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個人ビジネスを啓蒙しつづけている理由


お疲れ様です。

勉強すればするほどに自分が何も知らないことを痛感し
経験すればするほどに自分が万能ではないことを痛感し
自分って本当に人間として欠陥があるしダメダメだなぁと感じているとしぞーです。

でもそう認められれば認められるほど生きるのが楽になる不思議。
ダメダメな自分がわりと好きです。


さて。


僕はかれこれ10年ぐらい、同じような情報発信をしています。

もともと技術よりもマインド寄りの発信が多い類の人間だったので、本当に同じようなことをずっと発信しつづけています(よく飽きないと思う)

10年前のメルマガとか読み返すと(もちろん多少の価値観は違っているが)大体同じようなことを主張していて、良くも悪くも変わっていないんだなぁと実感しますね。

その中でもずっと主張しつづけているのが

・個人でビジネスをするのは至高である
・これからは個人の時代である
・だから興味があればどんどん飛び込もう(で、合わなかったらやめりゃ良い)

ということなんですね。


僕自身の考えは前述のようにほとんど変わっていませんが、むしろ世の中が変わってきたために、より『個人でビジネスをすること』の重要性が高まっているのではないかなと感じています。


ということで、今回は改めて『個人でビジネスをすること』を僕がオススメしつづける理由について書いてみようと思います。


いやもちろん「仕事だから」ってのもありますよ。
この情報発信は間違いなく僕の食い扶持の一つですし、「仕事だから」ってモチベーションで発信をつづけられているのも否定できません。

ただ、これまでの色々な経験を総合すると、別に個人で生きていくのに選べる仕事はいっぱいあるんですよ。
その中には当然こうした発信よりも楽に収益を生み出せるビジネスだってあります。でも、それを選ばずに(好みじゃないってのもあるが)あえてこの発信を続けているみたいなところがあるわけです。

ビジネスである程度安定してくると、誰しもがそのビジネスに意味だったり大義を探したがります。
僕の場合はこの発信に自分が納得できる意味があったということです。


だから今回の記事で書きたいのは

『個人でビジネスをすること』を僕がオススメしつづける理由

でもあるし

僕がこの発信を続けている理由

でもあるのかもしれません。


話を戻します。


『個人でビジネスをすること』
そのメリットについて書いていきたいんですけど、一般的に良く言われるような

収入が青天井!
自由な時間!
海外でノマド生活!

的な要素は含みません。
もちろんそういう要素もあるにはあるんですけど、それは個人ビジネスの本質ではないと思っているからです。
もう少し内省的な部分に立ち入って分析をしてみたいと思います。


それでは本編にまいりましょう!


音声でも喋りました。


Twitterやってます。


ブログもやってます。



キーワードは【変化】


僕は、今の時代を生き抜くためには【変化】を意識しないといけないと思っています。

とても早いスピードで環境が移り変わって、それと共に勝者と敗者(みたいなもの)がコロコロ立場を変える。

変化に着いていくためのスピード感。
または変化に惑わされない精神力。

僕たちを取り巻く環境には常に【変化】という重要なパラメーターが存在していて、その【変化】とどう付き合うか?どう付き合えるのか?が僕らに求められているすごく大事なことだと思うんですね。

で、個人でビジネスをすると、その【変化】に対して非常に良好な関係を築くことができるのですね。これこそが『個人でビジネスをすること』の一番本質的なメリットだと感じています。

では、【変化】に対する有効な関係を築く要素とは具体的にはどんなものでしょうか?ここでは3つに絞って検討してみたいと思います。



①人間本来のあるべき姿に近い


以前の記事でも触れましたが、僕の思想の根底には『人間本来のあるべき姿があって、それを考慮して人生設計をすべき』というものがあります。

その思想から、太陽が沈んでいる時間は活動を控え、過剰な糖質を取らないようにして、電子デバイスとの付き合い方も極力消極的な姿勢を保っています。

そんなベクトルで考えたときに個人の逆、【社会】とか【組織】ってある意味一定の無理を抱えていると感じるんですよね。

イギリスの人類学者であるロビン・ダンバーの研究によると、人間が協調し合える集団の限界を150人だとされます。これは、歴史上のさまざまな集団を調べた歴史社会学的観点からの主張と、脳(新皮質)のサイズと霊長類の集団サイズとの相関から求められた脳神経科学からの主張を双方含むものでした。
この「人間が安定的な社会関係を維持できるとされる人数の認知的な上限」を【ダンバー数】と呼びます。

1993年に発表されたこの研究はとても有名になりましたが、同時に様々な反論や反証研究が行われ、今では「そんなこともない」という意見や「脳のサイズ的に500人までいける」みたいな結果も現れています。

