銀匙騎士(すぷーんないと) (25)
窓から見る、化物虫がくわえた星の子供が、どんどん遠くなっていく。暗いなかで、一生懸命かがやいているのがあわれで、助けてあげないといけないと思った。
なんだ、かんだ、星の子供が好きだった。むかついたりしたけれど、要領を得ない話、おうむ返しのすれちがい、不条理不可解、不明瞭なじたばたはおたがいさまで、あれはあれ、これはこれ、別に本気で憎悪したわけでもないし、そのときそのときの純然たる気分。それはそれとして、ざまあみろなんて思うひまもない。なかよしなのだ。そういう設定なのだと夢のなかの安稜(あろん)は納得した、なんの疑問もない。
もう、安稜(あろん)は欄干(てすり)を蹴って、羽ばたこうとしていた。飛べるのだ。
風力玩具(もびーる)の波間、かすかにあたたかく、光をはなつおもちゃの寝台に、あかんぼうが眠っていた。百二十八小節の寝息、
あたるはずのない天気予報
無数の矢を 猛毒を 嘲笑を 痛みを 血液を
透明な合成樹脂(びにーる)傘などではない
まったく別の太陽が必要で
再会の場所は 天文水族館(ぷらねたりうむ)
どんな方程式にも矛盾する結婚
ふたりの子供が
ふたりを否定した世界を
もう一度あるべきかたちに
つくりかえてくれるから
星の子供の声、子守唄が染みついていた。
いくじなしではない、あとは、ちゃんと存在していた、でも日陰でしけっていた勇気に着火するだけだったのが、ねじれた指きりのような姿勢で、そちらを見守る安稜(あろん)、
「おれの、子供だ。星の子供の子供だ」
と思った。
線が流れる 記号がただよう
ただ それだけの空から 目をそむけようとしない
少女がひとり
衣嚢(ぽけっと)に弾丸をつめこんで
花壇に足を突き刺す 少年が一輪
錆びついた自転車は 頭上を越えて
いつしか 流星
知らない子守唄だ。どこから湧いてきたのか。安稜(あろん)がつくったのか。それなら、そうかもしれない。こんなにも落ち着く、涙がこぼれそうになるのも、自分のかなしみと退屈さ、懐郷(のすたるじー)にあまりにも似すぎている、近すぎるから、
「てゆうか」
安稜(あろん)そのものだった。やはり、聞いたことがある。記憶そのもの。かじって、しゃぶって、すみずみまで広がって、からからにひからびてしまわない程度に、こっそりとそれぞれの思い出の風景の色彩を吸いあげていた。だから、歌は、海老と蟹でつばさを染めた紅鶴(ふらみんご)、その羽根のひとひら、こんなにもなつかしい。
少女は星の子供。
少年は安稜(あろん)。
流星は星の子供の子供。
安稜(あろん)、もう飛んだ。化物虫は空に薄墨色の航跡をひっかいたように残していて、その隧道(とんねる)を通れば、すべり台をすべるようにすいすい流れ、渡っていけた。
追いついた。ちょっと振り返って、化物虫は山にとまった。安稜(あろん)を迎え撃つつもりだ。当然、
「のぞむところだ」
安稜(あろん)は、着陸態勢をととのえて、足を矢じりに手を矢羽根に、つらなった手前の山に突き刺さろうと降りていく。銀の匙(すぷーん)をにぎっていた。つやつや、ふくらんだおなかのほうが、星のまたたきをつかまえて、あるいは、あんまりちいさくてまるいから、からかわれて、くすぐられて、きらり、光った。
しだいに大きくなりながら、巨大化しながら、てっぺんを踏みしめられたのは安稜(あろん)の片足だけで、もう片足は水たまりになった湖につかっていた。
化物虫の胸のまんなかで、あわい点滅を繰り返す、
とん、とん、とん、
つー、つー、つー、
とん、とん、とん、
とん、とん、とん、
つー、つー、つー、
とん、とん、とん、
「た、す、け、て」
だ。助けてあげなきゃ。待ってて。
右手で袈裟懸けに斬りかかった。銀の匙(すぷーん)をにぎっていた。安稜(あろん)より、もっと、もっとすごい比率で大きくなっていた。
薙刀か、大太刀の匙(すぷーん)を、力まかせに振り下ろしたのだ。
がきん、と手ごたえはかたい、少しも痛手(だめーじ)はあたえられず、はじかれた。だが、安稜(あろん)はがっかりしなかった。中身はやわらかい、やはり虫だ。すかすかで、やせた安い西瓜をたたいたように、いやに響いたのだ。
それでも痛かったのだろうか、がもう、がもう、とけたたましい鳴き声をあげたが、ぜんぜんこわくなかった。痛くなかったぞ、と虚勢をはっているようにしか思えなかった。
安稜は、突いた。
匙(すぷーん)の先ではだめだ。柄のほうを槍にして、化物虫のぶよぶよしていそうなところ、ちょうど星の子供の点滅の真下をねらって、まっすぐにくりだした。
刺さった。でも、浅い。
何回でもやるのだ。
たのもしい武器だった。軽くて、強くて、よくしなる。化物虫はのろいので、おもしろいように突きがあたる。
かわいそうになってきた。もう、這いつくばって、ごそごそ、うごめいているだけ。馬は、おなかを斬られるとしゃがんで、はらわたがこぼれないようにするそうだ。たぶん、化物虫も、そういう本能で、からっぽになるのがこわくて、そんなふうにひらべったくなっている。
刀みたいに、匙(すぷーん)を腰におさめた。もう勝ったと思った。かっこよく、きめたつもりだったのに、
がもう
化物虫は、油断したのを見はからったかのように、無数の百足脚を全部発条(ばね)にして、跳ねた。
かっこつけんな、
馬鹿みたい、
調子にのるな、
どうせおまえなんか、
なにをやってもだめなんだ、
いつもおまえはそうなんだ。
と冷酷に告げる、そんないじわるなことばのかたまりになって、悪意そのものがよみがえり、おそってくる。
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