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小説「天上の絵画」vol.1

こんにちは。未来の直木賞作家、小説家の川井利彦です。

今回は特別編として『小説「天上の絵画」』無料公開します。

これまで最初部分のみを特別公開していましたが、これから何回かに分けて、「第一部」を無料公開していきます。


理由は『note創作大賞』へ応募するためです。


正直なところ最初は興味がなかったのですが、ある尊敬する作家先生が挑戦されているのを知り、自分もやってみようと看過されました。

その方の作品もぜひ読んでみてください。
素晴らしい作品です。


というわけで、もしよかったら応援のほどよろしくお願いします。

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小説「天上の絵画」あらすじ

幼い頃から、才能に恵まれた渡井蓮は、純粋に絵を描くのが好きだった。
だがそんな蓮の才能に嫉妬した一部の人間の妨害によって、心に大きな傷を負ってしまう。人の恨みと嫉妬に絶望した蓮は、それが原因で絵を描くのをやめてしまった。
数年後、同級生の岩谷英司と再会する。ともに絵を学んでいた彼が、画家として大成功している事実を知った蓮は、絵に対する想いが再燃し、とんでもない事件を起こしてしまう。
人とは違う高みへ昇ることを渇望した者の、栄光と挫折。
蓮が最後にたどり着く所から見る景色は、いったいどんなものなのか。


序章


・二〇二三年 都内某刑務所内 受刑者面会室

 『上を向けば方図がない』

 このことわざを聞いたことがあるだろうか。

「上を見ればキリがないから、節度をわきまえよ」という意味だ。
この言葉を始めて聞いたのは、「全国小学生絵画コンクール」で金賞を受賞した時だった。息子の功績に誇らしげな母親を尻目に、隣に立つ父親が、か細い声でつぶやいたのを耳にした。その時は意味もわからず、訝しげに首を傾げただけだったが、成長しその意味がわかると、父親が本音が、なんとなく理解できた。

 カメラの方に身体を向け、遠い目をして寂しそうに微笑む父親の横顔を、今でも鮮明に覚えている。

 子供の頃から、プロのピアニストに憧れていた父親は、同級生達の遊びの誘いを断り、日々練習に明け暮れた。週四日、学校終わりに、プロのレッスンを受け、休みの日は家にあるピアノを朝から外が暗くなるまで弾き続けた。子供らしからぬストイックな生活を、高校卒業まで続けた父親は、有名な名門音楽専門学校に推薦入試で、見事合格を果たす。
 
 だが父親の人生の栄光は、そこまでがピークだった。

 思春期と青春時代を、黒と白の鍵盤に捧げた父親が、プロのピアニストとして、舞台上で輝かしいスポットライトを浴びる日は、結局一度も訪れなかった。
 
 その話を聞かされたのは、僕が二十五歳を誕生日を迎える一週間前だったはずだ。どうして父親からその話を聞かされたのか、もう覚えていない。だが今こうして無機質で血も凍りそうな寒さの面会室で向かい合っていると、ロウソクに小さな炎が揺れるように、ちらちらとその時の様子が頭の中に浮かんだ。
 
 黒くて若々しい印象だった頭髪は、白髪が増え、頭頂部では地肌目立った。落ちくぼんだ目の周りには細かい皺があり、頬には溝のような深い皺が刻まれていた。顔色は青白く、背中を丸めたその風貌は、七十代前半のしょぼくれた老人そのものだった。僕が二十五歳になったばかりだから、まだ五十七歳のはずだ。父親がここまで老け込んでしまった理由は、一つしかなかった。
 
 罪悪感が腹の奥で、ほんの少しだけ顔を覗かせた。
 
 「母さんにも声をかけたんだが、まだ体調が悪いらしくて、布団から起き上がろうとしないんだ。家のことも何もしないから、困ったもんだよ」しわがれた声で父親が言った。穴の開いたプラスチック版の向こう側から、弱々しい眼差しを向けるが、視線を合わそうとはしなかった。
 
