あぶく銭、お貸しします~マキの無利息、カネ借りられ日記~ Part1
分厚いレンズの黒縁メガネをかけ、肩ぐらいの長さの髪をひっつめているマキ。書類を前に抱え、会社の廊下を歩いている。
向こうから歩いてくる亨に、すれ違いざま、書類の下でメモを渡す。
そして、その後ろをOL二人が、おしゃべりしながら、歩いて来た。
「もう今月ピンチなのよ。結婚式3つでしょ、お葬式も2つあったし」
「じゃあ、お金、借りちゃえば?」
「貸してくれるの?」
「私じゃなくて、ほら、無利子でお金貸す人が社内にいるって話、知らない?」
「初耳」
「噂によるとね……」
マキは二人とすれ違いながら、薄く微笑んだ。
* * *
マキは、自宅の書斎で、机に積まれた借金依頼の陳情書を、難しげな表情で次々と読んでいった。
亨がマキにコーヒーを運んでくる。
「ありがと」
首をグルグルと回すと、コーヒーをすするマキ。
「ふう。おいしい」
「マキさん、今月の客は決まったんですか」
「この子にしようかと思うんだけど」
「どれどれ」
マキの手元の陳情書を後ろから覗き込む亨。
「若いOLさんじゃないですか。で、希望額は?」
「500万」
「へえ。何に使ったんですかね、そんな大金」
「同僚から脅迫されて、会社のお金を横領したみたい。来月は監査なんですって」
「その前に穴埋めしておきたいってことですか」
「そのようね」
淡々と言うマキを見つめ、亨が突然笑い出す。
「何?」亨を見上げるマキ。
「いやあ、ずいぶんサマになって来てるなって思って」
「亨くんもよね。金貸しの助手、板についてるわ」
顔を見合わせ、笑う二人。
「最初はビックリしましたよ。アルバイトしないかって言われて」
「うちの会社、バイト禁止だもんね」
「そうじゃなくて、まず、見ず知らずの人を相手に、無利子の金貸しってことですよ」
「あら、そう」
「いくら、マキさんを納得させる理由の持ち主に対してのみとは言っても、かなり無謀じゃないですか」
「そうかしら」
「そうですよ。返って来ないかもって思ったことないんですか」
「しょせん、あぶく銭だしねえ」
「それそれ。元手が宝くじ当選金1億円だっていうのが、さらにびっくり。俺ならせっせと使うなあ」
亨の脳裏には、テーブルに積まれた1億円の札束が浮かんでいた。
「よだれ出てるわよ」
「おっとっと」口元を拭う亨。「でも、やっぱり不思議っていうか」
「特に使い道なかったから」
「そんなもんですかねえ」
「そんなもんよ」
「ま、ご意見番の僕もいますし、貸す相手の審査は万全。元手も安全です」
マキが笑い出す。
「何で笑うんですか」ふくれる亨。「もしかして俺、信用ないんですか」
「ごめん、ごめん。亨くんのことは信用してる。ブスに優しいしね」
マキが黒縁メガネをくいと持ち上げる。
「なんすか、それ」
「ま、いいわ。それじゃあ事情聴取行きますか」
「おう」
二人は書斎を出ていった。
* * *
とあるレストランの個室。テーブルには手つかずの料理が並んでいる。
マキと亨の正面には、ハンカチを握りしめてうつむく恵里香の姿があった。小さな声で話し出す恵里香。
「親の借金を返すために、学生時代に何本かAVに出たんです。彼はそのAVを持っていて、私の恋人にばらすって脅してきて…」
「ひどい話だなあ」腕組みする亨。「しかも経理部の同僚なんでしょ」
こくりと頷く恵里香。
「最初は自分の貯金で都合してました。でも要求額がどんどん増えて行って…」
「貯金にも限りがあるもんなあ」
「お金はもうないって言ったら、会社の金を引き出せばいいじゃないかって言い出して…」恵里香の声が震える。
マキが言う。「話はわかりました。でも穴埋めしたからといって、横領の罪が消えるわけじゃないことは承知しておいてね」
「はい…」