どちらの主張が正しいのかはまだはっきりしていませんが、僕自身はダンバーの主張する数字が直感的にしっくりくる気がしています。

それが150人かどうかは置いておいて、少なくとも人間にとって、関係のある人数が増えれば増えるほどストレスの種は大きくなり、コントロールも困難になるのは否定し難い事実でしょう。

ちょっと前の人間は、そこまで大きな集団を作りません(れません)でした。ちょっとしたコロニー的な集団で生活をやりくりしていたわけですね。そこに技術が入ってきたことによって『大きな集団で暮らせるようになってしまった』わけです。

もちろん、大きな集団を作れるようになったことで我々は多大な恩恵を受けました。だからその選択が間違いだったとは思いません。しかしそこに嵌め込まれた人間は、集団が小さかった頃に比べて明らかに強いストレスと自己肯定感の低下を感じているのではないか?と思うのです。

『組織に属す』というのはまさにその写し鏡です。
自分がコントロールできない『何か』に組み込まれるように吸収されて、それが自分の意思なのか『何か』の意思なのかがわからないまま日々人生を消費していく。

当然その中でも自己肯定感を強く持ち能動的に動ける人もいるのですが、その『組み込まれ感』に不満を抱える人は多いのではないでしょうか?

この尺度をもう少し大きくすると【社会】に関しても同じことが言えます。

(僕自身が集団に対して極端に忌避感を感じることから、多少偏った主張になっていることは否めません)


つまり、人間本来的には個は個でいたほうが自然だし、集団を作るとしても大きくしすぎないほうが自然だと思うのです。

仮にその状態が人間の遺伝子レベルで【自然】なのだとしたら、その状態でいた方がパフォーマンスが向上するし、ストレスも少なくなるはずですよね。

そして、個人ビジネスはまさにそのような要素を持っています。

基本的に主体は自分自身であり、その補助をするために必要があれば小さな集団を構築する。まさに人類が本来築いてきたような生活です。
僕自身はこうした生活が最高だと思っていて、それを実現させてくれた個人のビジネスに大変感謝をしています。

もちろん、個人で起業して事業拡大をし【組織】を目指す人もいますから、それを否定するものではありません。同じ人間でも物事に対する適性や価値観の違いがあるわけで『どの程度個を求めるか?』にも程度があって良いはずですから。


そして、そのように個人(もしくは小規模集団)で活動をしていると【変化】に強くなります。個人(もしくは小規模集団)の活動は比較的コントロール可能ですし、それにフットワークも軽いです。

また、個人(もしくは小規模集団)の維持コストは大きな集団に比べて大変小さいので、仮に変化に着いていかなくても生活を維持することが可能だったりします。

これらの要素は個人でビジネスをするということの非常に大きなメリットだと感じます。




②とりうる選択肢の数


『選択肢が多い』ことが幸福の尺度である。
という主張を昔からよく目にします。

所得は一定額以上から幸福と相関しなくなる。とか
学歴は幸福度とあまり関係がない。とか
幸福についてのさまざまな研究が行われています。

当たり前ですが、その答えはいまだに見つかっていません。
多分これからも見つからないでしょう。
(頭に電極ぶっさす方向性が一番確実そうだというのが悲しい事実)

しかし個人的には『選択肢の量』と『選択に対する姿勢』が幸福度に強く相関しいているのではないかと睨んでいます。


まず『選択肢の量』について考えてみましょう。

絶対的貧困とは、生きるうえで必要最低限の生活水準が満たされていない状態を指します。当然その状態では『とりうる選択肢の量』が最小ですよね?今日の晩御飯に何を食べるかすら決められないわけです。少なくとも「今日の晩御飯何食べよう?」と考えられる人の方が、そうでない人に比べて選択肢が多く、幸福である可能性が高いように思います。

相対的貧困とは、その国や地域の水準の中で比較して、大多数よりも貧しい状態のことを指しています。これも『選択肢』で表現できますよね。
今日の晩御飯を三種類の中から選べる人と、百種類の中から選べる人。どちらも人間的な生活はできるものの、相対的には前者の方が貧しいと想像することができます。

『とりうる選択肢が多い方が幸福である可能性が高い』

そんなにおかしくない仮説だと思います。



次に『選択に対する姿勢』について。


4年前に行われた神戸大学の研究では『所得や学歴より「自己決定」が幸福度を上げる』という結論が導き出されました。

かなり砕いてまとめると「あなたの人生はあなたが選んで作ってきたものですか?」という質問に対して「はい」と自信を持って言える人の方が幸福度が高いと言っているのですね。