 「弁護士の先生とも話した。情状酌量を訴えて、少しでも刑期を減らせるよう最善を尽くしてくれるそうだ。…良かったな」困惑が言葉の端々から感じられる。減刑を望むことがいかに愚かなことか、わかっているはずだ。だが息子を気遣って、心にもない淡い希望を口にする。そんな父親の姿が、痛々しかった。
 
 「身体の方は…。ちゃんと食べてるか?」
 
 「それはこっちのセリフだ」と危うく口から飛び出しそうになったが、とっさに言葉を飲み込み、代わりに首を縦に振った。
 
 逮捕されてから、不思議と食欲が戻り、三食普通に食べられるようになった。不眠症も治り、板のように固い敷布団の上で、起床時間ギリギリまでぐっすり眠れていた。
 
 「そうか…。辛いこともあるだろうが、気を落とすな。父さんが絶対になんとかしてやるから」
 父親はパイプ椅子から腰をあげると、奥に控える刑務官に会釈をした。
 「もっと話していたいんだが、母さんを一人にはしておけない。すまない…」
 面会時間を半分以上も残し、父親は逃げるように面会室を出て行った。
 ピアニストの夢を断たれた父親は、知り合いから紹介してもらった、人材派遣会社で働き始めた。そこで事務員をしていた女性と知り合い、後に結婚し、まもなく息子が誕生する。
 慎ましく安定的な生活を送りながら、ピアニストへの未練は断ち切ったのか。息子に絵の才能があるとわかった時、何を思ったのか。腰縄をくくりつけられた息子を見て、どう感じるのか。皺の寄ったくたびれたスーツの後ろ姿に、問いかけたかった。
 
 あの時の父親の言葉が脳裏に蘇る。
 
 上を見ていたつもりはなかった。
 絵を描いているのが楽しかった。
 描いている時の自分が好きだった。

 ただそれだけだったはずなのに…。

 「先生―。また、絵を描きに行ってもいいですか?」
 
 虚ろな瞳で虚空を見つめた蓮は、誰に聞かせるわけでもなく、小さな声でつぶやいた。


第一部

1・二〇二一年 渡井蓮 二十三歳

 渡井蓮は、雑に陳列されたお菓子を、一つ一つ棚から取り出し、コンテナの中に放り込んでいった。季節ものの新商品が販売されるのにあわせて、棚にある全ての商品を入れ替えないといけない。
 蓮はこの作業が嫌いではなかった。子供の頃から複数人で動くより、一人で動く方が好きだった。
 
 商品を取り出し、空っぽになった棚を、カラフルな色の袋や箱で埋めていく。パッケージが派手過ぎて、一個ずつではケバケバしくて見るに絶えないが、陳列していくと、不思議と調和のとれた美しい色彩に棚が彩られる。まるで一枚のキャンバスに絵を描いている感覚に近い。
 
 「いらっしゃいませ~」
 
 スマホに視線を下げたまま、レジ前にいる及原慎吾が、ぶっきらぼうに言った。
 
 「いらっしゃいませ…」
 
 蓮の蚊が泣いているような小さな声が、棚の奥に吸い込まれた。ちらりと入口に目をやると、作業着姿の男性が、店の中に入ってくるのが見えた。
 
 時刻は深夜二時。区画整理された住宅街にあるこのコンビニは、客のほとんどが近所の住民か土木作業員だった。政府が掲げた住宅ローン税制優遇政策と、不景気による地価の下落により、子育て世帯向けの建売住宅の建設が佳境を迎え、夜中でもトラックの往来が絶えない。そのせいで深夜の時間帯でも、客がちらほろと訪れるようになった。コンビニのオーナーは突然の好景気に上機嫌だったが、人付き合いの苦手で、接客嫌いな蓮にとって、不愉快極まりない。面倒くさい接客をしなくてすむと考え、深夜時間帯にアルバイトをしているのに、これでは気分が悪くなるばかりだ。幸い今日は、レジから出てこない及原慎吾が一緒だから、蓮は作業に集中できて、まだ気が楽だった。
 
