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小説「銀匙騎士(すぷーんないと)」/小説「百年の日」

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2019年7月の記事一覧

銀匙騎士(すぷーんないと) (27)

銀匙騎士(すぷーんないと) (27)

 それでいい、また、今度は蜚蠊(ごきぶり)走りに突撃してくる。さっきの巻きもどしで、小さくなったり、大きくなったり。女の子も、まだ手を出したままだった。
 いま、つかめたのだ。
 安稜(あろん)、化物虫の眉間に足をつっぱって、思いのほか、それはうまくいったのだが、七尺の球型登枠(ぐろーぶじゃんぐる)のてっぺんから飛びおりたみたいに、衝撃にびりびりする。
 女の子は糸櫛触角(つのつの)にからまってい

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銀匙騎士(すぷーんないと) (26)

銀匙騎士(すぷーんないと) (26)

 がたがたふるえながら、安稜(あろん)は、逃げなかった。匙(すぷーん)を捨てて、化物虫の大味な突進を、意外に簡単に回避し、それでとたんに寒気がおさまり、夢の気分はいそがしい、まるで闘牛士(またどーる)、尻のでっぱりをしっかりとつかむ。
 大回転投擲(じゃいあんとすいんぐ)にぶん投げようと、ぐるぐる、ぐるぐる、安稜がこまの軸になって、化物虫を振りまわす。
 糸でつっていたのか、膠で空気にくっつけてい

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銀匙騎士(すぷーんないと) (25)

銀匙騎士(すぷーんないと) (25)

 窓から見る、化物虫がくわえた星の子供が、どんどん遠くなっていく。暗いなかで、一生懸命かがやいているのがあわれで、助けてあげないといけないと思った。
 なんだ、かんだ、星の子供が好きだった。むかついたりしたけれど、要領を得ない話、おうむ返しのすれちがい、不条理不可解、不明瞭なじたばたはおたがいさまで、あれはあれ、これはこれ、別に本気で憎悪したわけでもないし、そのときそのときの純然たる気分。それはそ

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銀匙騎士(すぷーんないと) (24)

銀匙騎士(すぷーんないと) (24)

「落ちた、って言ってんだろが。
 泥棒刀(まきり)座。りんご座とも言うやつ、たぶん、皮をむいて切ったかたちに似てるから。だったらすいか座でいいじゃん、って気がするけど。
 外套(まんと)座。ぼやぼやした、珈琲(こーひー)にたらした練乳みたいで、点々を線でむすんで想像力をゆたかにして見えるような、そんな星座じゃなくてね、うずまき。
 つまらない腰弁(さらりーまん)のおっさんが、こぎたない外套を二十年

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銀匙騎士(すぷーんないと) (23)

銀匙騎士(すぷーんないと) (23)

 安稜(あろん)は、おい、と声をかけようとして、な、と言い変えたのだが、そういえば名前を知らない。灰が藁半紙一枚ぶん、うっすら地べたにかぶさって、その紙に頭からどぶんと潜りこんでしまいたそうに、こちらから見た女の子のころころした背中は犰狳(あるまじろ)か海老のまる焼き。安稜(あろん)、
「絵か。土に落書きか」
「落書き」
「絵が好きなのか」
「好き」
「話、聞いてたか」
「聞いてたわ。聞いてた、聞

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銀匙騎士(すぷーんないと) (22)

銀匙騎士(すぷーんないと) (22)

「あ、そ、び」
「そうそう。その話だ。ええと。ええと。ひとつのものをつくろうってときに、そのほんの一部分しかさわれないっていうのがつまらないんだ。どうせなら、全部をつくりたい。だろ。兄妹の神の無念が、それ。
 全部が見えずに、なにをやってんだか分からず、ちまちま指先だけしか見えずに織る絨毯。本当はすごい緻密な模様なのに、動かしてる指がつかれるってことが気になって、つまり、つまらない。
 そうか。文

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銀匙騎士(すぷーんないと) (21)

銀匙騎士(すぷーんないと) (21)

「おしまい、おしまい」
「分かったな」
「むう」
「ああ。だからつまり、にゃんにゃんしたのさ。兄の神と妹の神」
「にゃんにゃんにゃん」
「それが、その、それだよ。したたり落ちた、それが、芯になって、やっと神々のよだれがしがみつけて、みるみるかたまって島になった。
 それで二人の神はさ、磐石となった大地になかよく転がって、寝物語にどんな国にするか話した。これも読んでやる。ええと、
 丘と丘の狭間にわ

