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#4 満月の夜、森の湖で

心の奥深くに、静かに潜っていく。

森の中の暗く冷ややかな水を湛えた、深い湖にそっと足を入れ、その水の冷たさに震えながらも、思い切ってぐっと身を沈め、そして深く潜る。

一かき一かき、蒼い水の底へ、心の奥深く、もうすっかり忘れてしまって、色褪せた思い出が眠る、静けさそのものの湖底へと、そう、一かき一かき、一瞬一瞬の体の表面を過ぎゆく水の肌触りを感じながら、息は止めたまま、そして体中の酸素が脳に集中してゆく、するともはや君は陸の生き物ではなく、水棲の獣となってしなやかに、深く、どこまでも深く、光も届かないぬばたまの暗闇の世界へと降りてゆく、力強く尾を上下に振って一人降りてゆく、君一人だけの静かな湖底の世界を悠々と泳ぎ、そうして何かを待っている、何かが起こるのを、退屈もせず、焦りもせず、ただ悠々と泳いで、ただただ一人泳いで、そして君は気づく、自分が湖底の王者でることに、そうだ、君はこの暗闇のしんと静まり返った水底(みなぞこ)の世界の支配者なのだ、だからいつまでも好きなだけ泳いでいればいいのだ、悠々と、時の流れも忘れ、他者の存在も忘れ、なぜならそもそも他者などというものは幻想だったのだから、すべてはお前が生み出した一人芝居の幻の夢舞台だったのだ、それをとうとう思い出したときお前は、湖底の深い闇の中に、一筋の光が差し込むのを目の当たりにする、月だ、外の世界ではいつの間にか満月が中天に昇り、森の樹冠の隙間からその一条の光線が、どこまでも透き通り、永遠に澄み渡る、この湖の水晶のごとく静謐(せいひつ)な水塊を突き抜けて、今、お前の魂を貫くのだ、月の光が、お前の心臓が射抜かれるのだ、蒼い絶対零度の光に、脊髄をびりびりと冷たい電流が走り回る、そして頭蓋の中、色とりどりの曼珠沙華が舞って踊って、曼荼羅となり万華鏡となり、お前のちっぽけな自我を飲み込んで、宇宙の果てまでも拡がってゆく、すると宇宙大にまで大きくなったお前の頭骨の額に、もう一つの目が開き、頭頂からは命の奔流が間欠泉となって、どっ、どどっ、どどどっ、どどおっと吹き上げ、降り注ぐのだ。

終わりのない久遠の時の、狂気のごとき怒涛の流れも、気がつくといつの間にか穏やかさを取り戻して、君は湖底近くの水中で、大の字になって仰向けに、ゆらゆらと漂っている自分に気づく。

全身から余分な力が抜け切って、君の体は生まれたばかりの自由そのものの柔らかさ取り戻している。

月明りに導かれて、少しずつ、そう、ほんの少しずつ、君の体は浮き上がり始める。

大の字に開かれていた君の体は、手足を体の前に丸まらせてゆき、新しく生まれ変わるときに備え始める。

君は顔を上に向けて、静かにゆっくりと浮き上がってゆく、ほら、もう手の届きそうなところまで水面が迫っている、ゆらりゆらりと波打つ水面をちらちらと貫いて、満月の光線が目に沁みる。

ついに君は湖面に浮かび、また大の字に手足を伸ばして、伸びをして、大きく息を吸い込んで、森の湿った腐葉土の香りを嗅ぎながら、水棲の獣だったときの記憶を懐かしく思い出す。

月は樹冠の小さな隙間を通り越し、湖には闇が戻った。

朝まではまだ間がある。

君は新しい人生の始まりに、未知の不安を感じてもいたが、心の底には静やかな期待が満ちているのを感じた。

そして不安も期待もしっかりと味わいながら、ゆらり、ゆらゆらと漆黒の湖面を漂い続けたのだ。

#随想詩 #短編小説 #エッセイ #コラム #望洋亭日乗

☆あとがき

日本時間ではもう日付が変わっていると思いますが、インドは3時間半遅れなので、まだ22日の日曜です。

インドの暦では満月をプルニマといい、今日は良い月でした。

今日の文章は途中切れ目がないもので、ちょっと読みにくかったかもしれませんが、湧き上がってくるままに言葉を綴ってみました。

お楽しみいただけていましたならば幸いです。

てなわけでみなさん、ナマステジーっ♬

※誤字・打ち間違い陳謝。ご指摘歓迎。サポートも歓迎いたします。

いつもサポートありがとうございます。みなさんの100円のサポートによって、こちらインドでは約2kgのバナナを買うことができます。これは絶滅危惧種としべえザウルス1匹を2-3日養うことができる量になります。缶コーヒーひと缶を飲んだつもりになって、ぜひともサポートをご検討ください♬