これにはかなり賛同できます。

自分で決めた選択に関しては後悔が少ないですが、流れで決めたこと、ちゃんと考えずに決めたこと、人に決められたことに対する後悔ってとて大きいですよね。

(特に人生における大きな選択を)自分でちゃんと選び取ったか?
それによってその後の幸福度が変化するのは容易に想像できます。



以上二つの条件から『数多くのとりうる選択肢の中から自分でその選択を選び取って人生を作っていくこと』が幸福における条件の一つである。と仮定できます。



さて。
その上で『個人のビジネス』を考えてみましょう。


個人のビジネスは選択肢を数多く持ちます。
そもそもどんなビジネスに取り組むかを選択することも自由だし
そのビジネスをどんな形で構築するかも勝手に決めて良い。
仕事する時間帯も時間量も裁量の内だし、住む場所だって選べます。

自由が増すだけ、それに伴って責任やプレッシャーも増し、ときにそれが『自由から受ける恩恵』以上のプレッシャーになることはあるものの、純粋な選択肢のパラメーターとしては個人ビジネスに利点があることがわかると思います。

過去の記事でも書きましたが、僕は25歳まで飲食業で3年、営業で3年、会社員として生きていました。会社員としての期間だけではなくそのもっと前。学生時代も含めて『人生を自分の選択で軌道修正する』ことをしてきませんでした。というか、それができることを知らなかったとも表現できるかも。

なんとなくで何かの判断をして、なんとなくで生きている。
それは別に怠惰とかではなくて、そういうものだからとどこかで割り切っている。
それでも普通に生きられるし、貧困ではなかったし、特段苦しいと感じていたわけではなかったのです。

でも、言語化できない違和感みたいなものはいつも心の中にあって、常に心の奥の方で「これで良いのか?」と自問自答をしていました。

その後ひょんなことから起業をして色々と経験をしていくうちに、それまでの感覚がひっくり返されました。

「人生ってこんなに自由度の高いゲームだったんか!!!!」

その時の衝撃というか感動は今でも忘れられないですね。


選択肢が多いだけではありません。
個人ビジネスではその選択を全て自己責任で行わないといけないのです。

誰かのせいにすることはできないし、選択の結果は全て自分が背負い込まないといけない。

だからその選択をはっきりと自分の意志で行わないといけないのです。


誰かに決めさせられたものではなく、流行や風潮に流されたものではなく、
自分の頭でしっかりと考え、自分の覚悟をそこに乗せて、それで決断していかないといけない。

それまでそういう習慣がなかった人には結構きつい作業だと思います。

しかし前述の通り、どうやら『自分で決めた選択』の方が幸福度を向上させるらしいわけです。


つまり個人のビジネスには『数多くのとりうる選択肢の中から自分でその選択を選び取って人生を作っていくこと』が最初から含まれていると考えられるのです。


また、『とりうる選択肢の量』は『変化への強さ』とも相関します。

一本道のRPGが上手なゲームプレイヤーよりもオープンワールド系のゲームが上手なゲームプレイヤーの方が、他のゲームに対しての適応力が強い的なイメージです。(わかりづらい例えだなこれ)

そもそも『選択すること』が『変化』の一部なわけで、『選択肢が多い』のは『変化先が多い』のと同義です。

つまり『選択肢が多い』状態は『変化に適応できる自分に変化できる可能性を多く持っている』状態とも表現できるわけですね。


色んな意味で『選択肢が多い』ことはとても大きなメリットだと感じます。




③『考える』毎日


先ほど『個人ビジネスではその選択を全て自己責任で行わないといけない』と書きました。

自己責任の選択にはプレッシャーがかかります。
何も考えなしに選択をし続けたら、簡単に破産することができますからね。

そのため一般的には、個人ビジネスに取り組み出すとそれまでよりも『よく考える』ようになります。

また、跳ね返ってくる責任は副業よりも本業の方が大きくなりますから、個人ビジネスで独立した人はそうでない人よりもより一層『よく考える』ようになります。

今までにたくさんの個人ビジネスプレイヤーを見てきましたが(個人差はあれど)まず間違いなくみなさん『よく考える』ように変化していきます。



そしてこの『よく考える』ことが、これからの時代、特に重要なのではないかと僕は考えています。


数百年ぐらい前までは「世界には何かしらの真理がある」と考えられていて、それを解き明かすのが学問の至上命題だったりしました。

しかし学問が発展すればするほど「全てを包摂する真理なんてないんじゃね?」と疑問視されるようになります。
全体の正解を求めるよりも共同体単位での正解を議論して模索する方が価値が高いという風潮も現れ、これは俗に【ポストモダン】なんて表現されますね。

現在、それでも全てを包括する真理を解き明かそうとしているのは科学ぐらいなものですが、最近はその『科学的信仰』を疑問視するような声も多くあがっています。


『一般的な価値観』や『一般的な正解』があった一昔前とは違って
今はそのようなものを見つけるのが非常に難しくなっています。


もう少し抽象度を落として現実的な話をするならば、ネット検索とかもそうじゃないですか?

