食べる責任
SDGsの12番目の目標「つくる責任、つかう責任」にはフードロス(食品廃棄量)の削減が含まれているのだそうだ。全く賛成である。
コンビニで「手前取りにご協力ください」という表示を見たことがある。賞味期限切れによるフードロスを減らそうという意図である。
手前に並ぶ品物ほど賞味期限が短く、だからわざわざ奥から商品を取り出すという人が少なくないのだろう。心情的には理解できる。賞味期限として示されている日時を過ぎるとたちまち品質が不連続に悪化するなどということはあり得ないのだが、恐らくは「期限」の2文字が絶対的な雰囲気をまとって、これ以降はもう口にすることが出来ないかのような印象を人々の心理に植え付けているのだろう。
そういえば、何の気無しにレジへ持って行ったパンのバーコードを店員が読み取ると、レジがピーという警告音を発したことがあった。たじろぐ私を他所に、落ち着いた様子で店員はこう言った。「申し訳ありません。賞味期限切れでしたので新しい物とお取り替え致します」このままで別に構わないのにと思ったことを覚えている。衛生上の問題に精通していない身ながら、賞味期限をもう少しなんとか出来ないかと思う。
冒頭、フードロスの削減に賛成と書いたが、実は違和感もある。わざわざスローガンにしないと駄目な事柄になってしまったのか、と思うのだ。小さい頃、母だったか祖母だったかに「ご飯はお米一粒残すな」とよく言われた。「お百姓さんが一粒一粒丹精を込めているんだから」それこそ耳タコで、だから今でもご飯を残すことはまずない。多少無理しても食べ切る。これを貧乏性と切って捨てることは簡単だし、小中学校の給食の時間に「食べ終わるまで席を立たせない」ことが問題とされたことがあるのも承知している。それでも、こう言い続けられて育った私は食材を使い切るし、外出でもまず残さないのでフードロスが生じない。そしてこれが普通だと思っている。つまり、わざわざスローガンにするような事ではないと感じているのだ。
食べ物を残さないようにと家庭で親が子へ言い続ければ、こんな事は当たり前になるのかも知れない。親自身が本当にそう考えていればという条件が必要ではあるが。あるいはそれでも難しいのかも知れない。ある日、研究会後の懇親会で、山ほどの料理を前にしてとある高名な先生がこう嘆いていたのを覚えている。「うちの子供たちも平気で残すねえ。食べ物を残さないように、家ではいつも言ってるんだけど。」
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