 お菓子の入れ替えを終え、色彩豊かな棚を見つめた蓮は、満足げな顔で頷いた。
 
 「だから問題ないって言ってるだろ!」
 
 レジの方から、男性の怒り声が聞こえてきた。何事かと顔を覗かせると、慎吾と男性が何やら言い争いをしていた。
 
 「運転する人に、酒の販売はできないんですって。店長からもきつく言われてて―」
 「缶ビール一本だけだよ。それに運転席で朝までそこで仮眠をとるから、その間に酒はぬける」
 
 男性が缶ビールを持っていない方の親指を立て、外にある駐車場を示した。
 「そういうことじゃなくて―」
 法律によって、運転手への酒類の販売は禁止されている。仮眠をとるからは理由にならない。それに慎吾は先月確認不足が原因で、誤って運転手に、缶チューハイを一本、販売してしまった。防犯カメラ映像から、そのことに気がついた店長に激しく叱責されたばかりだ。
 
 「本当に無理なんですよ!」
 いくらでも変えの利くフリーターは、些細なミスでも命とりになる。ましてや法律違反となれば、即解雇されてもおかしくはない。
 
 「ちょっとぐらいいいだろう!頭の固い店員だな…。さっさとしろよ!」
 苛立ちを募らせた男性は、カウンターに缶ビールを叩きつけた。金属がぶつかる甲高い音が店内に響く。
 
 不穏な雰囲気に蓮はすくみあがった。棚の影から顔を出したまま、身動きがとれなくなってしまった。慎吾を気の毒に思うが、できれば関わりたくなかった。早く嵐が過ぎ去ってほしいと心の中で願った。
 
 「だから…無理…なんだって…」表情を固くした慎吾は、語尾をわずかに震わせたが、頑なに拒み続けている。
 髪を乱暴にかきむしった男性が、背後をちらりと見た。「あっ、お前でいいよ!」蓮と目があった男性は、顎を振る。
 
 蓮の全身から血の気が引いた。
 
 「早く会計してくれよ!」
 
 財布から千円札を取り出し、放り投げた。
 「えっいや…あのっ…」背筋に寒気が走り、心臓の鼓動が耳元で響いた。
 「おい!!」
 
 男性に一喝され、蓮はビクンと全身を震わせた。前方に倒れるように駆け出すと、カウンターの中に足を踏み入れた。憐れむような眼差しで慎吾がこちらを見ている。表情に安堵の色が浮かんでいるのがわかった。慎吾はスッと身体を引いて、レジの前を空けた。蓮は愕然とした。あれだけ頑なに拒み続けたのは、いったい何だったのか。矛先が変わればあとは、知らぬ存ぜぬと目をつむるつもりか。
 
 「さっさとやれよ!」
 
 缶ビールを強引に押し付けられた。
 
 「いや、でも…」
 慎吾にちらりと目線を向けると、プイっと顔をそらされた。頭の中が真っ白になった。震える手でバーコードを読み取る。レジのディスプレイに『二百三十五円』と表示された。
 
 「金をそこだ」
 カウンターの上でヒラヒラと揺れている千円札を手にとり、レジに近づけた。電子音ともに、千円札が吸い込まれ、小銭が吐き出される。男性にお釣りを差し出すと

 「最初からそうしろよ」と視線を下げた慎吾に向かって、吐き捨てるように言った。乱暴に小銭をひったくった男性は、肩を怒らせながら大股で店を出て行った。
 
 カウンターから身を乗り出し、恐る恐る外の様子を窺うと、男性が運転するトラックが、駐車場から出て行くのが見えた。
 
 「あーあ、俺知らないっすよ」慎吾は身体を屈めて、レジカウンターの下に隠したスマホを手にとった。
 「いや、だって。あんなふうに脅されたらさ、どうしようもないよ」
 自分でも言い訳がましいと自覚しているのか、自然と早口になる。手のひらが汗でぐっしょりと濡れていた。
 「でもこれ、法律違反っすよ。警察にバレたら、この店つぶれますよ」
 「そんな!」声が上ずった。
 「慎吾君だって、前に同じことをー」
 「そうっすよ。あん時は、警察も大目に見てくれました。本部も店長の減給で、許してくれたみたいです。俺の給料まで減らされたのは、店長の嫌がらせですけど…」慎吾の眉間にわずかに皺が寄った。

