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書評:「家族の幸せ」の経済学【山口慎太郎】、結婚不要社会【山田昌弘】

15年間続いた私の結婚は最終的に失敗に終わった。このことを総括する必要があると思っている。それにあたっては、まずはもちろん個別の案件としての切り口で分析し、学びを抽出することは当然行うべきではある。しかしながら、そもそも世の中の結婚は、集合としてどのような態様なのであって、どのような傾向にあるのか、どのような力学がそこに作用しているのかというような、より一般化された形での結婚の理解も必要なのではないかと思っていた。もう少し簡単にいえば、私は別れてしまったが、それはどれほど普通なことなのか、それともかなり特殊なことなのか、さらには別れるのとそうでないのとではこの先の自分たちのQoLのようなものがどのように変わってゆくと言えそうなのか、そういうことを理解したいと思って、いささか軽薄ながら新書を手に取ってみたわけである。それでも、こういうことに関して結論めいたことを言うためには新書一冊では軽すぎるし、バイアスがかかりすぎると思って、学者肌が書いたような本を二冊くらい読んでみようかと思ってKindleにダウンロードして、しばらく前から摘まみ読みしていたのを、今回の出張の飛行機の中で一気に読み切ったということだ。人生の行く末を予想するにあたって、一般的にはどういうことが言われていて、自分たちはそこからどの程度逸脱しているのか、一般的に言われていることを自分たちの未来に外挿するとどういうことが言えそうなのか、というアプローチは、未来の予測を行う上では極めて有効である。ここでいう「一般的に言われていること」は「モデル」、「逸脱」は「エラー」と言い換えても差し支えない。

先に読んだ「「家族の幸せ」の経済学」の方は、論旨の立て方がまずはデータを持ち出して「これがデータです。ひとまずこれは否定できないよね」っていうところから、持論を組み立ててゆくやり方になっていて、もちろん考え方は間違っていない。但し、こういうのはサイエンティストに言わせれば、ただでさえエビデンスの質が頑健でない社会科学においては「自分の都合のいいような文献を拾い集めてきて自説の正しさを主張する」ということができてしまうだろうなとは思わないでもない。もちろんそれを言ったらそもそもどんな社会科学の論文も読めなくなってしまうわけだが、まあとにかく鵜呑みにしてはいけない、というくらいの冷めた視点が必要である。
二冊目の方はその傾向はますます顕著で、というか山田という人はこの分野の第一人者なのか、もう言いたいことは決まっていてとにかくそれと同じことをここ20年以上繰り返し言ってきていたのが、まあ割と自分が予想したとおりになった(と少なくとも自分では思っている)ので、何というか、随所で筆が滑っていてこれはこれで情熱があって面白いと思った。とにかくこれは繰り返しになるのだが、「日本人はこうで、西洋人はこう」みたいな論旨は比較文化論的な丁寧な研究が必要な分野であるはずなのだが、もう情熱がありすぎてその辺の細かいところをあまり詰めないでズルっと上滑りしてしまっているのである。そうはいっても、この二冊の本から抽出された、いわば結婚のエッセンスみたいなものをいくつかまとめてみたいと思う。

1. 主に男性側所得の低下という理由によって、日本においては結婚が著しく困難になりつつある。

これは両方の本を通底している思想で、要するに男の甲斐性がなくなっているために専業主婦になれる女性の数が極端に減っている、あるいは女性にとって経済的な結合のメリットが結婚によるデメリットに見合わなくなってきているということの結果として独身が選ばれるようである。実際に、結婚の直接の原因が「愛情がなくなった」というような理由よりも、「リストラ」や「事業の失敗」などという場合が多いのだということを山田は指摘しており、やはり結婚は経済的なメリットを追求するということがその大きな目的の一部になっているようである。
これは自分の例に当てはめても理解できることではある。私は2015年に前職の一部上場企業を退職し、起業していて、その3年半後に別れることとなった。相手にとっても、一部上場企業に勤めている私は経済的に安定しているように見えたが、起業したてで経済基盤が安定しない私に興味を失ったということは大いにありうることではある。逆に言うと、既婚者は起業しにくいということも言えるのかもしれない。私は起業した時点で別れることを覚悟すべきだったのだろう。

2. 結婚相手はお互いに似た者同士になる傾向がある。

ようするに、結婚は学歴や収入、社会的ステータスにおいて似たようなもの同士が結婚する可能性があるということのようである。つまり、エリートはエリートどうし、中流は中流同士で結婚するということだそうである。
逆に言うと、結婚当初は似たような学歴、収入であっても、日本の社会においては男性の方がより収入が多くなりがちであるために結婚当初に保たれていたバランスのようなものが崩れて行ってしまうことが、何らかの離婚の原因になっている可能性がある、という気がしないでもない。そうだとすると、私の例はそれにぴったり当てはまることになる。

3. 恋愛と経済との矛盾が結婚を難しくする。

1.で述べたように、結婚においてはもはや経済的な条件というのは切り離せない状況になっているにもかかわらず「好きな相手が経済的にふさわしい相手とは限らない」「経済的にふさわしい相手を好きになるとは限らない」という大きな矛盾が生じているために、経済と恋愛との結合としての日本の結婚が今や著しく困難なものになってしまっているということは、主に山田の方が主張しており、山口もそれと矛盾することは言っていない。これは私の事情に当てはめるのは結構難しいのだが、2も含めて話すとすると、結婚からメリットを得続けるための自分たちのありようのようなものがかなり狭い範囲に設定されていて、当初はそこになんとか収まっていても、長い年月をかけて自分たちの関係が変化していってしまうと、その枠の中に納まりきれなくなって、結婚という制度に収まっていることがかえってデメリットになってしまうのではないかということは言えそうである。例えば、私たちが結婚したのは私が30歳、相手が24歳のときであるが、結婚した時には成立していた恋愛と経済との絶妙なバランスが、15年間も経つと状況がいろいろ変わってきてしまって(例えば子供を授かる確率が著しく下がってしまうなど)もはや結婚していることにメリットが無いように感じてしまう、ということなのかと思う。

この本を読む前までに私が思っていた結婚に関する考えは、すなわち結婚とは子供を作る装置なのであって、結婚してから子供が大学を卒業するまでの間の25年から30年間に、結婚をする両者の関係を固定するための社会的制度であるというものである。今回これらの親書を読んで、その考えがより補強されたような気がする。そして、子供を作らずにセックスレスになってしまった我々などは、実態としてはとても危うい綱渡り状態の関係であったにもかかわらず、私がそのことに気付けずにいたということが別れることになった最大の原因なのだろうということを、現時点ではとりあえずの結論として置いておこうと思う。こうやって文章として今の考えを整理しておくことは、次のステップを考察する上でも極めて重要であることは言うまでもない。

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