベラボーでちんぷでなさけなく
はては臍茶なもんやないか」
と一蹴されること間違いなしですが、今日も今日とて曇天の、明るい空を窓の外に見やりながら、天井扇のとろとろと部屋の空気を掻き回す下で、ベッドにごろりと寝転がり、へそならぬ電磁調理器で沸かしたしょうが紅茶を飲みながら、デジタル石版の画面を撫でては、我が心とこの世のすべての存在にいくばくかでも平穏をもたらそうと、ちょこまかゆらりとワル足掻きを続ける、北インドはヴィシュヌ神の聖地、ハリドワルの午後なのでした。

☆坂口安吾「真珠」は、日本の第二次世界大戦への参戦の日を描いた小品ですが、そこに件のガランドウ氏が登場しますので、興味のある方はぜひご一読くださいませ。

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