「では、今後の段取りを説明しますね」亨が言う。
手帳を取り出し、メモの用意をする恵里香。
マキは、バッグから500万を取り出し、テーブルの料理をどけて恵里香の前に置いた。
「まずはこの500万を、あなたが度々お金を引き出していた、会社の口座に入金・記帳する」
「会社の口座に入金・記帳」繰り返しながら、メモを取る恵里香。
マキが続ける。「会社には普通、日常使いのお金を入れておく金庫がありますよね」
「はい」
「その金庫に入れるためのお金を、会社の同じ口座から数回細かい額で出金する。ただしこれは記帳をせずにカードのみでね」
「記帳せずにカードで数回細かく出金」再びメモを取る恵里香。
「その後、通帳はいったんこちらに渡してもらうわ」
「通帳をそちらに?」
「ええ。こちらで、その通帳に印字はできないようにします。その後、お返しした通帳を銀行で再発行してもらってきて」
「印字できないみたいで、とか何とか窓口で言えば、再発行してくれますよ」亨が言う。
「なぜそんなことを?」
「通帳にはね、再発行時には基本、まだ記帳してない記録だけが印字されるの」
「つまりですね」亨が続ける。
「カードで細かく出金した数回分の記録が印字されるんです。以前あなたが脅迫者の同僚に渡すためにやったヤバい出金記録、及び、ここにある500万円の入金記録は、再発行された通帳には載らないんです」
「へえ……」
「話を聞いてると、おたくの会社、監査が甘そうだし、とりあえず経理簿と通帳の残高が合ってれば、すぐに追及されることはないと思うわ」
立ち上がり、頭を深く下げる恵里香。
「あ、ありがとうございます。お金は少しずつでも、必ずお返ししますので」
「でも、諸悪の根源がそのままっていうのは納得行きませんよねえ」亨が言う。
「そうね」
ニヤリと笑うマキ。
「悪い子にはお仕置きが鉄則だわ」
マキは料理に手を伸ばした。
* * *
自宅の寝室で、マキが身支度を整えている。
黒縁メガネをはずし、髪をほどいてスーツに着替えると、ドレッサーの前に座り、きっちりと化粧を施す。
支度が済むと、マキはゆっくりと書斎のドアを開けた。
「準備完了」
「お綺麗です、マキさん」亨が微笑む。
「どうも」
「でもあんまり飲み過ぎないでくださいね」
「大丈夫。今日は飲ませる側だもの」
「じゃあ、ルンコちゃんへは僕が連絡しておきます」
亨はスマホを取り出し、電話を掛け始めた。
* * *
閑静な住宅街にある3階建てのマンションの一室を、マキは訪れていた。
マキは、クーラーバッグから日本酒の四合瓶5本とグラスを5つ取り出すと、テーブルに広げた。
「アンケートでおうかがいしました、羽場さまの好みに合いそうなものをチョイスいたしました」
「ワインの訪問試飲販売は経験あるんですけど、日本酒にもあったんですねえ」
テーブルを興味深げに見回す羽場に、マキがニッコリと微笑んだ。
「私どもでは、あまり店頭に並ばないものをご紹介させていただいているんですよ」
「ラベル見せていただいてもいいですか」
「もちろんでございます」マキが妖艶に微笑む。
羽場は、ワクワクした様子で瓶を手に取り、ラベルを眺めている。
「どうぞ、お試しください」
マキがグラスを差し出しと、羽場は頭を下げながら、グラスを受け取った。
「いただきます」
「かなり、すっきりした味わいかと」
「…うわあ、これは綺麗なお酒だ。歩留り2割3分なんて飲んだことないですよ」何度もうなづく羽場。
「味がおわかりになる方に飲んでいただけて、お酒も本望だと思いますわ」
「いやあ、それほどでも」
相好を崩す羽場に、マキは次から次へと酒をグラスに注ぐ。
グラスに日本酒を注ぎながら、こっそり薬を入れるマキ。
酒談議に花を咲かせていた二人だったが、しばらくすると、羽場がぼんやりとした表情になり、体がぐらついてきた。
