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[ネパール旅日記] お釈迦さまの生まれた土地にて

[今回の記事では、27年前のネパール・ルンビニを思い出して紹介します]

[カバー写真は宿のベランダから見た、麦畑の広がるのどかなルンビニの田園風景]

note のみなさん、お元気でお過ごしでしょうか。

ぼくは今、ネパールのルンビニという田舎街にいます。
ここは、お釈迦さまこと、ゴータマ・シッダルタさんの生誕の地で、日本の建築家、丹下健三氏の設計した聖地公園がででんと広がる観光地です。

ルンビニは、UNESCO の世界遺産にも指定されており、アジアの仏教国を中心に、世界各国から観光客が訪れる一大「観光都市」なのではありますが、いかんせんネパールという国は、政治的にも経済的にも厳しい状況にあり、日本の水準で考えたとき、決して快適な観光ができる場所ではありません。

乾季の今は、砂埃が舞い飛びますし、道端にはゴミが散乱しています。また、ゴミの収集などもありませんから、プラスチックも一緒に道端でゴミを燃やすので、いやなにおいの煙があちこちに漂います。

麦畑が広がり、芥子菜が実を結び、コリアンダーの白い花咲く、のんびりした田園地帯でもあるのですが、安宿に滞在していると、街なかの埃っぽさや、停電時の発電機のうるささが、つい気になってしまうかもしれません。

[ルンビニにつく前、バイラワの街のチャイ屋の風景。チャイはインド・ネパール式のミルクティーのこと]

ぼくがルンビニに初めて来たのは、1990年の2月のことで、もう27年も前のことになります。

その頃のルンビニには、まだ「街」はありませんでした。

公園の敷地はすでに存在し、いくつかのお寺もありましたし、丹下氏設計の土管型博物館も箱だけは立派に建っていたのですが、公園の整備もほとんど手つかずで、安宿の一つも存在しなかったのです。

今のルンビニの街が広がる場所には、土壁、草葺きの、小さくて本当に素朴な小屋が並んでいるだけで、日用品を売るような店すら見当たりませんでした。

そのときのぼくは、大学を卒業して勤めた会社を二年足らずでやめ、はじめての海外旅行先にネパールを選んでひと月の旅をしているところでした。

カトマンズとポカラという、ネパールの中では大きな二つの街を経て、ルンビニにたどり着いたぼくの目に、その粗末な小屋が立ち並ぶ集落は、なんとも物悲しいものに写り、いわく言いがたいカルチャーショックを覚えたのを思い出します。

物質的な豊かさが、直接は幸せにつながらないということは、まだ三十前だった当時のぼくにも、頭では理解できていましたが、それまで知ることのなかった「貧しさ」を目の当たりにして、人間存在の悲哀というものを通して、幸せという言葉の意味を、断片的ではあったにせよ突きつけられたことは、ぼくの人生の転回点の大きなひとコマとして、今も思い返されるのです。

  *  *  *

ところでぼくは、かつての東京オリンピックの頃、東京の世田谷で生まれて育った東京原住民です。

家には仏壇はありましたが神棚はなく、特別な信仰心など持たずに育ちました。

そんなことですから、ルンビニに行った頃のぼくは、宗教とか信仰とかいうものの意味など何も知らず、そうしたものを非科学的な迷信などといっしょくたにして、どこかばかにしているような、いい加減に合理主義的な理系崩れの若者だったのです。

さて、ゴータマ・シッダルタさんの生誕地であるルンビニは、シッダルタのお母さんのマヤ・デヴィさんをまつるお寺が中心となっています。

その近くに、ネパール寺とチベット寺があり、当時は日本寺がもうひとつありました。

このお寺に、般若心経がガラスのケースに入れて展示してあり、日本人にもおなじみの漢訳の文章に加え、日本語の訳が添えられてありました。

実家は曹洞宗でしたから、法事のときにお坊さんが般若心経を教えてくれて、短い中に何か立派なことが書いてあるらしいことは知っていました。

また、高校の倫理・社会の時間に、仏教の教えは「苦集滅道」で、その意味するところが「この世のことはすべて苦しいことばかりだが、八つの正しい道を守ることで、心の平安に達することができる」というものであることも知識としては理解していました。

ところが、ルンビニの日本寺の般若心経の日本語訳を改めて読むと、そこには「苦集滅道」などない、と書いてあるではありませんか。

シッダルタさんが悟りを開いて説いた、「尊い」真理であるはずの「苦集滅道」をなきものにしてしまうのですから、大乗仏教というものは、なんともラディカルな立場です。

それまで「自分は仏教徒である」などとは、考えたこともなかったぼくですが、このラディカルさを知ったとき、「自分はブッディストと名乗ることにしても悪くないな」と考えたものです。

[公園内には、巨大な赤ちゃん仏陀の像が金色に輝く。とにかくただっぴろい公園です]

今から27年前のルンビニには安宿の一軒もなかった、と書きました。

当時から法華クラブという日本のホテルがあって、一泊一万円くらい出せば立派な宿に泊まれたのですが、バックパックを背負って初めての海外一人旅をしていたぼくが泊まれる宿ではありません。

「地球の歩き方」を見ると、巡礼宿があってお布施をすれば泊まることができる、と書いてあったので、そこに二泊させてもらいました。お布施は当時の日本円で千円くらい分をしたような気がします。(なお、この巡礼宿は今はありません)

巡礼宿は、二階建てのコンクリとレンガの建物で、二階の部屋の床板の隙間からは、一階の部屋がのぞけましたが、雨風はしのげますし、むしろと敷き布団を借りたような気がしますが、寝袋のひとつ持っていなくても、問題なく眠れる環境でした。

いえ、「問題なく」どころではなく、当時のルンビニは、とても静かで、まったくのんびりとした、本当に落ち着いた雰囲気の場所でしたので、それまで初めての一人旅で緊張して眠りが浅かったに違いないぼくは、ルンビニのその素朴な巡礼宿で、旅に出て以来、初めてぐっすりと眠ることができ、ほっと一息つくことができたのでした。

  *  *  *

二十代の後半に、そんな旅をしていたぼくの、四半世紀後の今のルンビニについては、また記事を改めて書くことにします。

てなことで、みなさん、またねー。

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