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銀匙騎士(すぷーんないと) (20)

銀匙騎士(すぷーんないと) (20)

 夜の闇がずいぶん落ち着いた。もっとおとなしくさせて、しっとりとなまぬるい空気になじませ、やわらかく、やさしく、そっと寝かしつけようと安稜(あろん)は歌ったのだ。
 でも、あとづけの理屈だ。
 つい、口をついて漏れて、広がった。その漏れてきた源泉は、いつ、どこの、誰との、なんの記憶だろう。無数の流行歌が耳を通過していったけれど、これが脳みそのひだひだに根をおろし、ひっそりと花を咲かせて、少しもゆれ

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銀匙騎士(すぷーんないと) (19)

銀匙騎士(すぷーんないと) (19)

 自分の声の余韻を、こびりついた耳の穴の壁に聞いて、安稜(あろん)はちょっとはずかしくなった。妙に声を高く調律して、のっぺらぼうの夜に虚勢を張っていた。そうだ。ささやかな空気の振動で、もやもやを、背中のぞわぞわを、近づくな、と制して、しかも女の子には、おれはこわくないぞ、という証拠にしようとしていた。
 黒いのは、でも、白いことの反対でしかないと考えようとした。
 光は白くなる。夕焼けと火の赤、角

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銀匙騎士(すぷーんないと) (18)

銀匙騎士(すぷーんないと) (18)

「えっちらおっちら」
「うん、ちょっとだまって聞けよ。金をかせぎに兵隊になって、いくさでえっちらおっちら背嚢(りゅっく)しょって、砲台の足とか天幕(てんと)の枠とか友達とかかついで、ぞろぞろ歩いて、一年。どっかでけがして、そのおっさん、自分の家に帰ってきた、薬代、医者代とられてたいしてかせげもしなかったけど、一年死ななかったから、まあいいだろうって思って、案外気楽に、口笛と鼻歌で。
 おとなりのお

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銀匙騎士(すぷーんないと) (17)

銀匙騎士(すぷーんないと) (17)

 くもの巣にかかった薔薇六輪、という複雑な意匠の飛梁(ばっとれす)は、双子棟塔と主棟塔をむすんで正三角形のすかすかの天蓋、薔薇二輪と半分の影が落ちる露台に、いま、着地。
 落下傘(ぱらしゅーと)の白い布をごそごそかき集めて、ていねいに、折り目にそってたたみなおす女の子。やっといろんな気がぬけて、解凍された恐怖にいまさら足が、せわしなく蟹股に、内股に、がくがくするのがどうしようもなかった、安稜(あろ

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銀匙騎士(すぷーんないと) (16)

銀匙騎士(すぷーんないと) (16)

 そして、振り返る女の子を制する手段が、声以外、安稜(あろん)にはない。案のじょう、高さを確認してしまってから、女の子の腰にはめていた腕の輪がもっときつくなっている。
 安稜(あろん)の首すじ、あごから鼻へ、女の子はまつ毛ですくいあげる。
 頭ごしに、二本の桜を。安稜(あろん)、もうふるえをかくさない、
「やばいだろ」
「やばい」
 枝から全部、花びらは散りはてて、でも、ふしくれだった老婆(ばばあ

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銀匙騎士(すぷーんないと) (15)

銀匙騎士(すぷーんないと) (15)

 安稜(あろん)は、

 張り裂けそうに 高鳴る胸を
 やぶって 咲いた 桜
 食いあらす体 かたちを変えていく
 羽ばたいていこうというのか
 うつろな骨に 根をからめ
 とらわれているのに
 あるべき場所は ここなのに
 おまえはまだ 忘れたふりをする

 という、どこかで耳にした詞章を思い出した。たしか、日記に覚書(めも)していた。
「ゆれてる」
 そう言ったのは、安稜(あろん)だったか、女

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銀匙騎士(すぷーんないと) (14)

銀匙騎士(すぷーんないと) (14)

 一。
 ど、かん。
 女の子は飛んだ。
 花火の音も光も熱もやりすごして、風だけ布でつかまえて、空をかける帆船か、紙飛行機、ひらひらしていて、あくまで白かった。
「軽い」
 そうだ。女の子の体が、あまりにも、軽すぎる。風船でもなく、太陽でもなく、女の子。ここにあった。空を飛べるもの。女の子は、空を飛べる。
 どっ、と、拍手のかたまりが、おにぎりにまるめた、白いつぶつぶのお米いっぱいのびっしりの音

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