「まだ、ございますよ」
「うーん…」
マキの言葉に答えるまえに、テーブルに倒れこんだ慎二は、眠り込んでしまった。
マキは、慎二に顔を近づけ、寝息を確認すると、電話を掛けた。
「準備OKよ」
おもむろにドアが開き、亨とルンコが入って来る。
「おじゃましまーす」
ルンコは、マキの友人でゲイバーのママをしている。
「じゃあ、ちゃちゃっとお願いね」
「はーい」
高い声で返事をしたルンコは、ベッドに羽場を運ぶと、羽場の服を手際よく脱がせていく。そして、自分も服を脱ぎ、羽場に体を重ねる。
その様子を何枚も写真に収める亨。
傍らで、クロゼットの扉を開け、ハンガーに掛けられた服に触れていくマキ。鞄を手に取ると、眺めまわし、再び元の場所に置く。
「…何か違うわねえ」
「何がですか?」写真を撮りながら、亨が尋ねる。
「想像してたよりずいぶん質素なのよね。これらの服も鞄も、玄関の靴も。靴なんてボロボロだし」
さらに、本棚のアルバムを手に取り、めくるマキ。飲み終えた日本酒のラベルがコレクションされている。
「これを見る限り、最近もそんなに高いお酒を飲んでないわ。普通、酒好きが大金手に入れたら、高いお酒の何本かは買うでしょうに」
「じゃあ、恵里香さんから取り上げたお金、何に使ったんでしょうね」
「そうねえ…」
本棚の前の段を横にスライドさせ、後ろの段を確認するマキ。伝説のゲイ雑誌『薔薇族』のバックナンバーが並んでいる。
「『薔薇族』?」
マキの声にルンコが素早く体を起こす。
「あら。もしかして同志? だったら、このまま美味しくいただいちゃおうかしら」
人差し指で慎二の頬を撫でるルンコ。
「捕まらない程度にご自由に」マキが微笑む。
「やったあ。ふふ」胸の前で両手を組むルンコ。
両手を広げ肩をすくめる亨。
マキはもう一度クロゼットを見回すと、腕組みをして考え込んだ。
* * *
喫茶店には、マキと亨、そして恵里香の姿があった。
亨がにこやかに言う。
「もう大丈夫ですよ、恵里香さん。今後、奴に手出しはさせません」
「…本当に?」
「ええ。これを元に、こちらで交渉しますから」
封筒から写真を取り出そうとする亨。
だが、マキは亨の手から封筒を奪うと、恵里香に微笑んだ。
「もっと面白いネタがつかめそうなの。報告は後日まとめてさせてもらうわね」
「あの…その材料とやらをいただければ、話は私のほうでいたします。それと今までかかった実費はどうすればいいでしょうか」
「費用は結構ですので、ご心配なく」亨が答える。
「そうですか。ありがとうございます。では私はこれで失礼します。ご連絡お待ちしています」
席を立ち、深々と頭を下げる恵里香。
テーブルを離れ、数歩歩いたところで、走ってきた少年にぶつかられる。
恵里香のバッグが手から落ち、長財布が飛び出た。
「無茶して、危ないわねえ」マキがその様子をじっと見ている。
「大丈夫ですか?」亨が声をかける。
「はい。大丈夫ですので」
恵里香は、長財布を拾ってバッグに入れると、再度、マキと亨に会釈をして立ち去った。
その後ろ姿をじっと見つめるマキ。
「どうかしました?」
亨が尋ねると、マキはコーヒーを一口飲んだ。
「ちょっと調べてほしいことがあるんだけど」
* * *
マキの書斎に亨が慌てて入ってきた。
「マキさん、ビンゴですよ! 恵里香さん、高級マンションの別宅がありました!」
亨が机に置いた書類を眺めるマキ。
「やっぱりお金を使っていたのは彼女だったのね。つまり羽塲さんが脅迫者というのも嘘」
「でも、何でそう思ったんですか?」
「財布よ」
「財布?」
「彼女の財布、エルメスのケリーポルテヴァリュル、アリゲーター素材だった。150万は下らないわ。お金に困ってたなら売ってるわよ」