僕は昔「ネット検索が十分に進化すれば、検索結果はより正解に近づくだろう」と考えていました。
今、どうなっていますかね?

むしろひどくなっている気がしませんか?


昔よりもノイズとなる情報が増えて信頼度の高い情報に辿り着きづらくなった。同様に一次情報にアクセスすることも大変になった。その一次情報ですら果たして信頼できるのか怪しかったりする。(一次情報だから確実だって思い込んでいる人も多いですけど、ちょっとその思い込みは危険だと思います。)

筑波大学図書館情報メディア系准教授の落合陽一氏の著書【デジタルネイチャー】では、フェイクニュースに対する向き合い方について以下のようなことが書かれています。


社会の「魔術化」が進むと情報の生成と流通の過程がブラックボックス化する。SNSが浸透する以前、人々はニュースを目にしたときに、それを取り上げるメディアも同時に認識していた。今、テレビや新聞の情報をウェブメディアが二次発信し、さらにFacebookやTwitterで拡散されるようになると、一次情報のメディアは認識されない。その情報の信憑性が誰によって作られ、どういう経緯で届いたのかわからないままだ。
(中略)
この状況から明らかなのは、人類の相対的な情報へのアクセシビリティは、全体の情報量が増えると低下するということである。これまでは情報量が多いほど情報の活用が進むと思われていたが、情報が増えすぎると真偽や情報ソースの判別のコストが上昇するため、人々は都合のいい情報だけを選り好むようになる。
(中略)
あらゆる情報がフェイクである可能性を排除できない世界では、我々はそれを宗教的信仰のように無根拠に受容するか、自ら生み出した一次情報に頼るようになるだろう。

落合陽一|デジタルネイチャー


この意見には心から賛同します。

多分ですけど、最終的には外部から取り入れる『一次情報』の真偽性の判断が非常に難しくなるために、

・『一次情報』を自分で用意する。
・『一次情報だとされているもの』以下、さまざまなフェイクの可能性がある情報を恣意的に信じる。

情報に対する向き合い方は、このどちらかに大きく分かれる気がしています。


いずれにせよ、これからの時代『自分で考えて』『自分なりの解釈をして』『自分なりの選択をする』ことが求められているのです。

少し前なら、従っておけばある程度結果が見込める答えがあったのかもしれません。

良い大学に行き、大きな会社に勤め、結婚をし、車を買い、家を買い・・・

でも今、そんなものは無くなっていますよね?
いや、5年後、10年後から考えたら今はまだ『正解とされるものがあった時代』と表現されるのかもしれないです。

これから更に『正解とされるもの』はなくなっていきますし、だからこそ自分自身でそれを設定する必要性が増すのです。


そのためには『考える』強さが必要です。
ある物事をじっくりと多角的に客観的に考える。

個人のビジネスはそんな『考える』ことが日常的に求められる性質を持っているので、考える能力を身につけるためにうってつけの業態だと感じています。


そして、これから起こる【変化】に対して僕たちがやるべきことは『変化に適応するための答えをネットから探すこと』ではなくて『変化に適応するためのアクションを自分で模索すること』なはずです。

考えることができなければ、変化に対してなす術もありません。
変化を受動的に受け取り、偶然性にその身を任せるのか?
変化に能動的に向き合い、自分で必然性を作っていくのか?
その【選択】すら、僕らには開かれています。



まとめ



勢いで書いてしまったので、少しまとまりがなくてすんません。


改めてまとめると、

・人間本来の性質に近い生活をしやすいのが個人ビジネス
・選択肢が多く、それを自分で選び取ることができるのが個人ビジネス
・考える必要があり、だからこそその力が身につくのが個人ビジネス
・このような要素はこれからの時代を生き抜くためにとても大事なもの
・だから僕は個人でビジネスをすることが素晴らしいと思っていて
・10年超その啓蒙活動を続けている

という主張でした。


だから、いくら稼いだーとかこんな贅沢がーとかどうでも良いんですよね。
最低限食える収益があったら、それ以降重要なのは更なる収益の積み重ねじゃなくて、今回書いたような要素を埋めることだと本気で思っています。
(「稼ぐ」ことを否定するわけではないです。それだけじゃないよって話)


少なくとも自分自身はこうやって考えていて、だから自分もその通りに生きているし、その生き方に矜持を持っています。この生き方と心中するつもりですし、後悔はありません(自分で考えて決めたからね)

あくまでも僕の主観的意見です。

たくさんあるフェイクニュースの一つとしてご参照ください。


それではまた次回!

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