 「でも今回は、二回目っすよ。さすがにもう警察も本部も見逃してくれませんよ」
 スマホに視線を落としたまま、淡々と言った。
 「最悪は店長が逮捕されて、ここも廃業っすかね」目を細め苦笑する。「もしくはー」スマホから視線を外し顔を上げた。
 
 「渡井さんが責任を取らされて、クビとかー」蔑むような目つきで、蓮を見上げた。「そうなっても仕方ないっスよ。運転手にアルコール売っちゃったんだから」
 
 蓮は目を見開き、息を飲んだ。あまりに重い代償に、言い返す言葉が出てこない。
 「今回は、関係ないっすよ。俺が売ったわけじゃないですから。なんなら最後まで拒みましたからね」肩をすくめて、鼻を鳴らした。
 視界が歪み、足元の感覚が徐々に失われていく。
 
 「あれにもバッチリ映ってますからね。渡井さんが缶ビール売ってるところがー」スマホで、天井からぶら下がる監視カメラを示した。
 
 「でも―」喉が張り付いて、しわがれた声しか出ない。蓮は口に拳を当て、咳払いをした。「あれは脅迫だよ。法律違反なのはわかってたけど、あんな顔で怒鳴られたら、断り切れないよ」
 
 声が震えるのを悟られないよう、腹に力を込めた。
 
 「言い訳っすか」
 「そうじゃなくて、事実を言ってるだけだ。慎吾君だって、そう思っただろ?」
 首をかしげた慎吾が「そうっすか」と平然と答えた。蓮は呆れかえった。顔をこわばらせ、声を震わせていたではないか。
 「ちょっと待ってくれ。及原君だって、ビビっていたじゃないか」
 「ハア!?ビビッてませんよ」慎吾が語気を強めた。虚勢を張っているのは明らかだ。
 「何なんっすか?俺のせいだとでも言いたいんですか?」
 「違うよ!」蓮が激しくかぶりを振る。「店長に正直に話してほしいだけだ。あのお客さんじゃ誰も断り切れなかったって―」
 「頼むよ」年下のフリーターに、へりくだる自分が情けなかった。
 合点がいったのか、慎吾は目を細め、嫌らしい笑みを浮かべた。蓮は胸騒ぎを感じた。
 「いいっスよ…。その代わり―」と手を差し出した。蓮は目を瞬かせた。
 
 「わかりません?協力するんだから…誠意って言うやつですよ」
 
 蓮は慄然とした。極悪であまりに非道な行いに、言葉が出てこない。協力する代わりに、それ相応の金を要求するつもりなのか。
 
 「給料下がって、今月厳しいんっスよ~」口元を歪めヘラヘラとした態度で言った。
 「ちょ、ちょっと待って。どうして僕が―」
 「えっ、いいんですか!店長に言っちゃいますよ」
 
 蓮はギリギリと奥歯を噛みしめた。深夜勤務といっても、コンビニの時給は安い。蓮だってそこまで生活に、余裕があるわけではない。こんなことで金を出すことにも、納得ができない。だが断れば、慎吾は店長に、蓮が不利になる証言を平気でするだろう。話に余計な尾ひれをつけて、自分を擁護しながら、蓮の非をこれ見よがしに訴える。防犯カメラには、蓮が会計をして缶ビールを渡した場面が、バッチリ映っている。言い訳のしようがない。
 
 納得はできないが、蓮は渋々といった様子で、ズボンのポケットから、財布を取り出し、一万円札を引っ張り出した。
 「あざっす」遠慮する素振りを全く見せず、慎吾は喜々として受け取った。
 「わかってるよね。これで店長には―」
 「はいはい。でも渡井さんが、売っちゃったのは事実だから、そこは言い訳できないっスよ」
 蓮はバツの悪そうな顔で、うつむいた。
 「じゃあ俺、休憩行ってきま~す。よっしゃ!これでパチンコに行ける」背中を弾ませながら、慎吾は事務所に入っていった。その後ろ姿を、鬱々した気分を抱えたまま、恨みを込めた鋭い眼差しで見つめた。
 
 自動扉が開き、一人の客が入店してきた。蓮は無言で、ちらりと顔を向けただけだった。

(vol.2へ続く)


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