「ふむ。服とかバッグは地味でしたけどねえ」
コーヒーカップを手に窓際に立ち、外を眺めるマキ。
「人って、3割程度の〝本当〟があると、7割の〝嘘〟にあっさり騙されちゃうのよねえ」
「AV出演歴は本当だったりして」
「それも調べておいて。得意分野でしょ?」
「人をエロ青年みたいに言わないでください」口をすぼめる亨。
「誰かが言ってたわ。HEROはHとEROで出来てるって」
「HERO目指して鋭意努力します」
亨はソファーに座ると、鞄からノートパソコンを取り出した。
* * *
以前、マキが恵里香との打ち合わせに使ったレストランの個室に、二人は再びいた。
マキの正面の席で、コーヒーカップをスプーンでくるくると回し続ける恵里香。
「…以上が私の推理。訂正するなら、してちょうだい」
手を止め、天井を見上げ、ため息をつく恵里香。
「そうよ。羽塲さんは私が横領してることに気付いて止めようとしたの」
「でもあなたは、彼が同性愛者なのをネタに口止めをしたのね」
「親には知られたくなかったみたいだったから」
「しかも彼を横領の首謀者に仕立てて、私からお金を借りた。ま、私が納得できる理由がなくなったわけだから、お金は返してもらうわね」
恵里香は、だるそうに首を回すとマキを睨んだ。
「返すお金なんてないわよ。それに私、あなたたちを共犯だって会社に言うかもよ。実際、通帳を印字できないようにしてくれたわけだし」
「いやだ、勘違いしないで」
ニッコリ微笑み、恵里香をじっと見つめるマキ。
「私は事情を何も知らずに、あなたに無利子でお金を貸して、通帳に強い磁気を当ててくれって頼まれて実行したバカな女」
「はあ?」
「それから、これは」
再発行前の通帳コピーを見せるマキ。
「たまたま取っておいたコピー。会社があなたを告訴する材料になる」
「…抜け目ないのね」腕組みして目をそらす恵里香。
「ところで、何で羽塲さんからは、お金を取らなかったの?」
マキの質問に、恵里香は鼻で笑って答えた。
「だーって、本気で心配してくれるんだもの。バカからお金取ったらかわいそうじゃない」
「バカに優しいバカ、嫌いじゃないわ」
「それはどうも」
「ところで…横領分を弁済して刑事告訴を避けられれば、あなた、会社をクビだけで済むかしらね」
「だから弁済するお金なんてないわよ」マキを睨む恵里香。
「今、口座に入ってる分、改めて貸してあげてもいいわよ」
「え?」
「ただし条件がある」
「条件?」
「羽塲さんにちゃんと謝ること。お金は毎月少しずつでもいいから必ず返すこと」
「踏み倒して逃げるかもよ?」
呆れたように笑う恵里香に、マキは、ジャケットに恵里香の写真が載っているAVを差し出した。
「逃げられたら、〝この女性、探してくださーい〟って、ネット掲示板でお願いしようかしら」
恵里香が大声で笑いだした。「けっこう性格ゲスいのね」
「大金を持つと、そうなるのものなのよ」
マキはコーヒーを一気に飲み干した。
* * *
「まさかの展開だわ」
首を大きく左右に振り、ため息をつくマキ。
その前には、亨とルンコの姿がある。
亨が、ルンコを見ながら言う。
「愛が生まれちゃったんですねえ。ルンコちゃんと羽塲さん…」
ルンコが恥ずかし気にうつむく。
「恵里香ちゃんの件で連絡を取り合ってるうちにね、なーんか気が合っちゃって」
「ふーん」興味なさげなマキ。
「実は、この後もデートなの。ふふ」
「それはよかったですこと」
「だ・か・ら、デート代、貸して!」
胸の前で両手を組み、媚びたポーズでマキに頼み込むルンコ。
マキは、うれしそうなルンコをじろりと睨みつけた。
「納得できぬ理由で金は貸さぬ!」
(終)
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